ルピヤック(Loupiac)

2024年5月19日(日)、最初に訪れたのはLoupiac、Église Saint-Pierre de Loupiacです。

ここは、ファサードの上部と主後陣に残る彫刻が素晴らしいです。

目次

1. Loupiac へ .
2. 概要 .
3. 航空写真 .
4. 外観(西側) .
5. 内観 .
6. 内観(東側) .

1. Loupiac へ

ルピヤック(Loupiac)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県にある村です。ボルドー(Bordeaux、同地域圏の首府であり同県の県庁所在地)の約32km南東にあります。

ガロンヌ川の右岸にあり、近隣にはガロ・ローマ時代の遺跡があります。

北西側外観

教会は集落の南端にあり、私が訪れたとき、仮設テントで焼き菓子やロースト料理が売られていました。

2. 概要

教会の中にWikipédiaのプリントアウトが掲示してありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

歴史
(以下の情報は主に Jean-Auguste Brutailst « Les vieilles églises de la Gironde » 68〜70ページ)

11世紀末あるいは12世紀初頭にロマネスク様式で建てられたこの教会は、地元の伝承によると、異教徒の神殿跡(すぐ近くにガロ・ローマ時代の巨大なヴィッラ跡がある)に建てられたという。ボルドーのサント・クロワ修道院(abbaye Sainte-Croix)に属する小修道院(prieuré)の所在地であった。

建物はラテン十字形の平面で、軸線は北に約30度傾いており、五角形の後陣で終わっている。半円形後陣は二つの半円形小後陣に挟まれ、それらは翼廊に面している。身廊は羽目板で覆われていた。鐘楼は当初、西クワイヤの二重梁の上に建てられた切妻であった。

教会は、何世紀にもわたって何度も改築されてきた。
16世紀の宗教戦争の際には、要塞として四角い塔が建てられた。
1652年、フロンドの乱の最中、教会は焼き払われた。
1720年、南壁が再建された。その後、切妻造りの鐘楼が塔になり、階段が南面に設置されたため、構造が弱くなった。
1844年頃、本格的な修理が必要になった。

Brutailsはその後のことをこう語る。
「建築家Henri Duphotが工事の準備を依頼された。建築家Girardが非常に独創的な方法で作業を行ったため、大臣が作業の中止を命じ、その後、管理はPaul Abadieに委ねられた。これは、不幸を修復不可能な惨事へと変える最も確実な方法であった。」
「アバディが理由もなく新しいものを建設する熱狂ぶりを理解したければ、1851年の工事の状態とDuphotの計画とを比較してみるといい。1844年の報告書で Viollet-le-Duc は「素材の美しさ」と「彫刻の完璧な保存状態」を賞賛していたのである。しかし Abadie は、独自の様式で扉口を再建し、側廊を取り壊し、小後陣を再建し、翼廊を増築し、身廊を高くしてヴォールトを設け、新しい鐘楼を建設する方法を見出した。」

ファサードと後陣の大部分は保存され、現存するロマネスク様式の装飾を支えている。この装飾を除けば、この建物は19世紀後半のネオゴシック様式の教会である。

この後も、Wikipédiaを引用する時に太字で書きます。

3. 航空写真

Googleマップによる航空写真です。

Googleマップより

ロマネスク様式が残るのは、ファサードと主後陣です。

4. 外観(西側)

ファサードをみます。

西側外観

主に上半分にロマネスク彫刻が残っています。

持ち送りが18あります。

13の持ち送りに、一般的な罪と模範となるべき行為が描かれており、ひとつを除いて、はっきりと読み取ることができる

1: 最初の邪悪な存在である蛇の話を聞く男。
2: 座っている安らかな男。
3: 植物を吐く悪魔。

持ち送り1〜3

4: 植物。

5: 蔓を吐く狼。
6: 蔓を吐く男。

持ち送り4〜6

7: ヒキガエルを飲み込む蛇。
8: 魚(背負うべき重い罪)を運ぶ男。

9: 植物。

持ち送り7〜9

10: 悪魔と結ばれた男。
11: 見習うべき手本である祈る男。

12: 四足獣のようです。

持ち送り10〜12

13: 肉欲の誘惑の罪である二股人魚。
14: 怒りの罪である二人の男の争い。

15: 植物。

持ち送り12〜15

16と18: 植物。

17: 酔っぱらいの罪である酒樽。

持ち送り16〜18

持ち送りの下に、浮き彫りがあります。

「アダムとエバ」(『創世記』3章)

「アダムとエバ」

威厳に満ちたキリストと11人の弟子たち

一部の観光ガイドは、この彫刻は聖書の「最後の晩餐」(聖木曜日の夜、つまり磔刑の前日にイエス・キリストが12人の弟子たちととった最後の食事)を表していると主張している。しかし、この主張は誤りである。

まず、弟子の数は12人ではなく11人である。また、11人全員が立っており、外出着をまとい先のとがった靴を履いている。この詳細から、この人物たちが屋内にいるのではなく、マントや靴を脱ぐべき場にいるわけでもないことがわかる。また、10人の弟子たちが本を胸に抱えていることから、彼らは食事のために集まっているわけではない。このテーマは11人の弟子のみに関係しているため、時系列的に、イスカリオテのユダの離反から、その後任者マティアの選出までの40日間(『使徒言行録』1章第26節)に位置づけられる。この彫刻は、聖マタイによる記述(『マタイによる福音書』28章16-20節)に対応している。すなわち、11人の弟子たちがガリラヤのイエスが指定した山に向かい、そこで復活したイエスが彼らに現れ、万物の支配者であることを告げた。そして、彼らを全人類への宣教に派遣し、洗礼を授けて弟子とし、戒律を宣べ伝えるよう命じた。それゆえ、誰もが胸に福音書を掲げているのだ。

威厳に満ちたキリストと11人の弟子たち

2人の天使に囲まれた「神の子羊」

中央には、マンドルラのない子羊が宙に浮かんでいる。子羊は十字ニンブスをまとい、その前足も十字架状に組まれている。これは『ヨハネの黙示録』の子羊を表している。子羊の十字ニンブスの下に刻まれた二つの星車は、天空の象徴である。2人の天使は通常のように飛んでいるわけではない。左側の天使は正面を向き、右手の人差し指で子羊を指し示し、左手の前腕で行列用の十字架を持っている。右側の天使はひざまずいて両脚を曲げ、両手で子羊を崇拝している。

「神の子羊」

これらの浮き彫りの下には3連アーチがあり、アーチを支える柱頭に彫刻があります。

左(北)側から順にみます。

ビーズの三つ編みを吐き出す狼

2面の中央には、歯のある口を大きく開けた狼の顔があり、そこから2本のビーズの三つ編みが分かれて流れている。動物の顔が結び目を吐き出しているようなものは、中世の芸術では頻出するため意味がないとは考えられない。ここでは、他の柱頭のテーマとの文脈上の関連性から、単なる装飾ではないことが示唆され、負のイメージとされるべきである。

「ビーズの三つ編みを吐き出す狼」

中央北側の二重柱頭です。

「子羊と四つの生き物」
表現されているテーマは『ヨハネの黙示録』5章6-8節から取られたものである。

ヨハネの黙示録5章
6: わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7: 小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
8: 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。

十字ニンブスをつけているのが、子羊です。

「子羊と四つの生き物」
「子羊と四つの生き物」(別角度)

中央南側の二重柱頭です。

聖人と「片足の男」
この柱頭はヨハネの黙示録の子羊に面しており、道徳的な教訓が組み合わされている。物語は、武装した騎士の登場する北面から始まる。主面では、2人の男が二つの肘掛け椅子に座っている。左側には、ニンブスによって聖人であることが示された人物がいる。彼は、聖餐式の際に聖体を置くトレイまたは聖体そのものを隣人に差し出しているが、隣人はそれを手で拒絶している。隣人は片足の男で、聖体よりもワイン樽を握りしめている。アルコール依存症が彼の唯一の悪徳ではない。彼の背後である南面には、彼のコートを引っ張って引きずり出そうとしている若い男がいる。2人の男の間には、小さな人物が立っている。その人物は右手を司祭の肘掛に置き、左手で片足の男の椅子を押し戻そうとしている。片足の男は、元兵士であることが多かったため、北面の騎士との関連性が高いと考えられる。文学のジャンルにもよるが、酒飲み、自慢屋、下品な人物など、いずれにせよ地獄に片足を突っ込んでいるいかがわしい人物である。中心人物の道徳的教訓は、どの道を歩むかという問題である。

「片足の男」

「鳥と松ぼっくり」

このテーマはロマネスク美術では非常に一般的であった。 この教会だけでも、三つの異なる場所で繰り返されている。

鳥がついばんでいるように見えるので、もしかするとブドウかもしれません。いずれにしても、永遠や復活を意味する植物だと思います。

「鳥と松ぼっくり」

左(南)側のアーチの下にも柱頭彫刻があります。ひとつご紹介します。

「踊り」

この構図は、踊り子によるアクロバティックな宙返りに焦点を当てている。宙返りをし、足の先が頭の上をかすめるようにしている。この踊りの姿は、しばしば女性の踊り手とともに用いられた(例えばDoulézon、Cessacなどの教会に見られるヘロデのために踊るサロメである)。チュニックを着た7人の観客が立っている前で、男が踊っている。観客の豪華な服装には驚かされる。ダンス・パフォーマンスには音楽家がつきものである。バスケットには三つの面が彫られているように見えるため、おそらく三つ目の面には音楽家がいるのであろう。三連アーチの中央の柱に位置するフィドル奏者は不釣り合いだが、この柱頭と関連していたのかもしれない。

「踊り」

「子羊と四つの生き物」の柱頭の下にある柱に、フィドル奏者の彫刻があります。

「フィドル奏者」

音楽家は正面を向き、フィドルの柄を下に向けている。この人物は髭が無く髪は短く刈り上げている。腰にベルトを締めた編み込みの長いチュニックを身にまとい、幅広の袖が特徴的である。この人物は12世紀初頭の聖職者のようにも見える。教会では、フィドルは悪魔の楽器であり、踊りや欲望を駆り立てるものとみなされていた。音楽家は、毛むくじゃらでみすぼらしく、しばしば陰茎を模し風刺画として描かれた。ここでは、きちんとした身なりの男が、はっきりと嫌悪感をあらわにし、顔を醜く見せ、罪を犯している可能性を示唆している。服装がその人を表すわけではなく、この音楽家が身なりを整えていても、他のフィドル奏者と同様に道徳的に非難されるべき存在であった。

「フィドル奏者」

5. 内観

教会の中に入ります。

改築されています。

身廊にて東を向く

6. 内観(東側)

東に行きます。

主後陣の軒下に彫刻があります。

東側外観

五角形の後陣は、ほぼオリジナルの状態を保っている。 記念碑的な装飾はコーニスレベルにあり、のこぎりの歯状の凹み、彫刻された柱頭、持ち送りとメトープ(浮彫石板)がある。 彫刻の質は、ファサードの彫刻の質と比較すると、時に粗野であり、ロマネスク様式の彫刻には少なくとも二つの工房が関わっていたことを示唆している。

主後陣

Église Saint-Pierre de Loupiac。ファサードの上部と主後陣に残る彫刻が素晴らしいです。

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