2024年9月4日(水)、四番目に訪れたのはBurgos、サン・フアン修道院(Monasterio de San Juan)です。
ここは、数奇な運命をたどったCerezo de Río Tirónの扉口があります。壮麗で艶やかだった姿がしのばれます。
修道院は、博物館(Museo Marceliano Santa María)として運営されています。2024年9月、博物館は火曜から土曜11:00〜14:00と17:00〜21:00、日曜11:00〜14:00に開いていました。無料でした。
Burgos では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Monasterio de San Juan
<2> Museo de Burgos
目次
1. Burgos へ .
2. 概要 .
3. Cerezo de Río Tirónの扉口 .
1. Burgos へ
ブルゴス(Burgos)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県の県都で、首都マドリードの約210km北にあります。
修道院は町の中心にあります。

向かって左の開口部の金属柵の間から、目当てのロマネスク様式の扉口が見えました。
2. 概要
修道院の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道士Lesmes(フランス、ポワチエ近郊のLoudun生まれ)は5世紀に、アルフォンソ6世(1040-1109)王とコンスタンサ・デ・ボルゴーニャ王妃の認可を得て修道院を創設した。19世紀には修道士たちが修道院から追放され、放置状態が続いた結果、修道院は廃れた。元の教会の残存部分は外壁のみだが、16世紀のルネサンス様式の回廊と修道院会議室は現存している。この建物には、著名な地元画家マルセリアーノ・サンタ・マリア(Marceliano Santa María、1866-1952)に捧げられた美術館が収められている。
この後は、展示の隣にあった説明を引用する時に太字で書きます。
3. Cerezo de Río Tirónの扉口
私は修道院(博物館)に入り、目当ての扉口に直行しました。

ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ジャナ教会(IGLESIA DE NUESTRA SEÑORA DE LA LLANA)の扉口
12世紀
セレーソ・デ・リオ・ティロン(Cerezo de Río Tirón)より
幾重にも連なる円柱が壮麗です。

アメリカに売られる運命にあった扉口です。
この扉口は、おそらくセレーソ(Cerezo)に最初に建てられた教会であるロマネスク様式の教会の一部であった。1804年に教区が廃止されると、この教会は放棄され、石材は略奪された。1929年、東方三博士の礼拝を表す浮き彫りが国外に持ち出され、現在はニューヨークのクロイスターズ美術館に展示されている。
この扉口は、1931年にビトリアで発見された。同様の目的地に向けて出荷される前にブルゴス市によって引き取られ、パセオ・デ・ラ・イスラ(paseo de la Isla)に設置された。2018年にここに移されるまで、同地に保存されていた。
パセオ・デ・ラ・イスラ(paseo de la Isla)は、ブルゴス市内のアルランソン河岸にある公園のような並木道です。
2018年にこの修道院(博物館)に移されるまで、この扉口は野晒しでした。

半円アーチと七つのアーキヴォルトで構成されていて、そのうちのひとつには『ヨハネの黙示録』の楽器を演奏する長老たちが描かれています。

別のアーキヴォルトには、動物たちが彫られています。

柱頭には、王と女王の顔や、幻想的な生き物が彫られています。

その他の柱頭には植物が彫られています。
いくつかの彫刻には、彩色のあとがあります。

艶やかな扉口だったようです。
サン・フアン修道院(Monasterio de San Juan)。数奇な運命をたどったCerezo de Río Tirónの扉口があります。壮麗で艶やかだった姿がしのばれます。
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