サン=ジュニアン(Saint-Junien)

2024年5月5日(日)、最初に訪れたのはSaint-Junien、Collégiale de Saint-Junienです。

ここは、聖遺物箱がきらきらです。Saint-Junienの墓や身廊と北翼廊のフレスコ画には、共通して黙示録的なテーマが描かれています。

私は事前に役場(mairie)に5月5日に教会が開いているかを問い合わせました。「教会は毎日開いています。」との返信がありました。

目次

1. Saint-Junien へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(フレスコ画) .
6. 内観(聖遺物箱) .
7. 内観(Saint-Junienの墓) .

1. Saint-Junien へ

サン=ジュニアン(Saint-Junien)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県の町です。同県は中央高地の北西端に位置し、かつてのリムーザン州西部にあたります。

サン=ジュニアン(Saint-Junien)は、リモージュ(Limoges)の約29km北西にあります。

北西側外観

教会は、ヴィエンヌ(Vienne)川の右岸、町の中心にあります。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

6世紀、リモージュ司教ロリス2世(Rorice II)は、Saint-Junien の墓の上に小礼拝堂(oratoire)を建てた。その後まもなく修道院(monastère)が建てられた。教会は、繰り返し増改築された。11世紀に現在の建物(身廊〜交差部)に改築され、12世紀(ポーチ)、13世紀(クワイヤ)に完成した。 地元の花崗岩を使用したリムーザン・ロマネスク様式で建てられ、町の創始者である聖人の墓がある。

彩色の彫像(15~18世紀)、フレスコ画、13世紀のリムーザン・エナメルの聖遺物箱が、ここを特別な場所にしている。

この後は、教会の中にあった小冊子や案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

小冊子による平面図です。東が上です。

小冊子より

主に、身廊と交差部が11世紀、ファサードとクワイヤ西側が12世紀、クワイヤ東側と翼廊が13世紀に建てられています。

4. 外観

西に行きます。

南西側外観

地元の花崗岩を使用した建物、重厚感があります。

5. 内観(フレスコ画)

教会の中に入ります。

身廊にて東を向く

身廊の第2柱間の天井に、フレスコ画の大作があります。

ヴォールトの修復工事後、1980年代初頭に再発見されたこれらのフレスコ画は、リムーザン地方では珍しいアンサンブルを形成しており、保存状態も良好である。

1180年頃に描かれた、二十四人の長老と生贄の子羊の黙示録的な幻視をテーマとした広大なフレスコ画である。このフレスコ画は五つの水平の帯で構成されている。中央に子羊が描かれ、その周りを6人ずつの長老たちが取り囲んでいる。長老の描写に様式的な違いがあることから、異なる地域の複数の工房がこの作品に参加したことがうかがえる。

身廊のフレスコ画

北翼廊には、身廊のものよりも古いフレスコ画があります。

北側廊にて北東を向く

「聖クリストポルス」(12世紀初頭)
この堂々たる高さ4.50メートルの壁画は、建物の北側の十字架の壁にある。ニンブスの両側には « S. XPOFORUS MR DNI »(Sanctus Christoforus Martyr Domini)と刻まれている。さらにその下、聖人の腕に置かれた帯には『マタイによる福音書』25章13節から引用された言葉を読むことができる:« Vigilate quia nescitis diem neque horam »

『マタイによる福音書』25章13節
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

「這う男」(11世紀後半)
礼拝堂の二重扉の尖ったアーチの上に、アーチの上を這っているように見える裸体の男が描かれている。かつての墓地に隣接する礼拝堂の入り口に置かれたこの像は、謙虚な人々の生から死への道のりを象徴的に表しているのかもしれない。

北翼廊のフレスコ画:聖クリストポルス
北翼廊のフレスコ画:這う男

「這う男」は、アーチのギザギザに手足をかけている姿が印象的。

6. 内観(聖遺物箱)

リムーザン・エナメルの聖遺物箱は、クワイヤ近くで、うやうやしく陳列してある宝物たちの中央を飾っています。

磔刑像の聖遺物箱(13世紀)

聖遺物箱

磔刑像、栄光のキリスト、使徒の姿などが描かれています。

7. 内観(Saint-Junienの墓

クワイヤには、Saint-Junienの墓があります。

石灰岩に彫刻が施された墓碑、12世紀
ロマネスク彫刻の傑作であるこの墓碑には、Saint Junien、Saint Amand、Saint Théodoreの聖遺物と、真の十字架の一部が納められている。墓は、中世には律修司祭たち(chanoines)しか入ることができなかった、クワイヤの中にある。花崗岩の台座の上に置かれた墓は長方形で、東側と長辺の3分の2に彫刻が施されている。もともとは、かつての主祭壇に組み込まれていたもので、おそらく1816年以前に石膏で追加された部分が剥き出しになっているのはそのためである。

南面の中央には、アーチ型の木製の扉があり、重い鉄細工で保護され、三つの南京錠で閉じられている。この扉を開けると聖遺物にアクセスできる。この扉の下には、2人の天使に支えられた子羊の像がある。南と北の壁面には、『ヨハネの黙示録』で象徴的に述べられているような、神の御座を取り囲む使徒や預言者を表す二十四人の長老が描かれている。

南面

北面には、4人の天使に支えられたマンドルラの中央に聖母子が描かれている。聖母は、右手に百合の花を持っている。幼子イエスは彼女の膝の上に立ち、手を上げて祝福している。

マンドルラに刻まれた碑文はこう記している« AD COLLUM MATRIS PENDET SAPIENCIA PATRIS, ME CHRISTI MATREM PRODO GERENDO PATREM, MUNDI FACTOREM GENITRIX GERIT ET GENITOREM, MATERNOSQUE SINUS SARCINAT HIC DOMINUS. » (母の首には、父の知恵がある。キリストの母である私は、御父を宿している。世界の創造主を生む彼女は、彼女を創造した方をも生む。そして、胎内に重くのしかかる重荷は主である。)

北面

プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée、19世紀の作家であり歴史的建造物調査官)は、聖母と子羊のマンドルラを支える天使たちについて「翼がなければ、宙返りをする曲芸師と見間違えるような強引な姿勢」と評した。

あらま、言いたい放題。

東面には、四福音書記者の象徴に囲まれたキリストが描かれている。キリストはマンドルラの中に座っており、右手で祝福し、左手で書物を手にしている。碑文はこう記している« HIC. JACET. CORP. SCTI. IUNIANI. IN. VASE. IN. QO. PRIUS. POSITUM. FUIT »(最初に安置されたこの場所に Saint-Junien の遺体が眠っている)

東面

Collégiale de Saint-Junien。聖遺物箱がきらきらです。Saint-Junienの墓や身廊と北翼廊のフレスコ画には、共通して黙示録的なテーマが描かれています。

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