リオメス=モンターニュ(Riom-ès-Montagnes)

2022年8月19日(金)、二番目に訪れたのはRiom-ès-Montagnes。Église Saint-Georgesです。

ここは、おしゃれな町の歴史的な教会に、強烈な柱頭彫刻があります。

Riom-ès-Montagnes へ

夫と私はピシュランド(Picherande)から南に41分ほど車を運転してカンタル県に戻り、石造りの建物が並び客でいっぱいのカフェがある町に着きました。12時半頃のことです。

Église Saint-Georges(南東側外観)

こんなおしゃれな町に、強烈な柱頭彫刻があるギャップが良いです。

Église Saint-Georges の概要

教会の中に案内ファイルがありました。一部を抜粋して太字で和訳します。

建設の年表
教会は、段階的に建設された。第1期は身廊中央の4本の角柱(10世紀末)、第2期はクワイヤと後陣(11世紀中頃)、第3期は交差部、身廊、側廊、第4期は鐘楼(15世紀末)であった。

この案内ファイルは、九つの文献を参考にし、段階的な建設の内容、内部の装飾、外部の装飾などについて、20ページにわたって詳細に記述してあります。私の見学の様子について私が書くときに引用したら太字で書きます。

フロアプラン

教会の中の案内ファイルにフロアプランがありました。東が上です。

教会の中の案内ファイルのフロアプラン

外観をみます。

Église Saint-Georges の外観

東側には三後陣があります。

Église Saint-Georges(東側外観)

柱頭の彫刻がすごい。

2本のヤシの木の間に裸の女性が描かれているもの。片手に蛇、もう一方にヒキガエルを持っている。この二つの忌まわしい動物が、それぞれ乳房を食い荒らすのだ。女性の淫欲を罰することが表現されている。

Église Saint-Georges(東側外観、後陣の柱頭彫刻)

同じ柱頭を別角度から。

ケンタウロスまたはケンタウレ。男性か女性か不明のようです。

Église Saint-Georges(東側外観、後陣の柱頭彫刻)

葉の間の小さな空間にひざまずく人物が、19世紀にも使われていた「セルパン(serpent)」と呼ばれる楽器を演奏している。

Église Saint-Georges(東側外観、後陣の柱頭彫刻)

これらの柱頭は風雨にさらされ、傷んでいる。これらの柱頭が示す人物は、内部の柱頭のものと同様に、世俗的な生活の場面を示している。

教会の南西の端にこんなのがあるんです。

Église Saint-Georges(南側外観)

魅力的です。

Église Saint-Georges(南側外観)

教会の中に入ります。

Église Saint-Georges の内観:全体

教会の中の、全体の様子。

Église Saint-Georges(内観、身廊にて東を向く)

柱頭彫刻がいっぱいです。30くらいあります。

柱頭彫刻

案内ファイルを引用しながらお伝えします。

Église Saint-Georges(内観、交差部にて東を向く)

クワイヤ入口の交差部左側の柱頭には、踊り子の一団が描かれている。中央の人物は裸で、腕を上げている。おそらく踊っているのだろう。

柱頭

11世紀のこの地方の住民の衣装は、スコットランドのキルトと比較することができ、オーヴェルニュ地方とスコットランドの間のケルト的な親近感を衣装や踊りで表現しているのだろう。

柱頭

右の人物は、携帯用オルガンのような楽器を演奏している。したがって、ダンス、楽器、衣装からオーヴェルニュの結婚式と呼べるような世俗的な生活の一場面なのである。

へー、楽器ですか。私はてっきり弓矢かと思いました。

クワイヤ入口の交差部左側の柱には、これまた典型的な世俗的生活の光景が描かれている。

ロープでつながれた猿。娯楽を奪われた我々の祖先が、熊や猿など様々な動物のショーを楽しんだ縁日の場面であろう。

柱頭

しかし、宗教的な解釈も可能で、ロープは人々を地獄の責め苦に引きずり込む悪魔の力を表している。

隣の柱頭には、髪を編んでいる女性と、膝をついてプロポーズしているような男性像が描かれており、このシーンが「プロポーズ」と呼ばれる所以である。

柱頭

また、女性が着ている衣装にも注目してほしい。腰のあたりがタイトで、当時の女性の衣装を表していると思われる。

柱頭

ちなみに、これとよく似た髪型と衣装の柱頭彫刻が、7km先(Menet)にあります。次回お伝えしますが、それは12世紀に建設された建物です。

話をRiom-ès-Montagnesに戻します。

クワイヤと後陣の間で向かい合う二つの柱頭は、最も精巧で、謎めいたものである。

内陣にて東を向く

左側の柱頭は戦争風景を表現したものである。シャルヴェ・ド・ロシュモンテクス(Chalvet de Rochemonteix)氏は、円形と楕円形の盾を指標として、教会のこの部分を11世紀中頃のものとした。

ちなみに、参考文献のリストによると、シャルヴェ・ド・ロシュモンテクス(Chalvet de Rochemonteix)氏の説は、100年以上前(1912年)に著されたものです。

柱頭

この盾については、キリスト教徒とイスラム教徒の戦いで、前者は常に楕円形の盾を持ち、後者は常に丸い盾を持っていることと比較することもできる。リオムは、ポワティエで敗れた(732年)サラセン人がオーヴェルニュ地方にもたらした惨状を体験した。口伝では、当時アラブ人がこの町を完全に焼き払ったとされている。

柱頭

サラセン人との戦いに関するこの口伝は、11世紀の人々の集団的な記憶の中にまだ生きていることを知りながら、利用したのであろう。当時の住民の中に十字軍の兵士がいたことは、この解釈を裏付けるであろう。

左側の柱頭も謎めいていると言われる。

柱頭

これはソロモンの審判を表しているという、非常に議論の多い解釈がなされている。

確かにこの図には判決を下す裁判官が描かれているが、係争中の子供も、その子供をめぐって争う二人の女性も描かれていない。しかし、蛇が裁判官の体の周りを回って、裁判官の耳元で判決を下している。蛇はほとんど悪い相談役である。蛇の左側には、縄を首にかけられた囚人が描かれている。一人が彼の首に剣を当て、どうやら彼を処刑する準備をしているようだ。これは、カイアファの前に現れたイエスが、首に剣を突きつけられて裁かれる様子を彷彿とさせる。

イエスだったら、十字のニンブス(光背)をつけていそうですし、もう少し立派な顔で描かれそうです。でも、そんな風には見えません。つまり、なんだかよくわかりません。

柱頭

後陣の柱頭も解釈が難しい。

後陣

左側の柱頭は、ブドウの房と小麦の束を持った人物を表している。カインが神に拒絶された供物を表しているのだろうか。農村の生活風景かもしれない。収穫と刈り入れ…。おそらく、聖体の犠牲のワインとパンの象徴であろう。

柱頭

右側の柱頭は、ひげと美しい巻き毛のある人間の頭部を表している。葉の茂みの中に現れた気高い顔は、地上の楽園を表しているのであろう。したがって、父なる神の表現であると同時に、十字架の印が付いた丸いパンを持っていることから、聖体によるイエスの表現であるとも考えられる。

柱頭

神々しい柱頭彫刻。

Église Saint-Georges。柱頭彫刻が強烈。小洒落た町に、そんな柱頭彫刻があるギャップが良いです。

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