2018年9月の旅行五日目、四番目の目的地はAutun。ラ・ロシュポ(La Rochepot)から西に約33km、車で約32分の道のりです。
ここでの目的はサン=ラザール大聖堂(Cathédrale Saint-Lazare)とロラン博物館(Musée Rolin)。
インターネット(Autun Art et Histoire や Le site sur l’Art Roman en Bourgogne)で得た情報によれば、Autunは長い歴史のある都市で、紀元前1世紀ごろにローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスによって建設され、アウグストドゥヌム(Augustodunum)と名づけられました。4世紀に司教座が置かれ、5世紀には現在の場所に大聖堂が築かれて聖ナザリウス(フランス名:サン=ナザール)に捧げられました。
大聖堂は10世紀に聖ラザロ(フランス名:サン=ラザール)の聖遺物を受け入れます。これは5世紀にマルセイユの最初の司教をつとめた聖ラザロの聖遺物でしたが、名前が同じだったためにマグダラのマリアの兄弟でイエスの友人だった聖ラザロと勘違いする人が続出。一大巡礼地として信者が押し寄せ、増え続ける巡礼者を許容するため12世紀に大規模なロマネスク様式の大聖堂が建築されました。
15世紀に火事で鐘楼が内陣に崩落して再建工事が行われ、18世紀に司教座聖堂参事会(chapter)が「野蛮な趣味だ」という理由で複数箇所を破壊して19世紀に大修復工事が行われ、現在の姿になりました。
大聖堂の北東150mにある駐車場(Parking Hallencourt)に車を停めて徒歩2分で大聖堂へ。北東から見た大聖堂です。
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通常は後陣が東に、façadeは西になるように造られますが、この建物は後陣が東というより南に、façadeが西というより北にあります。
グーグルマップの画像がこちら。黄色い☆マークの建物が大聖堂で、北が上です。
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教会を南東から見ます。
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東翼廊の扉口から中へ。
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修復の真っ最中でした。
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覆われていない部分は、ほんの少しだけ。
「東方三博士の礼拝」とか
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「エジプトへの逃避」とか
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「キリストの誘惑」とか
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こんなのとか。
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聖堂内をほとんど見られませんでしたが、めげずに有名なティンパヌムを目指します。
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「最後の審判」
北側は特に大聖堂のすぐ側まで隣の建物が迫っているので、すごく写真をとりにくいんです。上の写真はかなり頑張りました。
インターネット(Autun Art et Histoire や Le site sur l’Art Roman en Bourgogne)で得た情報によれば、1766年に司教座聖堂参事会(chapter)が「野蛮な趣味だ」という理由で複数箇所を破壊したとき、このティンパヌムはしっくいで塗り固められた(しっくいで固めてるときイエスの頭が壊れたけど1948年に元に戻された)んだそうです。
フランス革命のとき、本当にたくさんのキリスト教美術が破壊されましたが、しっくいで塗られていたおかげでこのティンパヌムは破壊されなくて済んだのかもしれないと思うと、歴史って不思議なものだなあと思います。
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近寄ってしっかり見ることができました。ティンパヌム中央のキリスト、こうしてみると平べったい。
最後に、南西へ。
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旧図書室に展示されている彫刻をみます。
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ここは有料です。一人€2。
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お金を払うとき、店番の女性が「ここは大聖堂への入り口ではありませんが、よろしいですね?柱頭が展示してあります。写真撮影もフラッシュも大丈夫です。」とのこと。
もちろん、ばんっばん、写真とりました。
内部に掲示してあった案内によれば、旧図書室は1520年に南翼廊の延長線上に建設され、19世紀まで図書室として使用されて西暦1000年以前のものを含む貴重な写本が保管されていました。現在、23の柱頭彫刻と二つの持ち送りが展示されており、恐らく柱頭は1125年から1135年まで Autun の建築に携わった Gislebertus と同じ時代のもの、だそうです。
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「ピュグマイオイ(別名:ピグミー)とツルとの戦い」。ピュグマイオイはギリシャ神話に登場する小人です。現地の案内によれば、ホメロスの『イーリアス』にピュグマイオイはツルと闘争を繰り広げると書いてあり、中世の時代にはピュグマイオイは使徒が伝道する対象として特別な人たちと考えられていたそうです。
中世の時代には、犬の頭を持った人や大きな足を日傘にする人など、世界には色んな人がいると考えられていて、そういう人たちに伝道してキリスト教に改宗させることがとても意義深いと思われていたと、どこかできいた気がします。特別な人たちって言うのは、そういう意味かも。
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「バラムとロバ」旧約聖書の民数記22章
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「ヒッポグリフ」現地の案内によれば、ヒッポグリフは伝説の生き物で上半身は鳥のように羽毛、翼や爪があり、下半身は哺乳類のように蹄や尾を持っています。こん棒をもった人が背中に乗っていて、なぐりかかろうとしていますが、これは悪と戦う善を表しているそうです。
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「三つ頭の鳥」現地の案内によれば、伝説の生き物で、クリュニーやヴェスレーにも使われるなど中世ブルゴーニュ地方で頻繁に用いられた題材だそうです。
旧図書室の柱頭彫刻、次回に続きます。
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