Abbazia di San Colombano、続きです。教会(Parrocchia di San Colombano)の舗床モザイクを、より詳しく見ます。
12世紀に描かれた舗床モザイクは当時の身廊の床に描かれたもので、元の寸法は不明ですが、中央の身廊の大きな部分を占めていました。描かれている主なテーマは「マカバイ記」、「幻獣の戦い」、「月暦」です。
現地に全体図がありました。
上の画像を編集して、どの場所に何が描かれているかを私が書きました。
現地では、しっかり見える現物は手前のモザイクだけ。しかも前回お伝えした通り逆向きです。
いまどき、ウェブにあるんじゃないの?と思って検索したら、、、
ありました。
公的支援を受けて立派にマルチメディア化されていました。
こちらの画像をクリックするとご覧いただけます。
鮮明な動画で詳細を見ることができて、大変ありがたい。
こちらの動画のスクリーン・ショットを使って、より詳しくみます。
「マカバイ記」
旧約聖書続編の『マカバイ記一』と『マカバイ記二』は、いずれも紀元前2世紀前半にユダヤ人に対する宗教的な迫害のゆえに起きた闘争を物語ります。
こちらのモザイクでは、祭司マタティアがユダ・マカバイに軍旗を渡しています。
紀元前2世紀前半、アレクサンドロス大王の後継者の一人セレウコス1世の建てたセレウコス朝の王アンティオコスは、エルサレムを占領するとエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害して偶像崇拝を強要していました。
死期が近づいた祭司マタティアが、ユダ・マカバイを含む5人の息子たちにこう語ります。
『マカバイ記一』2章
66節: ユダ・マカバイは若い時から力が強い。彼はあなたがたのために軍隊の指揮者となり、諸国民との戦いを戦い抜く。
67節: お前たちは、律法を実践する者全員を連れて来て、民のために徹底的に復讐せよ。
68節: 異邦人たちには徹底的に仕返しし、律法の定めを固く守れ。」
この後、軍隊の指揮者となったユダ・マカバイは兄弟たちと共にシリア軍と戦い、司令官アポロニオスを破って打ち殺し、アポロニオスの剣を奪うと、彼は終生この剣で戦いました。次いで司令官セロンに不意打ちをかけ、セロンとその軍勢を粉砕します。
アンティオコス王が、高名で血縁に当たるリシアスに、イスラエルの兵力とエルサレムに残留している者どもを根こそぎにせよと命じると、リシアスは王の友人の中からドリメネスの子プトレマイオス、ニカノル、ゴルギアスを選び、四万の歩兵と七千の騎兵を彼らと共に派遣し、ユダの地に攻め入って滅ぼそうとします。
ユダとその兄弟たちはシリア軍を撃破。ついにエルサレムを奪還し、神殿でのユダヤ教の礼拝を復活させたのです。
その右隣のモザイクに目を移します。
描かれているのは、アンティオコス軍との戦いの場面。槍や剣、盾を持った部隊が衝突し、要塞から射手が矢を放ち、守備隊は石を打っています。
さらに右に目をやると、防具をつけた大きな象に守られながら”milites”と書かれた部隊が前進しています。それに対して、”antiochia”と書かれた要塞から出てきた兵士たちのうちの一人、エレアザルが身を投じて象を槍でついています。最後に、右端のアンティオコス王は味方の兵士の報告を受けてテントから指示を出しています。
エレアザルはユダ・マカバイの5人の息子の一人です。
彼が象を突き刺すのは、『マカバイ記一』6章の場面。
44節: 彼は自分の民を救い、不朽の名を獲得するべく自分の身を投じた。
45節: 彼は大胆にも、密集部隊のただ中にいるその象に向かって突進し、右に左に敵をなぎ倒したので、密集部隊は左右に分かれた。
46節: 彼は象の下に入り込み、象を突き刺して、殺した。象が地に倒れて、彼は下敷きになり、その場で死んだ。
戦場となったベトザカリアで、エレアザルは象に王が乗っていると思い込んで象を殺したのですが、王は乗っていなかったためエレアザルの犠牲は無駄になりました。ユダは後退。エルサレムは包囲されますが、シリア側で王子を養育していたフィリポスが政権を乗っ取ろうとしていると報告を受けたリシアスはユダと和平を結び、撤退しました。
でも、変ですよね。
エレアザルが象の下敷きになって死んだのはベトザカリアの地と聖書に明記してあります。モザイクには、どうしてアンティオキア “antiochia”と書かれているのでしょう。単なる間違い?それとも何かの象徴でしょうか?
謎です。
次のモザイクに目を移します。上の段にはユダ・マカバイに攻められてゴルギアスが敗走する場面が描かれています。
ゴルギアスが敗走するのは、『マカバイ記二』12章の場面。
35節: バケノルの部隊の一人で屈強な騎士ドシテオスが、ゴルギアスにぴったりと付き、そのマントをつかみ、力強く引っ張った。彼がこの呪われた男を生け捕りにしようとしていると、トラキアの騎兵の一人が彼に襲いかかり、その肩を打ち砕いたので、ゴルギアスはマリサへと逃げ延びた。
恐らく敗走するゴルギアスが要塞に逃げ込む様子が描かれていたと想像できるのですが、モザイクが損傷しているのではっきりとは分かりません。
「幻獣の戦い」
前回にご紹介した「幻獣の戦い」については、正しい向きでの画像をおひとつ。
「月暦」
月づきの仕事と黄道十二宮が描かれます。素朴な図柄が多くて私は大好きです。
ここボッビオの月暦は3月から始まって2月で終わるような配置です。古代ローマの暦では3月(martius)が一年の最初の月だったからでしょうか?(一年の最初の月が ianuarius になったのは紀元前2世紀後半から紀元前1世紀前半のことです。)
では、3月からみていきましょう。
3月は残念ながら損傷が激しいのですが、4月はしっかり残っています。3月は乱れ髪で角笛を吹く人、4月は植木鉢と枝を持つ人。
5月と6月。かなり残念な保存状態です。5月は馬に乗る人、6月は鎌で干し草を刈る人。
7月と8月。7月は小麦を収穫する人、8月はブドウの収穫に向けて樽を準備する人。
9月と10月。9月はブドウの房を収穫して桶に入れる人、10月はタネを蒔く人。
11月と12月。11月は枝をたたいて実を落とす人。2頭の豚が熱心に食べているようですが、まだ痩せています。12月は豚を屠る人。豚はすっかり大きくなりました。
1月と2月。1月は二つの顔を持つヤヌスが火の前にすわっている様子が描かれています。ヤヌスは始まりと終わりを司るローマ神話の出入り口(ianua)の神です。2月は斧で枝を打つ人。ブドウを剪定している姿かもしれません。
Abbazia di San Colombanoの中にある教会(Parrocchia di San Colombano)の舗床モザイク、その魅力にぐいぐい惹きつけられます。
・
・
・
・
・