ロッケッタ・ア・ヴォルトゥルノ(Rocchetta a Volturno)

2024年7月29日(月)、四番目に訪れたのはRocchetta a Volturno、岩窟の聖母教会(Chiesa di Santa Maria delle Grotte)です。

ここは、元々は岩窟教会だった可能性が高い教会です。13世紀末から14世紀初頭の壁画があります。

私は自治体観光局の公式ウェブサイトから訪問を予約しました。

目次

1. Rocchetta a Volturno へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(南扉口) .
5. 内観(大広間) .
6. 内観(小広間) .
7. 内観(岩窟) .
8. 聖母子像 .

1. Rocchetta a Volturno へ

ロッケッタ・ア・ヴォルトゥルノ(Rocchetta a Volturno)は、モリーゼ州イゼルニア県にある村です。モリーゼ州の州都であるカンポバッソ(Campobasso)の約49km西にあります。

教会は、山の中にあります。

南東側外観

そして、教会の北側は、岩の中。

南西側外観

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

教会の創建に関する確かな情報はないが、近くにあるサン・ヴィンチェンツォ修道院(abbazia di San Vincenzo)の歴史と関係があることは明らかである。

街道から外れているように見えるこの場所も、実は、サン・ヴィンチェンツォ修道院(abbazia di San Vincenzo)とモンテカッシーノ(Montecassino)を結ぶ基本的な古代の街道に近接しているのである。そのためこの教会は、巡礼者や旅人にとって必須のルート上にあったはずで、教会内にある聖クリストポルス(San Cristoforo)の像がそれを証明している。

何人かの学者によれば、建物のすぐ近くにオイルやワインの生産に必要な一連の設備が発見されたことは、この教会が、この地域の農業組織を管理する、より複雑な修道院の複合施設の一部であったことを示している

この仮説は、建設計画によっても裏付けられる。ヴォルトゥルノ(Volturno)川の川底から採取したアラバスターを用いて部分的に岩窟に建てられたこの建造物は、全体として三つのつながった空間から構成されており、そのうち最初の空間の奥には礼拝室として使われた部屋がある。

元々の教会は岩窟教会のような特徴を持っていた可能性が高い。サン・ヴィンチェンツォ修道院(abbazia di San Vincenzo)が繁栄を極めた12世紀から13世紀頃、この教会にも拡張と改築が行われ、おそらくその時代に後陣が完成した。一方、内陣の大幅な改築は14世紀に遡る。

現在の建物は12世紀から13世紀に遡るようです。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が上です。

案内板より

南扉口のある右(南)側の空間が大広間、大広間の上(東)が内陣、内陣の右(南)が礼拝室です。

大広間の左(北)側の空間が小広間、小広間の左(北)側の小さな空間が岩窟です。

4. 外観(南扉口)

主扉口は南にあります。

特筆すべきは、両側に筋の入った大理石の柱がある扉口である。アブルッツォのロマネスク・ゴシック様式と比較すると部分的に独特の特徴がある。ルネッタの絵画はほとんど残っていないが、それでも聖母子像がわずかに残っている。

13世紀から14世紀頃にこのあたりの建物に施されていた、植物の連なりの彫刻があります。

南扉口

ファサードに刻まれた碑文によると、17世紀初頭に修復工事が行われた。その際、内部のフレスコ画の一部が損傷した。

碑文

1874年の記述によると、当時、教会は二身廊と礼拝室で構成されていたが、すでに廃墟となっていた。

その後の修復工事で現在の姿になりました。

5. 内観(大広間)

教会の中に入ります。

思ったより大きな空間が広がり、しかも壁画だらけで、驚きました。

近年の修復工事で、19世紀に付け加えられた天井や勝利アーチなどが取り除かれ、最初の部分と二番目の部分の間の大きな尖頭アーチが再び開けられた。内部には、素晴らしい壁画が今も残っている。

手前(南側)が大広間、大きな尖頭アーチの奥(北側)が小広間です。

小広間の北壁に岩窟があります。

岩窟の上に細長い窪みがあります。鍵守りによると、かつて、その窪みには聖母子像が置かれていました。

南扉口にて北東を向く

大広間の東にある内陣は、大きな尖頭アーチで仕切られていて、その上には十字ヴォールトがあります。

大広間にて東を向く

大広間の北壁には、多数の聖人が描かれています。

大広間の北壁(聖人たちの壁画:14世紀)

内陣とその右(南)側の礼拝室には聖母が描かれています。

大広間にて東を向く(内陣の壁画:15世紀)

大広間の聖人の絵画は14世紀初頭のものであるが、内陣の絵画は15世紀初頭のものである。

内陣にて南を向く(礼拝室)

6. 内観(小広間)

小広間に行きます。

小広間にて東を向く

小広間の岩と壁には、キリストの生涯の場面が描かれています。

小広間にて北を向く

7. 内観(岩窟)

岩窟に入ります。

極彩色です。

岩窟にて東を向く

これらのフレスコ画に見られる様式の違いから、岩窟のフレスコ画と小広間のフレスコ画は13世紀末から14世紀初頭にかけてのものと考えることができる。

こちらは、聖女マルガレタ。

岩窟にて南を向く

この岩窟が、2024年夏🌻の旅で巡った一連の岩窟教会との最初の出会いになりました。

8. 聖母子像

鍵守りによると、かつて岩窟の上の窪みに木製の聖母子像が置かれていました。

その聖母子像は現在、新しい教会にあります。

聖母子像がある新しい教会(Parrocchia Assunzione Di Maria V.)は、岩窟の聖母教会(Chiesa di Santa Maria delle Grotte)から約2km北東にあります。

私は鍵守りに連れて行ってもらいました。

岩窟の聖母(MADONNA DELLE GROTTE)

聖母子像の足元に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

岩窟の聖母
ロッケッタ・ア・ヴォルトゥルノ(Rocchetta a Volturno)の田舎にある同名の教会で崇拝されている「岩窟の聖母(MADONNA DELLE GROTTE)」像は、膝の中央に置かれた御子の立ち姿という位置関係のため、やや厳格である。

19世紀に行われた修復は、ロマネスク技法とはまったく対照的なもので、その深い人間性を覆い隠し大幅に変えてしまった。そのことは、聖母の微笑み、両腕のしぐさ、そしてわずかに頭を片側に傾けるしぐさから感じ取ることができる。

ヴォルトゥルノ(Volturno)川の源流に近いこの地域の住民には、岩窟(GROTTE)にまつわる伝説がある。この伝説によると、ある牧夫が迷子になった牛を必死で探していたところ、この聖母子像の膝下で思いがけず牛を見つけたという。その聖母子像は、誰も気に留めることなく、岩の天然洞窟のひとつに置かれていた。後に教会が建てられた場所である。

岩窟の聖母教会(Chiesa di Santa Maria delle Grotte)。元々は岩窟教会だった可能性が高い教会です。13世紀末から14世紀初頭の壁画があります。

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