カッシーノ(Cassino)

2024年7月29日(月)、五番目に訪れたのはCassino、モンテカッシーノ修道院(Abbazia di Montecassino)です。

ここは、6世紀前半の創設以来、ベネディクト会の中心であり、11世紀には精神的な熱気を放ち、文化的成熟の頂点を迎えた修道院です。修道院内の博物館にその遺産があります。

2024年、博物館は以下の日程で開館していました。
4月~10月:毎日9:30〜18:30
11月~3月:日曜・祝日のみ9:30〜17:15
なお、博物館は有料(€6)です。また、駐車場は1日€3でした。

目次

1. Cassino へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna) .
5. 聖アンナ礼拝堂(Cappella di Sant’Anna) .
6. 写本 .

1. Cassino へ

カッシーノ(Cassino)は、ラツィオ州フロジノーネ県にあり、県都フロジノーネに次ぐ県内第二の人口を有する町です。ナポリから北西へ約80km、首都ローマから南東へ約120kmの距離にあります。

駐車場から博物館への道順を赤い矢印で示します。

赤い矢印に従って進むと、三つの回廊が並んでいる場所に着きます。

三つ並んでいる回廊のうち、真ん中の回廊(Chiostro del Bramante)で大きな階段を上がります。

Chiostro del Bramanteにて東を向く
Chiostro dei Benefattoriにて東を向く

階段を上がった先にある回廊(Chiostro dei Benefattori)の北東角に、博物館の入口(Ingresso Museo)があります。

2. 概要

モンテカッシーノ修道院(Abbazia di Montecassino)の公式ウェブサイトによる歴史です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

529年頃、スビアコ(Subiaco)から古代のカストルム・カシヌム(Castrum Casinum、現在のフロジノーネ県カッシーノ)に移住した聖ベネディクトによって修道院が創設された。

聖ベネディクトは、山頂にあったアクロポリスを利用して修道院を設立した。この修道院は、複数の小さな庵によって特徴づけられていたスビアコ(Subiaco)時代の修道院組織とは異なり、中央集権的で一元的な構造を持っていた。

聖ベネディクトの出身地はヌルシア、現在のウンブリア州ノルチア(Norcia)です。若き聖ベネディクトは3年間の隠遁生活をスビアコ(Subiaco)で過ごし、その後に複数の修道院を設立しました。

聖ベネディクトはすぐにカリスマ的な権威をもって司牧活動を始めた。546年12月、ゴート族の王トティラ(Totila)は、ローマを包囲する直前に彼を訪ね、自分の死が間近に迫っているという予言を受けた。

577年、修道院はロンゴバルド人によって破壊され、修道士たちはローマに追放された。

718年頃、サン・ヴィンチェンツォ・アル・ヴルトゥルノ修道院(Abbazia di San Vincenzo al Volturno)の助けを借りて、共同体が再興された。その後、修道院は宗教的にはその精神的な中心性が認められ、政治的にはローマ教皇庁、ロンバルド人、フランク人の間を仲介する役割を果たしていた。

883年、修道院はサラセン人によって破壊され、修道院長は修道士とともに殉死を遂げた。

11世紀になると、ノルマン人との関係が修道院の繁栄に影響を与えます。

ニコラウス2世の教皇在位中(在位1058-1061)に、教皇庁とノルマン人との間に新たな関係が成熟し、後に教皇ウィクトル3世(在位1086-1087)となるデジデリウス修道院長(1058-1087)がその成功に決定的な貢献をした。修道院長の中で最も偉大な修道院長とされるデジデリウスは、当初は反ノルマン派であったが、やがて南イタリア、ひいてはモンテカッシーノの政治的将来におけるノルマン人の存在の不可避性を理解し、ロベール・ギスカールなどと親交を結んだ。

1061年から1073年にかけ、ローマとノルマンとの均衡政策のおかげで修道院はその栄華の頂点に達した。1071年、デシデリウスはローマ教皇アレクサンデル2世を修道院に迎え、新しいバシリカの奉献式を行った。

当時のモンテカッシーノからは、精神的な熱気と文化的な輝きが放たれていた。デシデリウスの時代には、修道院の偉大な文化的成熟の頂点に達し、彼の前任者たち、特にテオバルドによってすでに推進されていた執筆活動に加えて、修道院全体とバシリカの建築的改築が行われた。

写本を中心とする文化遺産が、すごいです。

13世紀には皇帝と教皇との対立の悪影響を受け、14世紀には大地震で廃墟化するなど、修道院には何度も危機が訪れます。

近代以降については、割愛します。

この後は、修道院の中にあった案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が右です。

案内板より

4. 聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)は、博物館の中にあります。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

聖アンナの回廊は1953年に建てられ、入口には中世の大理石を再利用した小さなポルティコが設けられている。実際、第二次世界大戦後の発掘調査により、柱頭、円柱、控え壁、コーニス、その他の建築要素が発見された。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

九つの台形柱頭がポーチのアーチを支えており、芸術的価値が高い。これらは、白大理石に彫られた浅浮き彫りの繊細な装飾が施されている。各柱頭の四つの面には、アカンサスの葉、槍形の葉、百合、編み込み、6枚の花弁を持つ花、十字を囲む円、器に入った果物、星、星などが描かれている。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

さまざまな大理石作品の正確な出所を示す証拠はない。様式から、デシデリウス修道院長(1058-1066)が依頼した回廊、またはその後継者オデリシウス1世(1087-1105)が依頼した回廊のために彫られたものと思われる。両回廊は、すでに存在していないが、中世の資料に記載されている。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

これらの作品は、フォキス(ギリシャ中部)のオシオス・ルカス修道院にある11世紀のビザンチン彫刻を彷彿とさせる。柱頭が非常に似ている。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

ビザンチン様式の装飾様式との共通点が見られるのは驚くことではない。デシデリウスの時代にモンテ・カッシーノの修道士だったレオ・マルシカヌスによって書かれた年代記(Chronica Monasterii Casinensis)には、このデシデリウスがバシリカの装飾のためにビザンチンから数多くの熟練したモザイク職人や石工を招いたことが記されている。

聖アンナの回廊(Chiostro di Sant’Anna)

3連アーチの中の扉口の奥に、聖アンナ礼拝堂(Cappella di Sant’ Anna)があります。

5. 聖アンナ礼拝堂(Cappella di Sant’Anna)

聖アンナ礼拝堂の内部は、立入禁止でした。

聖アンナ礼拝堂(Cappella di Sant’Anna)

現在の聖アンナ礼拝堂は、1949年から1954年にかけて建てられた。この近代的な建物は、1420年に建てられた以前の教会に取って代わるものである。

この礼拝堂は、現在も死者を祀るミサのために使われており、修道院長オデリシオ1世(1087-1105)が修道士たちの墓地として指定した場所とほぼ同じ場所を占めている。

礼拝堂の内部では、古代の修道院や近隣の教会の作品や美術品を鑑賞することができる。現在の祭壇は、中世時代の柱を復元して構成されている。

床には、デジデリウス大修道院長がバジリカ(1066-1071年)のために注文した色大理石の床の貴重な破片が見られる。

一部に11世紀の壁画の断片などが残っていますが、礼拝堂の内部を歩き回ることができないので、よく見えません。

聖アンナ礼拝堂の右側の壁、後陣に最も近い窓の下には、11世紀の最後の数十年間にデシデリウス大修道院長(1058-1087)によって依頼された、フォルミスのサンタンジェロ教会(Basilica di Sant’Angelo in Formis)の絵画の様式を思わせる天使の絵画がある。この絵画はおそらく、第二次世界大戦の爆撃で破壊されたカッシーノの南にあるサンタ・マリア・エジツィアカ教会(Chiesa di Santa Maria Egiziaca)、別名デッラクア(dell’Acqua)にあったものと思われる。

天使の絵画(11世紀)

後陣には、13世紀の絵画があります。

使徒たちと聖ベネディクト、スコラスティカ、マウルスの間のキリスト
聖アンナ礼拝堂の後陣にある絵は、十字架教会のものである。13世紀初頭に描かれたビザンチン様式の芸術性の高い作品である。

内部では、主題が3つの領域に分けられている。第一の領域では、最上部に、祝福の行為に臨むキリストと、その傍らで崇拝する2人の使徒が描かれているが、その人物を特定するのは難しい(最も有力な仮説によれば、左側がアンデレ、右側がペトロ)。背景は、エンピレアン(神の臨在する場所)を象徴する扇のモチーフが上部を支配する濃紺の空である。

使徒たちと聖ベネディクト、スコラスティカ、マウルスの間のキリスト(13世紀)

中央部には、ベネディクト会の三大代表が描かれている:中央が聖ベネディクト、右が聖スコラスティカ、左が聖マウルスである。

使徒たちと聖ベネディクト、スコラスティカ、マウルスの間のキリスト(13世紀)

6. 写本

博物館の中には、数多くの写本が展示されています。

聖ベネディクトの生涯
モンテカッシーノにおける写本、1058年/1087年

VITA di S.BENEDETTO
Codice miniato a Montecassino, anni 1058/1087

こちらの写本には、幻想的な生き物や動物たちが描かれています。

フラバヌス・マウルス、物事の起源について
モンテカッシーノにおける写本、11世紀(1023年前半)

青い象がかわいい。

cod. 132
HRABANUS MAURUS, DE ORIGINE RERUM
Montecassino, prima metà sec. XI (prima dell’anno 1023)

モンテカッシーノ修道院(Abbazia di Montecassino)。6世紀前半の創設以来、ベネディクト会の中心であり、11世紀には精神的な熱気を放ち、文化的成熟の頂点を迎えた修道院です。修道院内の博物館にその遺産があります。

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