ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)<1>

2022年9月6日(火)、最初に訪れたのは Cathédrale Notre-Dame-du-Puy(大聖堂)です。

目次

Le Puy-en-Velay へ .
Le Puy-en-Velay のロマネスク巡り .
大聖堂のみどころ . .
平面図 .
概要 .
北翼廊の東にあるPorche Saint-Jean .
南翼廊の東にあるPorche du For .
北翼廊の壁画 .
北翼廊トリビューンに無料で行く方法 .
脚注(1) Airbnb .
脚注(2) 北翼廊向かって右の13世紀の壁画 .
脚注(3) アレクサンドリアの聖女カタリナ .

Le Puy-en-Velayへ

夫と私は、前日の9月5日(月)に、電車とバスでリヨンから Le Puy-en-Velay に来て、

バスの車窓からの眺め

駅から徒歩2分のAirbnb(1)にチェックインしました。

9月9日(金)にリヨンに戻るまでの、中3日間、Le Puy-en-Velay を徒歩で巡ります。

Le Puy-en-Velay のロマネスク巡り

Le Puy-en-Velay については、8回に分けて書きます。
<1>大聖堂(大聖堂のみどころ①〜③)
<2>大聖堂(大聖堂のみどころ⑤〜⑦)
<3>Chapelle Saint-Clair d’Aiguilhe
<4>Rocher Saint-Michel d’Aiguilhe
<5>大聖堂(大聖堂のみどころ⑧)
<6>大聖堂(回廊ガイドツアー⑴⑵)
<7>大聖堂(回廊ガイドツアー⑶⑷)
<8>Musée Crozatier

①〜⑧の数字は、後述する「大聖堂のみどころ」のロマネスク好き必見の箇所です。

1日で全行程を完遂するのは難しいです。できれば、余裕をもって2〜3日で巡ることをお勧めします。例えば、私は回廊が9月6日に臨時休業していたために翌9月7日に行きました。そういう出来事にも対応しやすくなります。

大聖堂のみどころ

ロマネスク好き必見の箇所がこちらの①〜⑧:

①北翼廊の東にあるPorche Saint-Jean
②南翼廊の東にあるPorche du For
③北翼廊のフレスコ画
④北翼廊トリビューンの壁画
⑤後陣外壁の装飾
⑥西ポーチにあるPortes de cèdre
⑦ファサード
⑧回廊(有料6€)

①から⑦までは無料で見られます。

もし⑧で€6を払うなら、ぜひ、追加料金なしで参加できる回廊ガイドツアーに参加しましょう。回廊ガイドツアーで以下を見学できます。

⑴グリフォンの部屋の壁画
⑵チェスの部屋の壁画
⑶北翼廊トリビューンの壁画
⑷Baptistère Saint-Jean

④と⑶は同じです。入り口が違うだけ。

なお、勧めておきながら申し訳ないのですが、⑴〜⑷が必ず見学できるとは限らないので、詳細はガイドに確かめてください。(当日の参加者数や見学場所の状況によって変わるそうです。)

平面図

大聖堂の近くに平面図が掲示してありました。北が上です。

概要

回廊の見学ルートの中に、大聖堂の2000年間の発展に関する展示がありました。

ファサードの前にあった案内掲示によると、歴史はこんな感じです。

この場所には新石器時代の終わり(紀元前3000年)から人が住んでいました。今も支石墓(ドルメン)だった大きな玄武岩が、大聖堂の内陣北側に残っています。

ガロ・ローマ時代に、ローマ神殿が建築されました。

5世紀に、ローマ神殿があった場所にキリスト教の教会が建てられました。
これには、伝承があります。「しつこい熱病に苦しむ女性の前に聖母が現れ、聖母のとりなしで女性はドルメンの上で治癒。聖母は、出現した場所に聖堂を建てることを司教に依頼するよう女性に言った。」というものです。

951年、司教ゴデスカルクが巡礼路であるポディエンシス街道を開通させました。このル・ピュイの司教は、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指した最初の外国人巡礼者として知られています。巡礼者の流入は、11世紀から13世紀にかけてピークに達します。

11世紀から12世紀にかけて、大聖堂は、増え続ける巡礼者たちを受け入れるために拡張されました。

では、見学を始めます。

①北翼廊の東にあるPorche Saint-Jean

2022年9月6日(火)、夫と私は宿から北西に11分ほど坂道をのぼって、大聖堂に着きました。12時半頃のことです。(実は、最初に回廊に行ったのですが、9月6日は臨時休業していたために翌9月7日に行きました。)

ポーチは大聖堂とBaptistère Saint-Jeanをつないでいます。高位の特別な人がBaptistère Saint-Jeanにわたるときの通路がありました。

扉口は12世紀のロマネスク様式で、扉の金属装飾も12世紀のものです。かつては特別な階級の人(王族、貴族、領主)たちが出入りするための扉口でした。ティンパヌムにはイエスと2人の天使、まぐさには最後の晩餐が描かれていましたが、革命時に破壊されました。

扉口(12世紀)
撮影方向

扉口は、通常は閉鎖されています。

②南翼廊の東にあるPorche du For

南翼廊の東の、ポーチ(Porche du For)のある扉口から入りました。

南側外観
撮影方向(赤矢印)

フォル広場(Place du For)に面していて、名前の For は Forum(古代ローマの集会場や公共広場)に由来します。

ポーチ(Porche du For)は12世紀頃の建築で、変な人や二股人魚などが彫刻されています。楽しくて、しばらく夢中で見入りました。

Porche du For
Porche du For
Porche du For
Porche du For

扉口は二つあります。

Porche du For の扉口
Porche du For の扉口:Porte papale

これらのうち、通常に開放されているのが Porte papale。かつては高位聖職者たちが出入りするための扉口でした。

威厳がありそうなパーツをつなぎ合わせたように感じるのは、私だけ?

Porte papaleのティンパヌムとまぐさは、ガロ・ローマ時代の遺構とも言われています。イエス・キリストを表すクリスモンと「SCUTARI PAPA VIVE DEO」の文字が刻まれていますが、特にPAPAの文字は後から付け足したような印象です。SCUTARIは最初の司教の1人を意味していると考えられています。

Porte papale(部分)

注目したいのはティンパヌムの上のS字を並べたようなアーチ(4世紀?)です。ケルト風のこの装飾は、後陣外部に埋め込まれているガロ・ローマ時代の遺構の上にもあります。簡素で美しいです。

大聖堂の中に入ります。

③北翼廊の壁画

(なお、翼廊にも壁画がありましたが、1866年頃の再建時に取り壊され、残っているのは、三つの断片だけです。11世紀後半~12世紀前半に描かれました。Musée Crozatier にあります。)

向かって左が12世紀の壁画、向かって右が13世紀の壁画。

北翼廊1階
撮影方向(赤矢印)

向かって左の、復活の壁画(12世紀)は、すごく聖書に忠実です。

復活のフレスコ画(12世紀)

聖女たちについては聖書にこうあります。

『マルコによる福音書』16章
1: 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
2: そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。

天使についてはに聖書にこうあります。

『マタイによる福音書』28章
2: すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
3: その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
6: あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
聖女たち
天使

墓については聖書にこうあります。

『ヨハネによる福音書』
40: 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。

そして、書いてある文字 “surrexit non est hic”は、『マルコによる福音書』16章6節「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」を示します。

番兵たちについては聖書にこうあります。

『マタイによる福音書』28章
4: 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
番兵たち

向かって右の13世紀の壁画(2)については、ページの最後に載せます。

これらの壁画の上、北翼廊トリビューンに、見逃せない壁画があるんです。

北翼廊トリビューンに無料で行く方法

行くには、二つ方法があります。
❶大聖堂の受付(Accueil)で鍵を借りる(無料)
❷回廊のガイドツアーで行く(回廊への入場料€6がかかります)

私はまず❶で行き、その後に❷で行きました。私のおすすめは❷の方法ですが、、、

無料で行ける❶の方法をお知らせします。

鍵を管理している受付(Accueil)は、南小後陣の東にあります。

南小後陣にて東を向く
赤丸が受付(Accueil)

受付のカウンターで北翼廊のトリビューンの鍵を貸してくださいますか?(英語で対応してもらえると思いますが、仏語なら例えば「Puis-je avoir les clés de la tribune du transept Nord ?」)と頼んで、パスポートと引き換えに鍵を借ります。

北翼廊にある、青い矢印で示した扉を開けます。階段があり、トリビューンに行けます。

交差部にて北を向く
青い矢印で示した扉を開ける

ちなみに、鍵をガチャガチャやっていると、おそらく、人が集まってきます。私が階段を上がるときには、10人くらいの人だかりになりました。鍵を借りた者として、文化財を傷める人がいないように気を配りながら、自分自身が鑑賞したり撮影したりするのは、大変です。

❷の方法をおすすめしたい一番目の理由が、これ。ガイドがいたら、自分の見学に集中できます。

❷の方法をおすすめしたい二番目の理由は、ガイドツアーで使う扉から入った方が、印象が強いと感じたからです。詳細は<7>の「北翼廊トリビューンの二つの扉」に書きます。

④北翼廊トリビューンの壁画については、回廊ガイドツアーの流れの中でご紹介したいので、9月7日の記録で書きます。

次回に⑤〜⑦:

⑤後陣外壁の装飾、
⑥西ポーチにあるPortes de cèdre、
⑦ファサード

をみます。

(1) Airbnb ↩️

駅から徒歩2分のAirbnb。台所、食堂兼居間、シャワートイレ、寝室二つという間取りのマンションで、無料の駐車場つき(使いませんでしたが)。2人で4泊の総額が€ 379.30でした。

Airbnbの台所
Airbnbの食堂兼居間

十分な広さがあり、洗濯機はもちろん乾燥機もありました。さらに、台所は飲食店を開業できそうなくらい最新式の設備で充実していました。居心地よかったです。

(2) 北翼廊向かって右の13世紀の壁画. ↩️

北翼廊向かって右の13世紀の壁画は、聖書に書かれていない、伝承について描かれています。アレクサンドリアの聖女カタリナ(3)についてです。

アレクサンドリアの聖女カタリナ(3)の壁画(13世紀)

聖女カタリナは手を組み、天を仰いで穏やかな表情で祈っています。彼女は鉄の鋸をつけ釘を打ちならべた車輪で拷問を受けそうになっても生き延びましたが、後に斬首されました。車輪の下の二つのグループは、アレクサンドリアの学者たち、皇后、皇帝軍将校ポルピュリウスや親衛兵たちで、みんな聖女カタリナによってキリストに改宗して、殉教しました。

車輪の上では2人の天使が剣を手にして車輪の鋸や釘を曲げようとしています。

皇帝(Cesar Imperator)とその従者たちは、淡々と見ています。

聖女カタリナ
天使
皇帝(Cesar Imperator)

(3) アレクサンドリアの聖女カタリナ. ↩️

ヤコブス・デ・ウォラギネの書いた『黄金伝説』の記述によれば、聖女カタリナはコストスという王のひとり娘で、七学芸の教育を熱心に受けましたが、もっぱらイエス・キリストに帰依していました。皇帝がアレクサンドリアに人を呼び集めて偽神たちに香を捧げさせていたとき、だれの目にも愛くるしく見えるやさしく美しい18歳のカタリナは、大勢の召使とありあまるほどの富にかこまれて、宮殿でひとりで暮らしていました。カタリナは、偽神たちに香を捧げさせることをやめるよう、皇帝に言います。皇帝はカタリナの聡明さと美しさにすっかり参ってしまいます。皇后になるように迫りますが、カタリナはこれを拒絶し、拷問されて殉教します。

このあたりは、聖女殉教の定番コースでしょう。「美しい乙女が異教徒のおえらいさんに見染められて拷問→殉教」ってことで。

独特なのは、聡明で弁舌が巧みだから、カタリナと話す人がことごとくキリスト教に改宗したこと。例えば、皇帝のさしがねでカタリナを打ち負かすために呼ばれた50人の学者たち、こぞって改宗です。皇帝によって焼き殺されることになり彼らが洗礼を受けないで死ぬことを悲しんでいると、カタリナが言います。「怖れることはありません。あなたがたは、みずからの血でもって洗礼と栄冠を受けるのですから」。。。カタリナ、つよい。

さらに独特なのは、鉄の鋸をつけ釘を打ちならべた車輪によって拷問されそうになった部分。カタリナが拷問を受ける中で起きた奇跡の一つで、主の御使いがあらわれて、刑車をこっぱみじんに破砕したので、飛びちった破片に当たって四千人もの異教徒が死にました。

なお、ヤコブス・デ・ウォラギネの書いた『黄金伝説』(前田敬作・山中知子訳)の訳註にこうありました。「伝承によると、ある隠修士からキリストこそすばらしい花婿であることを教えられ、聖母にキリストの花嫁にしてくださいと頼むと、(中略)夢に幼児キリストがあらわれ、彼女の指に婚約指輪をはめたという。」

車輪と女性が描かれていたら、聖女カタリナ像の可能性が高いです。

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