シャマリエール=シュル=ロワール(Chamalières-sur-Loire)

2022年8月26日(金)、二番目に訪れたのはChamalières-sur-Loire。Église Saint-Gilles です。

ここは、山の中のすごく美しいロマネスク教会。11世紀末から12世紀初頭に建てられた、オーヴェルニュ地方のロマネスク芸術の代表例です。

電車で来ることも出来るようです。教会から徒歩11分の場所に Chamalières-sur-Loire 駅があって、ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)からの乗車時間は30分間くらい。わざわざ足を伸ばす価値はじゅうぶんにあります。

Chamalières-sur-Loire へ

夫と私はサン=ポーリアン(Saint-Paulien)から北東に29分ほど車を運転して、山の中の小さな村に着きました。11時半頃のことです。

Église Saint-Gilles(南西側外観)

Église Saint-Gilles の概要

案内のQRコードが西扉口に掲示してありました。音声やウェブサイトを、ツアーガイドとして使えます。

すごく詳しくて良いガイドなので、一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮った写真を載せます。

シャマリエール村は、ロワール川の右岸、ミオヌ(Mione)山とジェルビゾン(Gerbizon)山が形成する標高571mの狭い谷の底に位置する。

10世紀、世界から隔離されたこの場所に、ベネディクト会がサン=シャフル・デュ・モナスティエ(Saint-Chaffre du Monastier)大修道院に従属する小修道院を設立した。

最初の言及は927年。アキテーヌ公、オーヴェルニュ伯、ヴレ伯の遺言において、この場所がル・ピュイの大聖堂に遺贈された。10年後、ル・ピュイ司教が、サン=シャフル・デュ・モナスティエ(Saint-Chaffre du Monastier)大修道院にこれを残した。当時の大修道院長ダルマス・ド・ボーモン(Dalmace de Beaumont)は、その場所に小修道院を設立し、初代院長となった(937-945年)。

その数年前の933年頃、ダルマスは、7世紀に設立され聖アエギディウス(仏:Saint Gilles)の墓が多くの巡礼者を集めていたサン=ジル・デュ・ガール(Saint-Gilles du Gard)修道院を改革しようとした。ダルマスは聖人の遺体の一部を奪った。また、シャルルマーニュ(カール大帝)がコンスタンティノープルから持ち帰り、プロヴァンスの修道院に献上した聖十字架の釘の一本も一緒に持って行った。

ダルマスさん、やりたい放題ですなあ。

シャマリエールに持ち込まれたこれらの「霊宝」は、多くの寄進を受け、小修道院を繁栄させることにつながった。11世紀後半にはアエギディウスに捧げられた教会が建てられ、12世紀には増え続ける巡礼者のために大規模な改修が行われた。

ファサードをみよう。

バットレスで区切られた2階建ての面は、身廊の屋根の上にそびえる切妻で覆われている。ファサードを囲むバットレスは14世紀末に改修され、その上には百年戦争時に行われた要塞化の名残が乗っている。

Église Saint-Gilles(南西側外観)
身廊にて東を向く

教会の身廊をみよう。

身廊は三つの柱間がある。最初の2柱間は14世紀から17世紀にかけて崩壊。19世紀末に修復された。柱頭には、向かい合うライオンやグリフォン、二股人魚、植物などが装飾されている。

身廊の柱頭彫刻

交差部の説明は割愛します。

クワイヤをみよう。

交差部
クワイヤ

クワイヤは非常に広く、身廊と側廊の合計よりも広い。

ウェブサイトにフロアプランがありました。南が上です。

クワイヤの延長線上には、広大な後陣がある。四つの放射状祭室は、財政的な理由から周歩廊放棄されたため、直接後陣に開口している。

私たちの背後、交差点の2本の柱には、13世紀初頭の壁画が描かれている。

Église Saint-Gilles(内観、クワイヤにて西を向く)

南側の柱には、マンドルラに囲まれたキリストの頭部を見ることができる。周囲にあった4人の福音史家のシンボルのうち、ヨハネの鷲、ルカの雄牛、マルコのライオンの足だけが残っている。

13世紀初頭の壁画
13世紀初頭の壁画

北側の柱には、より保存状態の良い聖母子像が、香炉を揺らす2人の天使に囲まれて、描かれている。

教会のオリジナルの扉が置かれている南側廊の西端までいこう。

12世紀に建てられた教会のオリジナルの扉は、1893年に南側廊の壁際に設置された。

12世紀に建てられた教会のオリジナルの扉

この扉は、オート=ロワール地方にのみ見られるロマネスク彫刻の木製扉に属す。非常に珍しく、まさにロマネスク芸術の宝庫である。構成は、十字架を基調に、幾何学的あるいは幻想的なさまざまなモチーフが添えられ、その下には騎馬を描いたいくつかの横帯がある。

12世紀に建てられた教会のオリジナルの扉、部分


葉を組み合わせた装飾的な縁取りがある。モミの木の心材でできた扉は、長い間入り口の石造りのアーチに守られていた。その上部の角に、朱、青、ピンク、白、黒など、当時の多色刷りの痕跡をかなり鮮明に残している。

オリジナルの扉からそう遠くないところに、12世紀末の有名な「聖水盤」がある。

1.35m×0.44mの、石の塊から彫られたもの。建築的な装飾が施された一連のアーチの下に4人の人物が立っており、四つ葉の鉢を支えている。

彼らは、預言者ヨハネとイザヤ(またはエレミヤ)、

「聖水盤」
「聖水盤」

王ダビデとソロモン(頭部が19世紀に作り直された)だと言われている。

「聖水盤」
「聖水盤」

ポンヴィアンヌ院長によれば、この台座はもともと聖餐式の蝋燭を支えるためのものであった可能性があり、実際、水盤の底には折れた鉄の棒が見えるという。また、十字架を支えるために使われた可能性もある。

最後に、13世紀前半に作られた「エティエンヌ・ド・シャランコン(Etienne de Chalencon)司教の墓」と呼ばれる多色の石墓が、北側廊の第一柱間の壁にかけられているのをみよう。

「エティエンヌ・ド・シャランコン司教の墓」

二人の聖職者が彼の遺体を、半円形と四つ葉の開口部が交互に並ぶ透かし彫りのアーチで装飾された石棺に納めている。

手と目が大きくて、足が小さくて、これはロマネスク様式と言えそうです。

葬儀は、十字架をつけた大修道院長が司式をする。侍従が本を開いている。参加者の一人がキャンドルを運ぶ。その上では、聖ペトロが鍵と巻物を持つ

「エティエンヌ・ド・シャランコン司教の墓」
死者の魂を受け入れる修道院長

また別の断片では、死者の魂(子供の姿で描かれている)を聖なる修道院長(おそらく聖アエギディウス)が受け入れている様子が描かれている。

切ないほどに、魂が救われることを願っていたと感じます。

修道院を囲む城壁に付属していたシャランコン礼拝堂は、革命後に破壊された。

んで、破壊しちゃうんだ。フランス革命で。

今度は外の庭に出てみよう。

Église Saint-Gilles(北西側外観)
Église Saint-Gilles(北側外観)

最も豪華な装飾は北壁の扉に施されており、この扉は修道院の回廊に面していた。

アーチには、まだ識別できるモチーフがある。

北扉口

左側には、ロマネスク様式の装飾に繰り返し見られるモチーフである、曲芸師ともう一頭のライオンが描かれている。

反対側には、羊を肩に担いだ人物の隣にライオンが立っており、おそらく「良き羊飼い」であろう。

北扉口
北扉口

小修道院と回廊は、交差部に並ぶ本館を除いて何も残っていない。

本館

さあ、後陣に急げ。ロワール河のほとりを通ろう。

北扉口から北を向く
教会の北を流れるロワール川

このあたり、赤ちゃんを連れた若いカップルや、小学生くらいの子ども達を連れたグループがいて、良い散歩コースになっているようでした。

後陣は多角形(7面)のプラン。

前回にご紹介したサン=ポーリアン(Saint-Paulien)も、外側七角形内側半円形の後陣で周歩廊なし放射状祭室四つでした。でも、身廊との調和を考えると、若干シャマリエール=シュル=ロワール(Chamalières-sur-Loire)の方が全体の完成度が高め。

幾何学模様や植物、動物や人間のマスクで装飾された美しい持ち送りがある。

Église Saint-Gilles(東側外観)
持ち送り

交差部の上には、四角い2階建ての鐘楼がそびえている。当初の鐘楼は倒壊の危険があり、1800年頃に破壊された。その代わりとして、急遽、1階だけの新しいものが建てられたが、これはすぐに「鐘楼の切り株」と言われた。20世紀初頭に、ルトゥールナック(Retournac)のものを手本に、3度目の再建が行われた。鐘楼の頂上には、12世紀に作られた鋳造ブロンズ製の風見鶏がある。

Église Saint-Gilles(北側外観)

最後に、身廊の南壁には、三つのローブと半円が交互に並ぶアーケードが連続し、身廊2階の高窓と一体化している。

Église Saint-Gilles(南側外観)

きれいですよね〜。

Église Saint-Gilles。山の中のすごく美しいロマネスク教会。11世紀末から12世紀初頭に建てられた、オーヴェルニュ地方のロマネスク芸術の代表例です。

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