2022年8月6日(土)、最初に訪れたのは Thuret 。Église Saint-Martin、またの名をÉglise Saint-Limin です。
ここは、ティンパヌムや柱頭に、面白い彫刻がいっぱいです。
Thuret へ
私は宿から南に35分ほど車を運転し、大きな村につきました。10:45頃のことです。
さっそく教会の中に入ります。
Église Saint-Martin の概要と、関連する写真
教会の中にリーフレットがありました。一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮った写真を載せます。
この地には先史時代から人が居住しており、ガロ・ローマ時代には居住地として確立されていた。959年にはテュドリアックの名で文献に登場する。その後「トゥリアクム」(「トゥリアスの家」の意)と呼ばれるようになった。
1311年、この教会にクレルモンフェランのサンタリール修道院からサン・ジュネスの遺骨が運び込まれ、サン・ジュネスの庇護下に置かれた。その後、サン・リマンの庇護を受けることになり、サン・マルタンと呼ばれるようになったのは、18世紀になってからである。
建物は、12世紀の1150年から1170年頃に、急速な建築が行われた。 近くのシャプテュザから採れる白い石灰岩と、鐘楼の黒っぽいヴォルヴィック石が好対照をなす。
15世紀には身廊が高くなり、西側のファサードもそれに応じて高く改築された。厳かな雰囲気の扉口は、一枚岩のまぐさと丸いアーチで飾られている。
右側の鳥が描かれた柱頭は19世紀の改修によるものだが、他の3点は教会建設当初のものである。 そのうちのひとつは、人間が教会を支えることを象徴するアトラスが描かれており、もうひとつはブドウ畑の中の人物が描かれている。
〜おまけ〜
ところで、アトラスの柱頭を別角度からみると、魅力的な表情の人がいるんです。右下の人、なんとも言えない表情で、好きです。
脱線しましたが、話をリーフレットに戻します。
東側には、半円形の後陣を二つの小後陣が取り囲み、八角形の鐘楼が全体を見渡すようにそびえている。 ヴォルヴィック石の存在が物語るように、鐘楼は幾度も改築され、現在の姿となった。革命後に一段と高くなったものである。
支える柱の上部にある柱頭は19世紀のものだが、ロマネスク期の象徴的なテーマが取り入れられている。 例えば、グリフォンが聖杯を飲む姿は、キリスト教化の象徴と解釈されている。
南側の扉口のティンパヌムは、間違いなくこの建物を象徴する最高傑作である。マンドルラの中には、威厳に満ちたキリストがいる。右手で祝福し、左手にはギリシャのアルファベットの最初と最後の文字であるアルファとオメガが刻まれた聖典を持っている。キリスト教の永遠の象徴である。キリストは、大天使ミカエルとガブリエルに囲まれている。
外観が示すように、教会の建築はロマネスク様式である。 しかし、内観において身廊は(側廊とは対照的に)、ゴシック美術に特徴的なリブ・ヴォールトで構成されている。 これは、15世紀に行われた改築によるものである。
教会の身廊には、多くの柱頭に彫刻が施されている。そのうちのいくつかは、19世紀の改修に伴うものである。また、柱頭の色彩もこの時期のものである。
ロマネスク様式の柱頭は、南扉口のティンパヌムの様式と同じであるため、容易に見分けることができる。 題材はよくあるものだが(つながれた猿、聖杯から飲むグリフォン、羊を運ぶ者、鷲など)、他の教会とは異なる形で表されている。
つながれた猿
〜おまけ〜
つながれた猿の後ろ姿がこちら。尻尾は、ありません。
再び脱線しましたが、話をリーフレットに戻します。
聖杯から飲むグリフォン
羊を運ぶ者
鷲
特に原罪の柱頭では、エバが蛇に手を伸ばし、
アダムは自分の喉に手を当てていることに注目したい。
フロアプラン
教会の中のリーフレットにフロアプランがありました。北が上です。
側廊に挟まれた身廊、交差部、後陣と二つの小さい後陣を持つクワイヤからなるバシリカ・プランです。
Église Saint-Martin の内観:気になったもの
リーフレットには特に書かれていないけれど、個人的に気になったものについて書きます。
<交差部にある鳥の柱頭>
交差部に動物の柱頭があります。
この鳥がクチバシにくわえてるグルグル巻いているものは、蛇かなと思います。
蛇(悪魔?)に対する鳥(キリスト?)の勝利を示しているのかもしれません。
<南側廊にある人々の柱頭>
何を示しているのか、私にはわからないんですが、、、
女性が、男性に手首を掴まれているようです。
女性の隣には大きな顔があり、その口から蛇みたいな長いものが出ています。
なんでしょうねえ?
Église Saint-Martin。南扉口、西扉口と内部の柱頭に、とても魅力的なロマネスク彫刻が残ります。
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