2022年7月30日(土)の記録として三番目にご紹介するのは、Menat。Abbaye Saint-Ménéléeです。
Menat へ
私はビオレ(Biollet)から北東に30分ほど進み、きれいな町につきました。
役場(Mairie)の前に車を停めると、役場の向こうに教会の鐘楼がみえます。
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ちなみに、赤い扉がならんでいます↑が、一番右は”WC”です。町の Mairie にはトイレが用意されていることが多いです。
鐘楼をめざして歩き、修道院教会へ。
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さらに東へと進み、修道院教会の外観を確認します。
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さらに東へ。
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三後陣。
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北側の外観は、いったん建物内に入ったあと回廊から見ることができますので、後ほど載せます。
フロアプラン
現地には、フロアプラン(現在)は、みあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』によるフロアプランを載せます。東が上です。
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たくさんの柱がある、大きなつくり。
Abbaye Saint-Ménélée に関する案内掲示
教会内に入るため南西に戻ると、案内掲示がありました。
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それによると、
聖メネレウス(650-720、仏:Saint-Ménélée)は、480年に設立され、その後廃墟となっていたムナ(Menat)修道院を再建した。9世紀には、保護者であるルートヴィヒ敬虔王(仏:Louis le Pieux)が大修道院の地位に引き上げることを決定し、この施設は重要性を増した。クリュニーに統合された時期は定かではないが、1107年に教皇パスカリス2世の勅令により、その加盟が確認されている。
1767年、まだ数名の修道士がいたが、修道院は革命によって終わりを告げた。
現在は、ロマネスク様式とゴシック様式をあわせ持つ、12世紀にさかのぼる非常に保存状態の良い大きな教会となっている。彫刻がほどこされた柱頭があり、そのうちのひとつは洗礼盤に転用され、聖メネレウスの伝説が描かれている。さらに、北には古い回廊とリブ・ヴォールトの部屋が部分的に保存されている。教会の西側にある建物は住居等となっているが、南西の隅など、要塞化された部分が残っており、修道院群の痕跡をうかがうことができる。
とのことです。
では、建物内に入ります。
回廊と教会の北側
南西の扉口から入ると、北が回廊へ、東が教会に導いてくれます。
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まず、回廊へ行きます。
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ふぞろいの敷石が、好ましい。
北に進んで東を向くと、教会の北側が見られます。
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東に進んで西を振り返ると、いくつかの柱が並んでいます。
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ロマネスク様式を感じないので、教会に行きます。
教会へ
入ってすぐの場所にあるのが、洗礼盤に転用された、聖メネレウスの伝説が描かれている柱頭のようです。
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四つの面をみます。
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インターネットで得た情報ですが、聖メネレウスの生涯はこんな感じ↓です。
聖メネレウスは7世紀半ばにフランス北西部に生まれました。父は有力な領主で、息子を後継者とするべく、ふさわしい領主の娘と結婚させようとします。幼い頃から非常に敬虔な性格だった聖メネレウスは瞑想と祈りを好み、神に身を捧げることを選択。結婚式の前日に、2人の若い召使を連れて逃げ出します。オーヴェルニュに到着した3人は、テオフレードという修道士に出会い、彼に従ってサン・シャッフル(Saint-Chaffre)修道院に行き、そこで7年間を過ごします。聖メネレウスは、あるビジョンを見て、ムナ(Menat)で廃墟となった古い修道院を再建することを決意。これに成功して修道院長となり、ムナは繁栄します。聖メネレウスが720年に亡くなると、彼の召使の1人が後を継ぎました。
この修道院町の中興を成し遂げたんですねえ。
話をロマネスクに戻します。身廊はロマネスク様式。
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次回、お楽しみの、身廊の柱頭彫刻を見ます。
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