2023年7月31日(月)、最初に訪れたのは Casorezzo。Oratorio di San Salvatore です。
ここは、フレスコ画が素晴らしいです。
私は Facebook から WhatsApp して訪問を予約しました。
目次
1. Casorezzo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
4-1. 南壁のフレスコ画:「ご訪問」、「神殿奉献」
4-2. 北壁のフレスコ画:「イエスの復活」
1. Casorezzo へ
私は Airbnb をチェックアウトし、南西に約45km、52分ほど運転して、落ち着いた町の北の端に着きました。11:15頃のことです。
予約した時刻11:30を少し過ぎた頃、婦人が来て Oratorio の鍵を開けてくれました。
通常の教会とは反対を向いています。東側に主扉口があり、西を向いて祈りを捧げる配置です。
2. 概要
Oratorio の中に案内掲示とリーフレットがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
最初の文書記録’ecclesia campestri Domino Salvatori’は922年に遡る。
この後も、案内掲示を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
Oratorio の中の案内掲示に平面図がありました。東が左です。
平面図は、aもbも、1991年〜1992年に行われた考古学的発掘調査に関するものです。
a この図面の参照番号168.67には、教会の中央に位置する円形の台座があり、古い祭壇の可能性がある。
b 建設段階
第1期(1000年以前)
103-104: 炭化した梁。かつての建物の遺構かもしれない。
34A、34B、81: 初期の教会の遺構で、壁は川の丸石と泥でできている。
第2期(1000年前後)
112: 西側ファサード
118、121: 東側後陣
111、113: 側壁の幅7.60~7.80メートル、長さ9.80メートル、後陣の幅3.40メートル。
第3期(1000年~1100年)
115、117: レンガを使用し教会を2.00メートル延長、新しい後陣の幅5.40メートル。
第4期(1500~1600年)
116: 東側後陣を解体し、現在のファサードと新しい後陣を建設。
ファサード、内陣と後陣は16世紀〜17世紀にロマネスク期(11世紀〜12世紀)のものが解体され、東西の向きを逆にして再建されました。
身廊の南北の壁は11世紀〜12世紀のものです。
4. 内観
Oratorio の中に入ります。
身廊の南北の壁には、フレスコ画がたくさんあります。
フレスコ画は、11世紀から16世紀のものと考えられています。
11世紀〜12世紀のフレスコ画をみます。
4-1. 南壁のフレスコ画:「ご訪問」、「神殿奉献」
たぶん11世紀〜12世紀には、身廊南壁に、イエスの誕生と幼年時代にまつわる場面がたくさん描かれていたと思います。
はっきりと残っているのは二つの場面です。
一つの場面は「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章40節)だと思います。
聖書には「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。」と書いてあります。(ちなみにエリサベトの胎内の子は、のちの洗礼者ヨハネ)
胎内の子がおどった、って、良いですよね。
聖霊に満たされた瞬間のスナップショット。
もう一つの場面は「神殿奉献」(『ルカによる福音書』2章22節〜38節)だと思います。
預言者シメオンが、手に布を載せて幼子を迎えています。その後ろにいるのは預言者アンナだと思います。
預言者シメオンは、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていました。イエスに会ったシメオンは、ようやく安らかに去る(死ぬ)ことができました。
4-2. 北壁のフレスコ画:「イエスの復活」
たぶん11世紀〜12世紀には、身廊北壁に、イエスの受難と復活にまつわる場面がたくさん描かれていたと思います。
いくらか残っているのは二つの場面です。
一つの場面は「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章)だと思います。
「イエスの復活」は『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章にも書かれていますが、細かい描写がマタイ書の記述(2人のマリアと天使が登場する)に従っています。
もう一つの場面は天使の一部が残っているばかりです。
11世紀〜12世紀には、壁じゅうがフレスコ画でいっぱいだったことでしょう。きっと、圧倒されたと思います。
Oratorio di San Salvatore。フレスコ画が素晴らしいです。
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