2023年7月28日(金)、最初の目的地は Spurano。Chiesa di San Giacomo です。
ここは、Como 湖西岸の湖畔にあります。その佇まいと内部の壁画が素晴らしいです。
教会は聖ミサのために開きます(2023年7月現在の情報です)。私はインターネットで教区の聖ミサの予定を調べ、2023年6月と7月は金曜8:30から聖ミサがあると知りました。
目次
1. Spurano へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観.
4-1. 南壁の「聖クリストポルス」.
4-2. 北壁の「旧約聖書と新約聖書の場面」.
5. 東側外観(後陣) .
脚注(1) 聖クリストポルス ..
1. Spurano へ
私は Airbnb を6:00に出発し、北に約60km、70分ほど運転して、Como 湖西岸の駐車場に着きました。教会から200メートルほど南西にある無料駐車場(Free public parking)です。10台くらいしか停められない、道路脇の狭い駐車場なのですが、幸い1台分だけ空きがありました。
睡眠時間を削って、こんな早朝に来たのは、8:30から始まるという聖ミサの前に、教会の中を見学させて欲しいから。
私は駐車場に車を停め、どきどきしながら教会に向かって歩きます。
教会が開いていますように。。。
あ、開いてる。
教会が開いていたので、私はとてもうれしかったです。
張り紙がありました。「7月28日(金)15:00からXXXX氏の葬儀が教区教会 S. Eufemia a Isola Ossuccio で執り行われます。Chiesa dei Ss. Filippo e Giacomo a Spurano での8:30からの聖ミサは中止です。」
聖ミサが中止になったのに、教会を開けてありました。聖ミサがなくても祈りを捧げたい信者への配慮かもしれません。私にとってたいへん幸運でした。
7:30頃のことです。
2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
教会は、1169年の文書にすでに記載されており、おそらく11世紀に遡るが、鐘楼は13世紀のものである。当初、教会は身廊が短く、扉口はvia Reginaに面した側のみであった。その後、小礼拝室(oratorio)の内部に興味深い壁画が加えられた。
via Regina はコモ湖西岸を結ぶ古道です。ローマ人はこの主要な幹線道路に王の道(Via Regia)という名前を与えましたが、その後、ロンゴバルド女王テオドリンダ(Teodolinda)にちなみ、女王の道(Via Regina)と呼ばれるようになりました。何世紀もの間、Via Regina は、Como と Milano、そしてアルプスの北と南を結ぶ主要な道として、数多くの商人や旅人などが行き交いました。
右の壁に描かれた「聖クリストポルス」と「聖人」、左の壁に描かれた「旧約聖書と新約聖書の場面」が制作されたのは、おそらく11世紀のことであろう。後の段階、おそらく14世紀には、身廊が長くなり、新しいファサードが造られ、16世紀には聖具室が増築された。
これらの工事と並行して、15世紀から16世紀にかけて第二の装飾段階が始まった。右側の壁には「聖母子像」と「聖ヒエロニムス像」、左側の壁の外側の古い扉口の上には「聖ヤコブ像」、後陣には一連のフレスコ画が描かれたが、現在は失われている。その他の壁画は17世紀に追加されたもので、左の壁には「聖アントニウス」、聖具室の外壁には「聖母子」と「聖ロクスとセバスティアヌス」が描かれている。
20世紀には様々な改修が行われた:当初、聖具室は取り壊され、石造りの支柱が固められたが、その後、Comoにおける合理主義の代表的な建築家の一人である建築家Pietro Lingeriの指揮の下、モノフォラ(開口部が一つの窓)が再び開かれ、湖に向かう階段が付け加えられ、内部のフレスコ画の一部が明るみに出された。2002年から2003年にかけて、内部のフレスコ画と側面の扉上部の絵画が修復された。
この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が上です。
では、見学しましょう。
4. 内観
細くて縦に長い身廊には、壁画がいっぱいです。
右の壁に描かれた「聖クリストポルス」と「聖人」、左の壁に描かれた「旧約聖書と新約聖書の場面」が制作されたのは、おそらく11世紀のことであろう。
11世紀頃のものとされている壁画をみます。
4-1. 南壁の「聖クリストポルス」
最も目をひくのが、南壁の「聖クリストポルス(1)」です。
ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』によると、聖クリストポルスは庶民の出で、いかつい面貌の持ち主だったらしいのです。
でも、、、
衣服が豪華です。
顔がハンサムです。
さらに、クリストポルスなのにキリストを肩にのせていない姿です。
たぶん、11世紀に描かれたからかな、と思います。Galliano に11世紀に描かれたと考えられている聖クリストポルスのフレスコ画があります。現地の説明パネルに「聖人の身体は、ビザンチン宮廷の高官に典型的な、宝石をちりばめたチュニックとクラミスを身にまとっており、12世紀以降に図像学上の習慣となる、子供姿のイエスを肩に担ぐことはしていない。」と書いてありました。
それはさておき、クリストポルスがハンサムでかっこいいから、私は好きです。
4-2. 北壁の「旧約聖書と新約聖書の場面」
北側の壁画をみます。
北壁には、南壁よりも多くの壁画が残っています。
まず下段を左から右へ、次に上段を右から左へ、とみます。
下段の左端に描かれているのは、「アダムとエバ」(旧約聖書の『創世記』3章)だと思います。
アダムもエバも体の線が美しいです。そして顔が小さく、手足が長い。
「アダムとエバ」の右に描かれているこちらは、なんの場面かよく分かりません。
右端(内陣)をみます。上段には、半円形のテーブルの中央に座るイエスが描かれています。
「最後の晩餐」(新約聖書の『マタイによる福音書』26章、『マルコによる福音書』14章、『ルカによる福音書』22章、『ヨハネによる福音書』13章)かもしれません。
左隣(身廊の北東の端)では、イエスは右端に描かれています。座って、弟子たちの方を向いているようです。
もしかすると「ペトロの足を洗うイエス」(新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章)かもれません。最後の晩餐のとき、有名な「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」という言葉の前に、イエスは弟子たちの足を洗います。
左隣には、ひざまづいて祈る人物(たぶんイエス)と、眠る弟子たちが描かれています。
「ゲツセマネの祈り」(新約聖書の『マタイによる福音書』26章、『マルコによる福音書』14章、『ルカによる福音書』22章)だと思います。イエスが、最後の晩餐の後に、オリーブ山のゲツセマネというところで、父なる神に祈る場面です。
次の場面は、「ユダの接吻」(新約聖書の『マタイによる福音書』26章49節、『マルコによる福音書』14章45節、『ルカによる福音書』22章47節)だと思います。
イエスを裏切ったユダが、イエスに接吻します。イエスを捕らえようとする祭司長たちに、どの人がイエスであるかを知らせるためです。
壁画には、イエスに近づくユダが描かれています。また、大祭司の手下の耳を切り落とす聖人も描かれています。
次の場面は、「辱めを受けるキリスト」(新約聖書の『マタイによる福音書』27章49節、『マルコによる福音書』14章45節、『ルカによる福音書』22章47節)だと思います。
十字架にかける前に、総督の兵士たちは、イエスの頭に茨の冠を載せ、右手に葦の棒を持たせて、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、辱めます。
壁画には、右手に葦の棒を持たされるイエスが描かれています。
これより先の物語については、壁画が失われているために、何が描かれていたのか分かりません。でも、聖書に忠実に描かれているので、十字架にかけられるイエスなどが描かれていたかもしれないと思います。
5. 東側外観(後陣)
外に出て、後陣をみます。
湖畔に佇む姿、ため息が出るくらい美しいです。
Chiesa di San Giacomo。Como西岸の湖畔にあります。その佇まいと内部の壁画が素晴らしいです。
脚注(1) 聖クリストポルス. ↩️
13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』(前田敬作・西井武訳)の記述によれば:
クリストポルスは、洗礼を受けるまではレプロブスという名であったが、受洗後クリストポルス(Christophorus)とよばれるようになった。<キリストをになう者>という意味である。
訳註によると、452年9月22日カルケドンである教会が彼にささげられたことが碑文からわかっているので、実在の殉教者であることは、ほぼ確実なのだそう。
カナアンの庶民の出で、巨大な体驅といかつい面貌の持ち主で、身の丈は十二キュビトもあった。
訳註によると、1キュビトは45センチメートル。クリストポルスの身長は540cmです。
彼は、この世でいちばん強い王を見つけ出して、その王に仕えようと思いたった。
クリストポルスは、世にならぶものがないほど強いととり沙汰されているある偉大な王に仕えますが、王が悪魔をこわがっているため、悪魔に仕えることにします。しかし、悪魔がキリストを怖れているため、キリストをさがしに出かけます。ある隠修士が、彼に、むこう岸へ渡ろうとして多くの人たちが命を落とす川で、人びとを渡してあげるよう言います。川守りとしてキリストに仕えていた彼は、ある日、ひとりの子供を肩にのせて川に入ります。その子供は、鉛のように重くなります。川を渡りきったとき、子供が言います。
「おどろくことはありません、クリストポルス。あなたは、世界はもとより、この世界を創造した者をも肩にのせたのです。」
たいてい、子供の姿のキリストを肩にのせた姿で描かれます。
いわゆる「十四救護聖人」(危急のさいその名を呼んで代願をもとめる聖人)のひとりです。信者たちは、急死のさいや臨終の秘蹟(悔悛、聖体拝領、終油の三つ)を受けられないようなときに聖クリストポルスの名を呼びます。このため、たびたびペストが大流行した中世の時代にさかんに崇敬されました。
旅人の守護聖人。いまでも交通安全祈願などで人気の高い聖人です。
ところで、訳註によると:
伝承のいちばん原初的な形は、レプロブス(Reprobus)という犬頭人身の人食い族がキリスト教の洗礼を受けてクリストポルスとよばれ、同時に人間の言葉を解するようになるという説話であったという。この犬頭のレプロブスがカナアン生まれの巨人とされるようになったのは、西欧の伝承においてであって、犬(canis)をcanaanに置きかえたのであろう。犬もカナアンも、下賤なもの、野蛮なものの代名詞であり、侮蔑の意味がこめられている。レプロブス(Reprobus)という名前も、reprobare(なじる、拒斥する)という動詞から来ている。
私は犬頭の聖クリストポルスはなじみがありませんが、いつかどこかで見かけるかもしれません。
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