ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)<6>

Cathédrale Notre-Dame-du-Puy(大聖堂)の回廊、続きです。

ガイドツアーで、通常は一般に公開していない「le logis des clergeons(少年聖歌隊員の宿舎)」の上の階を訪れます。

⑴グリフォンの部屋と⑵チェスの部屋です。

目次

建物 .
グリフォンの部屋 .
  グリフォンの部屋の壁画 .
中世の時代にあったトイレ〜 .
チェスの部屋 . .
  チェスの部屋の壁画:戦い .
  チェスの部屋の壁画:チェス .

ガイドから聞きとった話は太字にします。

建物

⑴と⑵のある建物は、12世紀に司教座聖堂参事会の高官のために参事会の間(chapter room)の上に建てられました。

ロマネスク様式の美しい煙突と、当時としては珍しいトイレがあり、質の高い居住空間だったと考えられています。

16世紀頃から大聖堂の少年聖歌隊員(若い聖職者や聖堂付属学校で学ぶ少年)の住居として使用されていたため、現在は「le logis des clergeons(少年聖歌隊員の宿舎)」と呼ばれます。

⑴グリフォンの部屋

グリフォンの部屋へ行きます。

ガイドツアーの開始時刻になり、私は回廊の青◯の場所(Information – tickets)でガイドに会いました。他に参加者は無く、ガイドと2人で出発です。

青↓のように歩いて、入り口へ。

グリフォンの部屋は、参事会の間(chapter room)の上の階の北側(赤◯の場所)です。

北翼廊の東にあるPorche Saint-Jeanの扉口の北隣に、入り口があります。

le logis des clergeons 入り口
撮影方向

ガイドが鍵を開けるのをわくわくして待ち、中に入りました。

グリフォンの部屋への階段
撮影方向

階段を上ります。

グリフォンの部屋の壁画

部屋には、暖炉と、壁いっぱいのグリフォンたち。

暖炉の上の円錐形の部分は、上にあるチェスの部屋につながっています。

北西を向く
北を向く

19世紀にこの部屋が再発見されたとき、暖炉と、一部のグリフォンが確認されました。

でも、部屋の中には間仕切りがあったので、これほどグリフォンが描かれていることはわからなかったのです。

北東を向く
南東を向く

開口部を拡大するためなどで、一部の壁画は失われています。

天井の木材に開けられた直径約2cmの穴赤◯は、年輪年代測定用サンプルを採取したときのものです。この調査で、この建物が12世紀後半に建てられたものであることが確認されました。

南を向く
南西を向く

描かれているのは、グリフォンだけ。ひたすらにグリフォンだけ。

他の動物はいません。

なぜ、グリフォンばかりがこれほどまでに描かれているのか、わかりません。

聖堂の中で柱頭などに彫刻されているグリフォンを見上げると、番人とか、キリストとか、知識とか、そういうものの象徴として描かれているように感じます。

ただ、これだけぐるりとグリフォンたちに取り囲まれると、アレクサンドロス大王になって空を飛べるんじゃないかと感じてしまいます。

フィデンツァ(Fidenza)、グリフォンに囲まれるアレクサンドロス大王

グリフォンの部屋を出ます。

〜中世の時代にあったトイレ〜

グリフォンの部屋を出ると、細い階段があります。

階段の向こうに、12世紀の当時としては珍しく、トイレの設備が整えてありました。

今は使用不可です。

在俗司教座聖堂参事会員(secular canon)の高官だけでなく、彼らを訪ねた貴賓たちも利用したのかなと思います。

トイレがあった場所

G◯がグリフォンの部屋、C◯がチェスの部屋です。

チェスの部屋へは、階段をさらに上ります。

⑵チェスの部屋

チェスの部屋へ行きます。

チェスの部屋がある階は、屋根裏です。

チェスの部屋前の廊下
チェスの部屋前の廊下

部屋の中に入ります。

驚きの壁画があります。

四面に壁画があります。よく残っているのは、南の壁と、北の壁です。東西の壁はそれらに比べると小さくて劣化が激しいです。

南西
チェスの部屋の壁画:戦い

南の壁をみます。描かれているのは、戦い。

最下部右端には、城門があり、開いています。

城門の扉には、ロマネスク様式の金属製装飾があります。

城門のすぐ近くには、戦う兵士たちがいます。

彼らは城門から侵入して、城を攻めているように見えます。

装備には十字架が描かれているので、キリスト教徒のようです。

城門
戦う兵士たち

武器は、剣の他に弓を使っています。

弓全般については、11世紀末に教皇ウルバヌス2世が禁じてから1234年まで、キリスト教徒間で使用することが繰り返し禁じられた(1)はずです。

繰り返し禁じられたってことは、禁令が守られていなかったってことですが、、、絵画の中では禁令を守ったとすれば、対戦相手は異教徒ということになります。

また、彼らはカイト・シールド(上部は丸く下部は尖った形)を装備しています。11世紀〜12世紀前半の西洋の盾です。12世紀後半には、上部が丸い形から平らな形に変わりました(2)

カイト・シールド

彼らが戦っている相手は、丸い盾を持っています。イスラム教徒かもしれません。

不可解が深まるのは、ここからです。

十字架を掲げた塔の上に、洋服姿の女性たちがいるんです。

キリスト教徒の城と女性たちのようです。

アーモンド型盾の兵士たちは、どうして十字架を掲げる城に攻め込んでるんでしょう?

丸い盾
女性たち

もしかして、過去と現在のような複数の時点が描かれているんでしょうか。

例えば、大昔に十字架を掲げていた城を、過去に丸い盾の兵士たちが奪い、現在にアーモンド型盾の兵士たちが奪い返してる、という感じ。

長々と書きましたが、結局のところ、分からないです。

最後に、北の壁をみます。

チェスの部屋の壁画:チェス

北の壁に描かれているのは、チェス盤と複数の人。

チェス盤の向かって左にいる人には、髭がなく、体の線が柔らかいです。女性かも。

チェス盤の向かって右にいる人には、髭があり、冠をつけています。

髭がない人
冠をつける人

チェス盤の下にいる人は、司教杖を持っています。

円錐形の暖炉の上部が、司教杖を持っている人の姿を、立体的で立派そうに見せます。

司教杖を持つ人
暖炉の円錐形

何のために描かれたものでしょう。

チェスといえば、思い出すのはピアチェンツァ(Piacenza)のBasilica di San Savino の内陣にあるモザイク

ピアチェンツァ(Piacenza)のモザイク

Piacenza のモザイクは、四つの枢要徳を表す絵のひとつで、チェスゲームによって「賢明」を表していました。

⑴グリフォンの部屋の壁画と、⑵チェスの部屋の壁画:戦い、チェスをみました。どれも興味深いですが、誰が何のために描かせたものか、わかりません。ガイドも同じことを言っていましたが、科学的な検証を含めて、研究が進むことを期待しています

次回

次回、⑶北翼廊2階(トリビューン)のフレスコ画、⑷Baptistère Saint-Jeanについて書きます。

脚注

(1) 堀越宏一/甚野尚志[編著](2013年)『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』p90. ↩️

(2) 私自身はウィキペディアを読みましたが、そのウィキペディアが参照しているのはこちらです。Newman, Paul (2001). Daily Life in the Middle Ages. Jefferson: McFarland and Company Incorporated, Publishers. pp. 214–215.. ↩️

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