2022年8月11日(木)、四番目に訪れたのは Riom。Basilique Saint-Amableです。
ここは、大きな町の立派な聖堂なのでみておくべきだろう、という気持ちで行きました。柱頭にロマネスクがあります。
Riom へ
私はショリア(Chauriat)から北西に32分ほど車を運転して、すごく大きな町につきました。 16時半頃のことです。
西側ファサードも鐘楼も、残念ながら私の好みではありません。
Basilique Saint-Amable の概要
教会の中に案内板がありました。一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮った写真を載せます。
修道院からバシリカへ
5世紀、リオムの司祭アマブルは、聖ジェルバシウスと聖プロタシウスに捧げた礼拝堂の跡に、聖ベニグヌスを称える教会と洗礼堂を建てた。彼の死後(475年)、アマブルの祝福が宣言された。彼の遺体はクレルモンに埋葬され、彼が建てた教会の新しいクワイヤに移された(640年)。そして、この教会には「サン=アマブル」という名前が付けられた。聖職者の共同体があり、1077年からは聖アウグスティヌスの会則に従う修道士の参事会が置かれ、16世紀には世俗的なものになった。その後、旧修道院の精神的な指導を受けながら、兄弟団が部分的に時間的な管理を保証している。19世紀に修復(1855-1859年)され、ラミーの壁画によって装飾(1883年)が施された。1840年に歴史的建造物に分類され、1912年に小バシリカに格上げされた。
小バシリカ(Basilica Minor)って、2016年に大浦天主堂が日本で初めて認可された時に話題になりましたよね。「教皇が推奨する特定の歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要で、活気に満ちた信仰共同体の中心となっている教会」のことで、教皇庁典礼秘跡省が認可し、全世界には約1700以上あるそうです。
サン=アマブルは、クレルモン大聖堂に次いで、教区で最大の建物である。あらゆる時代の痕跡が残っており、考古学的な興味は否定できない。
側廊に挟まれた身廊は、ロマネスク建築によく見られる構造だが、大きなアーケードやアーチの切れ目、ヴォルヴィック石の使用などから、後期、おそらく12世紀末のものであろう。
周歩廊と放射状祭室を持つクワイヤ(1230-1235)は、オーヴェルニュ地方で初めて現れた北方ゴシック様式の一つで、クレルモン大聖堂のクワイヤ(1248)を彷彿とさせる。
北側の礼拝室は、14世紀末から15世紀初頭の葬儀用で、サント・シャペル(1395-1403)の華麗なゴシック様式に強い影響を受けている。南側の礼拝室は、18世紀の都市計画による回廊の取り壊しの際に、プラン(1747年)とのバランスをとるために作られた。
西側ファサード(1750年)は、王の技師であったディジョンの設計によるものである。
革命のため、交差部と鐘楼が再建された(1855年)。
なんか、すごい立派なことはよく分かりました。
フロアプラン
教会の中にフロアプランがありました。東が上です。
それぞれの色は、建築時期を示します。
一番暗い色が12世紀末を示すので、身廊の柱頭が該当します。
Basilique Saint-Amable の内観:柱頭彫刻
古典的な植物模様が多いです。
でも、なんか面白いのが混ざってます。
よく見ると、ほら。
こっちにも
やっぱり、なんか妙なのが混ざっています。
Basilique Saint-Amable。柱頭彫刻が面白いです。
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