Castell’Arquato、続きです。回廊と博物館(Chiostro e Museo della Collegiata)をみたので、参事会教会(Collegiata di Santa Maria Assunta)を詳しくみます。
詳細については、私が博物館で買った案内を和訳して参照します。
参事会教会の歴史
756年に、被昇天の聖母マリアに捧げられた教会が建てられました。
司教座聖堂参事会員であるピエトロ・マリア・カンピ(Pietro Maria Campi)は、『ピアチェンツァ教会史』(原題:Historia ecclesiastica di Piacenza)の中で、次のように書いています。
”デシデリオ王の治世に…ピアチェンツァの地域で、マーニョと呼ばれる当地の高貴で強力な領主が、(キリスト生誕から756年に)場所または土地を建設した。というよりも再建して(以前よりも美しい形で)拡大した。それはカステッロ・クアドラートまたはアルクアドロと呼ばれていた。彼はそこに偉大なる神の母を称える教会を再び建て、多くの贈り物を授けた。”
マーニョによって「再建・拡大」されたオリジナルの教会は、7世紀から8世紀にかけて、ベネディクト会の修道士たちによって、異教の神殿のあった場所に建てられたものであったようです。
789年にマーニョが亡くなると、教会とその財物、そしてCastell’Arquato 全体が、領主自身の遺言によりピアチェンツァ伯司教に渡り、1220年まで維持されました。
1117年1月に、ポー渓谷の多くの建造物を破壊した大地震により、マーニョが建設した教会の建物も大きな被害を受けました。
カンピによれば、わずか5年で教会の跡地に現在の参事会教会が再建され、1122年8月13日に再献納されたといいます。
その後、何世紀にもわたって改築が行われ、特に18世紀の初めに大きく改造されましたが、数十年に及ぶ適切な修復により、参事会教会はほぼ完全に元の姿に戻りました。
参事会教会:外観
外観からみていきます。
なんと、後陣が四つあるんです。
現地にはフロアプランが見当たらなかったので、ゾディアック(Zodiaque)の la nuit des temps によるフロアプランを載せます。
ゾディアックは教会が北向きに近いと言うのですが、個人的には北東向きと思います。さらに、グーグルマップで航空写真を見ると、北東よりいくぶん東に傾いています。
このため、私は、教会が東向きとして書き進めます。
後陣が四つ、という話に戻ります。
後陣のうち、一番南にある場所は、身廊よりも低い位置にある側部礼拝堂として造られた洗礼堂になっています。簡素な8世紀の洗礼盤があります。
ムニチピオ広場(Piazza del Municipio)を北に進み、振り返ります。
参事会教会の北側にはポルティコ付きの華やかな扉口があります。
ルネッタには、13世紀末から14世紀初め頃の浮き彫りがあり、聖母子、聖ペトロと天使が描かれています。
西側をみます。
西扉口は、たいへん簡素です。
西壁の上の方に、ロマネスク様式のビフォラ(開口部が二つの窓)がありますが、この部分だけ石の色が明るいです。大きな円形窓があったものを、もとに戻したっぽいです。
石といえば、建築に使われている石は近所でとれた砂岩です。この土地では化石を多く含むので、よく探すと貝の化石が見つかるそうです。(残念ながら、私はどこにあるやら知りません。)
参事会教会:内観
いよいよ、教会の中に入ります。
三廊式で、身廊と側廊の間の柱に、それはそれは魅力的な柱頭彫刻が並んでいます。
これらの柱頭は、12世紀の再建の際に新しく作られたものもありますが、震災を生き延びた8世紀のものもあると言われています。
柱頭彫刻をじっくりみていきます。
これらの彫刻が見てきた人の営みはどのようなものだったのでしょう。
どの彫刻も簡素でありながら力強くて、とても魅力的です。
Collegiata di Santa Maria Assunta、歴史に思いをしながら柱頭を堪能しました。
・
・
・
・
・