2022年8月26日(金)、最初に訪れたのはSaint-Paulien。Église Saint-Georges です。
ここは、構造が特徴的で、後陣の祭室に素晴らしい柱頭彫刻があります。
Saint-Paulien へ
夫と私は宿から北東に5分ほど車を運転して、花だらけの大きな町に着きました。10時頃のことです。
揃いのビブスを着た男性たちが、さかんに植木に水をやっていました。
Église Saint-Georges の概要
教会の中にいくつか掲示物がありましたが、特定のことがらに関してでした。例えば、町の守護聖人について。
サン=ポーリアン(Saint-Paulien)
教会で御言葉を朗読し伝道者として活躍したキリスト者。ディオクレティアヌス帝の時代、304年頃、トリエステの北200kmにあるチバレ(Cibale)という町で、信仰のために死刑に処された。
教会の建築の歴史については、コミューンのウェブサイトに案内がありました。一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮った写真を載せます。
教会の建設には、大きく分けて三つの段階があり、基本的に火山性の石が使われた。
<11世紀>
翼廊は11世紀のもの。北翼廊の壁は不規則な礫石でできており、狭い窓とアーチがある。南翼廊は19世紀に大部分が再建され、請負業者は北翼廊を手本にすることを義務づけられていた。
<12世紀>
後陣と外壁は12世紀のもの。後陣はヴレ(Velay)の中で最も顕著なものの一つである。半円形のクワイヤの外側には、四つの放射状祭室が突出している。窓のアーチの白と黒の石の装飾は、内部でも繰り返される。
西側ファサードは、バットレスによって三つに分けられ、高い窓が光を加える。これらの配置は、建物が三身廊の計画であったことを示唆している。
<13世紀>
身廊とクワイヤの軸線が大きくずれており、交差部の建設が不可能であったことから、計画とは異なるアーチ型にすることを余儀なくされた。この設計変更により、樽形アーチに覆われた単一の身廊という解決法を選んだ。
三身廊の計画だったけど「こりゃ、できないわ」となったってことでしょうか。どんだけ身廊とクワイヤの軸線がずれてるのか。
プラン
フロアプランは、みあたりませんでした。Googleマップの航空写真です。
身廊の長さが南北で違うこと、翼廊の位置と角度、後陣の七角形、四つの放射状祭室が確認できます。
なんだって、そこまで身廊とクワイヤの軸線をずれさせたかったのか、不思議だなあと思ったら、教会の中の掲示物のひとつが教えてくれました。「十字架の上でしばしば描かれてきたように、キリストの曲がった頭部を模倣することを意図したものである」とのこと。そっか、磔刑像のイエスの首は傾いていますもんね。
教会の中に入ります。
Église Saint-Georges の内観
教会の中の、全体の様子。
三身廊にしないで、交差部もつくらないで、ひろ〜い単一身廊です。体育館かと思うくらい広い空間。
正面に祭壇があります。
祭壇
教会の中の掲示物のひとつによると、かなり古いものなんです。
ドルイド(古代ケルトの祭司階級)の時代には「生贄の石」であったと言われている。(そのためか「牛の石(pierre aux bœufs)」と呼ばれる)。現在の墓地の近くにあった今はなき教会の主祭壇であったことが知られている。1970年までは、教会の南側にある記念碑的な十字架の台座として使用されていた。
ケルト人が住んでいた場所だったんですね、この町。
最後になりましたが、私のめあて、柱頭彫刻です。
柱頭彫刻
放射状祭室にたくさんの柱頭彫刻があります。
植物を吐く人たち。三つの顔。
中央の人は舌を出しています。こんな風に顔を並べるのは、ケルトの文化が脈々と続いていたのかなと感じます。
それにしても、すごい口です。たらこ唇だし、キューピッドの弓(上唇の中央にあるV字型のくぼみ)がはっきり。
人物の耳に語りかける蛇たち。蛇たちの尻尾はくるくる巻いています(柱頭1)。同じテーマの柱頭が、もうひとつあります(柱頭2)。
ちなみに、柱頭1と柱頭2の図像に似たものを、50kmほど北西にあるブリウド(Brioude)でみました。
他にもひとつ、ブリウド(Brioude)の図像に似た柱頭彫刻があります。
守銭奴と悪魔たち。悪魔たちのハイレグな腰が気になります。
人物の耳に語りかける蛇たちも、守銭奴と悪魔たちも、若干ブリウド(Brioude)の柱頭彫刻の方が完成度が高め。
でも、サン=ポーリアン(Saint-Paulien)の方は滑らかで艶めいた魅力があるように感じます。
Église Saint-Georges。構造が特徴的で、後陣の祭室に素晴らしい柱頭彫刻があります。
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