グリオネージ(Guglionesi)<1>

2024年7月31日(水)、二番目に訪れたのはGuglionesi、Chiesa di San Nicolaです。

ここは、三後陣の外観が美しいです。ファサードには、外側と内側に古い浮き彫りが使われていて、ルネッタには動物の対決が彫られています。地下聖堂もあります。

2024年、教会は9:00〜12:00と16:00〜19:00に開いているとされていましたが、私が行った7月31日は朝から晩まで昼休みなく開いていました。

Guglionesi では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Chiesa di San Nicola
<2> Chiesa Parrocchiale di Santa Maria Maggiore

目次

1. Guglionesi へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西側) .
5. 内観(身廊) .
6. 内観(地下聖堂) .

1. Guglionesi へ

グリオネージ(Guglionesi)は、モリーゼ州カンポバッソ県にある町です。カンポバッソ(Campobasso、県都でありモリーゼ州の州都)の約44km北東にあります。

南東側外観

教会は、町の南西の端にあります。

三後陣が美しい。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

教会は、町の中心部から離れた場所に建てられ、現在では13世紀に発展した都市構造の一部となっている。

中世の伝説によると、この教会を建設したのは悪魔であり、ピエトロ・バルリアリオ(Pietro Barliario)がそれを助けたという。彼はサレルノ出身の有名な降霊術師、占星術師であり、その魔術師としての名声は、彼が修行を放棄した後も死後も続いた。

この教会の起源を7世紀に遡るとする学者もいるが、その起源がこの教会を指しているのか、それとも同名の別の教会を指しているのかは、はっきりしない。

ちなみに、町の中心部の広場にあったQRコードのリンク先には、こう書いてありました:「1087年5月に聖遺物がバーリに移されるより前、1049年にグリオネージ(Guglionesi)に聖ニコラウスに捧げられた教会があったことが、古文書資料から判明している。おそらく、歴史的文書に言及されている教会は、現在も見ることができるものと同じものである。」

最初の確かな情報は12世紀に遡り、1117年にイタリア全土を襲った大地震によって深刻な被害を受けた。

再建に関しては、他にも不明な点がある。ロマネスク・ゴシック様式の特徴から、それ以前の建材を利用して13世紀に再建されたという説もある。

16世紀に生きた鋭い観察眼を持つ修道院長、セラフィーノ・ラッツィ(Serafino Razzi)が著書『アブルッツォへの旅(Viaggio in Abbruzzo)』の中でグリオネージ(Guglionesi)について頻繁に言及しているにもかかわらず、この教会についてまったく言及していないのは、奇妙に思える(おそらく中心部から離れた場所にあったためか、あるいは1456年の地震で再び破壊されたためであろう)。

しかし、議論の余地がないのは、再建と内部のバロック様式への改築が18世紀に行われたことである。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が上です。

案内板より

4. 外観(西側)

西に行きます。

建物は、現在のコンテ・ディ・トリノ通り(Via Conte di Torino)の道路建設時に道路のレベルが下がったために現れた基礎の上に立っている。

南西側外観

ファサードの彫刻装飾は、後期ロマネスク様式とゴシック様式の間の微妙な境界を示しているように見える。

上部には、石を交互に配した簡素なバラ窓があります。

西側外観

高さと幅がより大きい中央部分に扉口があり、その上部には、動物(ここでは特にライオンとグリフォン)の対決という図像学的なモデルが示されたルネッタがある。

西扉口のルネッタ

盲アーチを支える柱頭は、植物模様です。

柱頭

上の写真の中で、柱頭の左に、古そうな浮き彫りがあります。

古そうな浮き彫りは、他にもあります。

古そうな浮き彫り

こちらは、両手を挙げた男性のようです。祈りを捧げている姿かもしれません。

古そうな浮き彫り

5. 内観(身廊)

教会の中に入ります。

内部は、アーチと柱頭がゴシック様式であることから、今日では基本的にゴシック様式とされている。身廊と二つの側廊に分かれており、三つの後陣の上に位置する窓から光が差し込む。

身廊にて東を向く

振り向いて西壁を見ると、柱頭に雄牛の顔が彫られていました。

身廊にて西を向く

マトリーチェ(Matrice)にも、(あちらはファサードの表でしたが)同じような雄牛の顔が彫られていたことを思い出します。

ファサード裏の柱頭

1975年以前の内部は、バロック時代に行われた改築や増築が見た目を損ねており、本来の姿を想像することができないほど、著しい様式上の不調和が特徴的であった。

その年、緊急の補強工事の際に現れた後陣部分などの手がかりから、12世紀半ば頃に遡る地下聖堂が発見された。

南北の側廊に地下聖堂への階段があります。

北側廊にて南東を向く

6. 内観(地下聖堂)

地下聖堂への扉は、金属の柵でできていて、施錠されていました。柵の間から中を見ることができました。

地下聖堂北扉口にて南東を向く

地下聖堂は三つの後陣で終わる長方形のプランです。

地下聖堂南扉口にて北東を向く

壁には半円柱があり、植物モチーフの柱頭で装飾されています。

地下聖堂の柱頭

簡素さが良いです。

Chiesa di San Nicola。三後陣の外観が美しいです。ファサードには、外側と内側に古い浮き彫りが使われていて、ルネッタには動物の対決が彫られています。地下聖堂もあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です