2018年9月の旅行三日目、三番目の目的地はSaulieu。ディジョン(Dijon)から西に約75km、車で1時間の道のりです。
目指すはサンタンドッシュ聖堂(Basilique Saint-Andoche)。
Saulieu には、わざわざ美食を目的に人が来るってくらい有名なルレ・ベルナール・ロワゾー(Relais Bernard Loiseau)があります。この大通りの中心地を一区画しっかり埋め尽くしているので、町に来るなり、バーンと目に入ってきます。
写真を撮りそこねたのでグーグルマップのストリートビューの画像をお借りします。
Relais Bernard Loiseau の影響でしょうか。この町全体が何だかテーマパークみたいで、ホテルやカフェがいっぱい。不思議なオシャレ感をかもし出しています。
上のグーグルマップの画像の左奥に写っている、横断歩道の所を左折するとサンタンドッシュ聖堂があります。
最初、聖堂の駐車場に車を停めるつもりでしたが、満車でした。駐車場を探して、くるりと一周した後、Hostellerie de la Tour d’Auxois の道を挟んで北側にある木立の中に停めました。
この時、15:00頃。
満車だった聖堂北側の駐車場です。
上の写真で、左に写っているのが後陣です。1360年頃、イギリスとの百年戦争の際にひどく損壊しました。損壊前は周歩廊や放射状祭室を持つロマネスクの優美な姿だったらしいです。現在の姿は1704年に再建されたもの。
正面(西側)に回りました。
鐘楼も百年戦争の時に甚大なダメージを受け、さらに1692年と1734年には落雷の被害もあり、18世紀~19世紀に再建されました。
ファサード(façade)の扉口(portal)は1789年にフランス革命で破壊されて19世紀に造りかえられました。
portal には人がいっぱい。
中に入りたいけど、何だろう?と思いつつ待ちました。しばらくして棺が運び出され、大きな車に載せられて行ったんです。葬式でした。そっか、それで駐車場が満車なわけだと納得。
ようやく落ち着いた頃合を見て、聖堂内に入りました。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps 『Bourgogne roman』に載っていたフロアプランがこちら。
上が東、下が西です。ラテン十字の三廊式。
南の側廊から北を向いて身廊を見上げると、二階の高さにアーケードがあります。
私は、もう、柱頭彫刻が素晴らしくて大興奮してしまいました。目がハートになって口元が緩んで、笑顔になってしまう感じです。
この時まだ葬儀の花を片付けている人が居て、上(柱頭彫刻)を見上げて興奮している私の撮影の邪魔にならないように気を遣ってくれました。いやいや、お邪魔しているのは、こちらですがな。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps 『Bourgogne roman』やインターネット(Le site sur l’Art Roman en Bourgogne)の情報から大聖堂の概要を書きます。
町の歴史は帝政ローマがガリア(今のフランスと北イタリア)を支配していたガロ・ローマ時代に遡ります。2世紀頃、街道沿いの重要な立地だったこの地に布教を行っていた聖アンドッシュが他の2名と共に訪れ、殉教したと言われています。
その聖遺物を持つ教会には6世紀にベネディクト会の修道院が創設され、多くの巡礼者が来るようになりましたが、8世紀にサラセン人によって破壊されました。恐らく8世紀のうちにカロリング様式で再建されましたが、戦争や略奪によって荒廃し11世紀の初めには廃墟の状態だったそうです。
12世紀にオータン(Autun)の司教によってロマネスク様式で再建されました。当時は長さ70m。現在の長さ42.5mよりも大きくて、周歩廊(ambulatory)や放射状祭室(radiating chapel)を備え、鐘楼の一階部分にはナルテックス(narthex)があり、二階部分には聖ミカエルに捧げられた礼拝堂がありました。
(narthex とは、聖堂の玄関広間です。初期キリスト教時代には、未だ洗礼を受けていない人のための場所でしたが、後にその役割は無くなりました。)
残念ながら、この narthex は15世紀にオルガンを設置するために取り壊されました。それどころか、14世紀には百年戦争でイギリス人によって、16世紀には宗教戦争でプロテスタントによって後陣や内陣が破壊されました。さらに、1692年と1734年には雷によって鐘楼が破壊され、1789年にはフランス革命によって façade の portal が破壊されました。
18世紀~19世紀にかけて大規模な修理が行われて現在の姿になったんです。そして20世紀の発掘調査で、ロマネスク様式やカロリング様式の建築の基礎が確認されています。
非公開ですが、内陣の下には地下聖堂(crypt)があるんです。なんと、このcrypt、カロリング期の遺構が残るもので、二つの部分に分かれていて、後陣に円形聖堂(rotonde)があるんだそうです。
何はともあれ、柱頭彫刻がとにかく素晴らしい。現地に案内が掲示してありました。
19世紀に修復されていますが、あまり激しく修復されていないのも好感度を高めてくれます。
では、いきます。
「闘鶏」
現地の案内掲示によれば、闘鶏で倒された鶏の持ち主と倒した鶏の持ち主だそうです。
表情が良いので、アップで。
うっ!はっ!
「牧歌」
アップ
「クマ」
現地の案内掲示によれば、熊の目覚めは春の印だそうで、闘いや農作業といった活動が始まることを示すそうです。
角度を変えると、人が熊の尻尾をつかんでいることがよく分かります。
「キリストの誘惑」
(新約聖書『マタイによる福音書』4章、『マルコによる福音書』1章、『ルカによる福音書』4章)
ハンサムなイエスに対して悪魔が面白い。悪魔の足が素敵です。
「バラムとロバ」
(旧約聖書『民数記』22章)
このロバには天使が見えてて、、、ロバなのに、しゃべるんですよ~
有名な「エジプトへの逃避」
(新約聖書『マタイによる福音書』2章)
聖母マリアの横顔がりりしい。
角度を変えて。
先頭を歩くヨセフが重い表情で、聖母マリアも緊張の面持ちなのに、ロバがめっちゃうれしそう。最高です。
「怪物」
きもかわいい。柱の上にいきなりこんなのがいるんです。良いでしょ。
かわいいので、アップにします。
思った以上に指先の表現が細やかなことに驚きます。
きもかわいさ、アップで倍増。
「ユダの首吊り」
ユダの顔が強烈です。
新約聖書の『マタイによる福音書』27章には、こうあります。
3節 そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、
4節 「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
5節 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
えええ?あっという間に後悔して、首吊り自殺ぅ?という場面。びっくりです。
個人的に、うれしそうなロバがいる「エジプトへの逃避」と同じくらい気に入ったのが、こちら。
「キリストの出現(またはノリ・メ・タンゲレ)」
(新約聖書『ヨハネによる福音書』20章)
イエスの衣服の曲線が場面に動きを与えていて、マグダラのマリアがイエスを見上げる目に敬愛を感じます。
別の角度から。イエスの表情が慈愛に満ちて見えます。
ほんの少し角度を変えるだけで、すごく表情が変わって見えることに驚きました。腕の良い石工が何度もじっと眺めて、丁寧に仕事をしたんだろうな、と。
Saulieu には、珠玉のロマネスク彫刻があります。
興奮が冷めないまま、出発しました。
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