2022年8月30日(火)、最初に訪れたのはSaint-Just-Saint-Rambert。Église Saint-André です。
ここは、ポーチ型鐘楼に注目です。後陣と北扉口の装飾も見逃せません。また、あちこちに再利用してあるガロ・ローマ時代やカロリング時代の石を見つけるのも楽しいです。
教会の中を見学するには、観光案内所で鍵を借ります。私は、事前に問い合わせて、隣にある礼拝堂(Chapelle Saint-Jean)の鍵も貸してくれるようにお願いしました。
だから、Saint-Just-Saint-Rambert については以下のように2回に分けて書きます。
<1>Église Saint-André
<2>Chapelle Saint-Jean
Saint-Just-Saint-Rambert へ
夫と私は宿から西に22分ほど車を運転して、大きな町に着きました。11時頃のことです。
約束していた時刻に観光案内所に行き、鍵を借りました。
Église Saint-André の概要
教会の中に案内掲示がありました。一部を抜粋して太字で和訳します。
沿革
修道院の存在を示す最初の文書は10世紀。リヨンのイル・バルブ(lle Barbe)修道院長に、当時 Occiacum と呼ばれていたこの地の領有を認めた文書である。
そこには、7世紀にイル・バルブ(lle Barbe)の修道士たちによって創建された小さな小修道院(prieuré)があった。小修道院が築かれたのは、水、木、石(異教徒の建物の跡)の場所であった。小修道院は、聖アンデレとこの地の名により Saint André des Olmes と呼ばれていた。
11世紀、フォレ(Forez)の伯爵は小修道院のために聖ランベルトの聖遺物の一部を手に入れた。聖遺物を崇拝する巡礼者の流入は、修道院の富と村の発展に貢献し、この地は次第にサン=ランベールと呼ばれるようになった。
聖ランベルトは7世紀に亡くなった聖人である。名高い家系の出身で、幼い頃から科学と宗教を教えられた。徳が高く、勇気があり、武器の扱いに長け、敵に寛大であった。彼を妬んだ首長により槍でうたれた。彼の墓ではすぐに奇跡が起きた。
11世紀、教会の入口前に、独立したポーチ型鐘楼が設置された。二階は、聖ランベルトの聖遺物を展示する場所として使用されていた可能性がある。北と南の壁に穴が開けられ、二つの階段がアクセスを可能にしていた。装飾は、南壁の三つの彫刻パネルであり、「三博士の礼拝」「アダムとエバ」「盲目の子供を癒すキリスト」が描かれている。
12世紀、教会は拡大され、ポーチ型鐘楼が教会に組み込まれた。フォレで最も強力な小修道院の一つになった。交差部の上に第二の鐘楼が建てられた。
16世紀、教会は世俗化。それでも9人の修道士が残っていたが、革命の際に追放された。
これから教会を見学しますが、案内掲示を引用するときは、引き続き太字で書きます。
フロアプラン
現地には、フロアプランは、みあたりませんでした。Googleマップの画像です。
緑の旗が、鍵を借りた観光案内所。黄色い星が、教会と礼拝堂です。
Église Saint-André の内観
西側にある三つの扉口のうち、南側廊につながる扉口から入りました。
南側廊に入ってすぐ、浮き彫りがあります。それはポーチ型の鐘楼(11世紀)1階の南壁で、下の写真に矢印で示した場所。網目装飾もあります。
話が変わりますが、上の写真(床のあたり)に写っている聖水盤は、5世紀以前のローマ時代の円柱の上に乗っている11世紀のもの。古いものの再利用が多いです。この教会。
話を、ポーチ型鐘楼の南壁の浮き彫りに戻します。
案内掲示によると、三つの彫刻パネルに「三博士の礼拝」「アダムとエバ」「盲目の子供を癒すキリスト」が描かれています。彫刻パネルの隣には、放射状の模様。
ポーチ型の鐘楼を挟んで反対側である北側には、彫刻パネルも放射状装飾もありません。
でも、同じ高さに、同じように、網目装飾とカヴェット(仏: cavet、英:cavetto molding、四分円形の繰形)があります。
教会は、柱間四つの三身廊。交差部をへて、東には主後陣と二つの小後陣があります。
西にはポーチ型鐘楼があり、その一階部分が玄関間になっています。
玄関間(11世紀、教会の最も古い部分)をみます。
玄関間
身廊から、光あふれる玄関間へ。
玄関間は、四角で各隅に柱があり、柱頭は椰子や動物で装飾されている。1689年、教会への死者の埋葬が禁止された後、床が50cm上げられたため、これらの柱の基部は見ることができない。
17世紀末までに、教会の外と中とでは、地面の高さが50cm違っていたんですねえ。
素朴な柱頭彫刻があります。南には植物、北には動物。
北の写真の真ん中で、柱のように再利用されている石は、葬儀用または願掛けの石碑だったらしいです。
柱頭彫刻のひとつを近くからみます。
なんとも美しい。
ファサードをみます。
ファサード
ファサードの中央には11世紀に建てられたポーチ型の鐘楼。12世紀の拡張工事で教会につながれるまでは、独立していました。
盲アーチの柱頭彫刻も面白いのですが、注目したいのは、その下。
右側を見ると、柱の下にカヴェット(仏: cavet、英:cavetto molding、四分円形の繰形)があり、その下には彫刻パネルと放射状模様があります。
また、柱の右に盾のような彫刻の石があります。ガロ・ローマ期のものが再利用されたもののようです。
左側にも、柱の下にカヴェットがあり、彫刻パネルと放射状模様もあります。
この彫刻パネルや放射状模様や網目装飾は、独立していたポーチ型鐘楼をぐるりと取り囲んでいたのかも。
柱頭彫刻をみます。
右端には、人の顔と鳥と蛇と船。
その隣には、髭がない人を刺そうとする髭の男。
同じ柱頭の別角度には、動物を持ち上げている人がいます。
その隣には、馬に乗る人、動物たちと、チュニックを着た人がいます。
最後に、左端は植物。
北壁をみます。
北壁
北壁は16世紀にバットレスで補強されました。
北壁には「獅子の扉」と呼ばれる扉口の跡があります。
1551年まで、教会の正門として使われていた。大きさは、幅2.6メートル、高さ3メートル。まぐさとなっている石棺の両側には、2頭の動物(ライオンとドラゴン)が描かれ、その上には、網目模様の装飾が施されている。
まぐさとなっている石棺、ってことはこれも再利用ですな。
最後に、後陣をみます。
後陣
主後陣と二つの小後陣には、持ち送り装飾があります。
上の写真で左に写っている柵の向こうは私有地なのですが、たまたま住人がいたのでお願いして、入らせてもらい、南小後陣の写真を撮らせてもらいました。
ありがたい。
南小後陣の方がね、北小後陣より、少し保存状態がいいんです。
わお。
いきいき。
Église Saint-André。ポーチ型鐘楼が注目です。後陣と北扉口の装飾も見逃せません。また、あちこちに再利用してあるガロ・ローマ時代やカロリング時代の石を見つけるのも楽しいです。
次回、隣にあるChapelle Saint-Jeanをみます。
・
・
・
・