2022年8月9日(火)、三番目に訪れたのは Billom。Église collégiale Saint-Cerneufです。
ここは、地下聖堂の静けさにホッとして、柱頭彫刻と持ち送りを楽しめます。
Billom へ
私はノヴァセル(Novacelles)から北西に52分ほど車を運転して、狭い石畳の道が魅力的な町につきました。15時半頃のことです。
外観をみます。
Église collégiale Saint-Cerneuf の外観
教会の周りに建物が密集しているので、広角なら、なんとかフレームに入ります。
よく見ると、持ち送りが魅力的です。
北扉口と南扉口は新しいのですが、
西扉口には12世紀の古い金属細工が残ります。人の顔が細工してあります。
教会の中に入ります。
Église collégiale Saint-Cerneuf の概要
現地には、教会の概要(歴史や建築に関する案内)は、みあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』による案内の一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮影した写真を載せます。
10世紀には殉教者シレネウス(セルヌフ)に捧げられた教会が存在し、ロマネスク時代に非常に大きなプランで再建された。三身廊、交差部、周歩廊と、四つの放射状祭室を持つ後陣である。
その後、13世紀にほぼ完全に再建され、それ以前の遺構は地下聖堂と聖域の下部を残すのみとなった。
地下聖堂は、10世紀から始まった歴史の重要な一里塚である。クレルモンやモザでは、中央の広間が厚い壁で囲まれていたのに対し、ビヨムでは、半円形に柱があり、その間を移動することができる。これはすでに、主要な教会の建築家が使っている方式である。
しかし、右側には巨大な四角い柱が残っており、これは以前の状態を示すものであろう。
また、ロマネスク時代にはすっかり姿を消した古代の石材の再利用も見受けられる。ただ、再利用の痕跡は見えるが、解釈は難しい。
上部の教会に残るのは周歩廊と柱だけで、残念ながら18世紀にバロック様式に改築された。サン=ネクテールのようにザアカイの物語を含む、やや粗雑な柱頭彫刻が数点ある。
この大きな教会は、最初の状態では、エティエンヌ2世の大聖堂(946年頃)とエンヌザの教会(1070年頃)の中間に位置していたと推測される。
エティエンヌ2世はコンク修道院長からクレルモン司教になった人物です。
そのため、ゴシック時代の改修によって失われたことは惜しまれる。しかし、その時に造られた身廊はとても美しい。
ゴシック様式の絵画が興味深い。
Église collégiale Saint-Cerneuf の内観:周歩廊の柱頭彫刻
周歩廊のロマネスク様式の柱頭彫刻をみます。
残念ながら、周歩廊は一部立ち入り禁止になっていました。きっと、天井が剥落して危険なのかな、と思います。
柱頭彫刻は、植物模様や
植物と動物の組み合わせなどがあります。
最も注目されるのが、こちらの「ザアカイの回心」の柱頭。
『ルカによる福音書』の19章1節から10節に、こうあります。
1: イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
2: そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
3: イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
4: それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
5: イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
6: ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
7: これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
8: しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
9: イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
10: 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
写真は、右手でザアカイを示すイエスで、イエスの手の先にいちじく桑の木の上のザアカイがいます。イエスの衣服のひだといい、表情豊かな手指といい、とても良い作品と思います。
Église collégiale Saint-Cerneuf。地下聖堂、周歩廊の柱頭彫刻、後陣の持ち送り彫刻と西扉口の金属細工に魅力的なロマネスク様式が残ります。
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