サン=テミリオン(Saint-Émilion)

2024年5月17日(金)の最後、四番目に訪れたのはSaint-Émilion、一枚岩教会(Église Monolithe)です。

ここは、一枚岩を掘り下げたヨーロッパ最大の中世の地下教会です。隣には、町の地名の由来となった聖人の庵や、第一回十字軍の影響を感じさせるカタコンベがあります。

教会を訪問するには、観光案内所でガイドツアーを予約します。有料(€15)です。ガイドツアーはフランス語のみでした。でも、ガイドは英語を話すことができましたし、英語版の案内シートを貸していました。

ガイドツアーは、撮影禁止でした。

目次

1. Saint-Émilion へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe) .
5. 三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité) .
6. サン=テミリオンの庵(Ermitage de Saint-Émilion) .
7. カタコンベ(Catacombes) .
8. 一枚岩教会(Église Monolithe) .

1. Saint-Émilion へ

サン=テミリオン(Saint-Émilion)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県にある町です。ボルドー(Bordeaux、同地域圏の首府であり同県の県庁所在地)の約34km北東にあります。

ガイドツアーを受け付ける観光案内所は、鐘楼広場(Pl. du Clocher)に面しています。

鐘楼広場(Pl. du Clocher)から南を眺めると、町を囲むブドウ畑。

鐘楼広場(Pl. du Clocher)にて南を向く

そして、同じ位置で下を見ると、一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe)があります。ここがガイドツアーの集合場所。常に人でいっぱいでした。

私は急な坂をくだり、集合場所に行きました。

集合場所で振り返り、北西を見上げると、上の写真を撮った場所が見えます。

一枚岩教会(Église Monolithe)と鐘楼

一枚岩教会(Église Monolithe)は、巨大な鐘楼の真下にあります。

2. 概要

ガイドから借りた案内シートによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

先史時代以来、この地域には人類が居住していたことが証明されている。3000万年前、この地域を覆っていた海は広大な石灰岩の台地へと姿を変えた。この石の採掘は、9世紀から19世紀にかけて、この村とその周辺地域の経済発展に貢献した。

最初のブドウの木は、2世紀から4世紀にかけての古代ローマ時代に、ヴィラの周辺に植えられたと考えられている

この村の名前は、12世紀に一枚岩の教会に遺骨が安置されていたとされる修道士エミリアヌス(moine Émilion)に由来している。この教会は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路沿いにある巡礼地であった。

この後も、案内シートを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示による平面図です。東が下です。

案内掲示より

4. 一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe)

一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe)

少なくとも11世紀までは、崖は広場までずっと広がっていた。それらは12世紀前半に台地が崩壊した際に消滅したが、カタコンベを形成する一部は残った。

この広場は、谷の中心に開発され、市の中心地およびマルシェ広場(Pl. du Marché)となった。また、歴史と宗教の中心地でもあり、一枚岩の教会が支配している。教会はファサードと鐘楼によってその姿を現している。

この「一枚岩(monolithe)」という言葉は、古代ギリシャ語の「mono lithos」に由来し、「一つの石」を意味する。この教会は12世紀の初頭に、石灰岩の岩盤を掘って造られた。鐘楼の建設も同時に行われ、17世紀まで何度か改築された。鐘楼は町で最も高い場所に位置し、旅人や巡礼者にとって目印となった。また、教会の位置を示す目印でもあり、中世では宗教の権力と影響力を象徴していた。

観光案内所で鍵を受け取れば、鐘楼の最上階まで登ることができる。料金:2ユーロ。6歳未満は無料。

一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe)

5. 三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité)

ガイドツアーで最初に訪れるのが、三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité)。一枚岩教会広場(Place de l’église monolithe)に面しています。

三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité)東側外観

身廊が1730年に再建されたことを除けば、この礼拝堂は13世紀初頭に遡るもので、この地方における中世の二つの建築様式、ロマネスク様式とゴシック様式の過渡期に建てられたものである。後陣の基部はロマネスク様式である。ヴォールトはゴシック様式で、八つの枝を持つリブ・ヴォールトが特徴的である。当時、この地方ではまだ珍しかった。

クワイヤの上部にはゴシック様式の壁画が残っています。

フランス革命以降、礼拝堂はもはや礼拝の場ではなくなり、発掘調査で発見されたさまざまな遺物などが展示されている。

6. サン=テミリオンの庵(Ermitage de Saint-Émilion)

ガイドツアーで二番目に訪れるのが、サン=テミリオンの庵(Ermitage de Saint-Émilion)。三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité)の地下にあります。

案内板より:サン=テミリオンの庵(Ermitage de Saint-Émilion)

12世紀の文書『Vita Saint Emilionis』によると、修道士エミリアヌス(Émilion)は、西暦750年から767年の晩年をここで過ごしたとされる。ブルターニュ出身の彼は、模範的で敬虔かつ奇跡を起こす人々として考えられていたケルトの隠修士の一族に属していた。

祭壇の右側にある元々の入り口は、18世紀に閉鎖され、現在の階段に置き換えられた。同時に、手すりが取り付けられた。

  • 奇跡的とされる天然の地下湧き水が流れる水盤:エミリアヌス(Émilion)はこの水のおかげで女性の視力を回復させたと言われている。
  • 修道士のベッドであったとされる石。このくぼみは、実際には古代の埋葬地であった可能性もある。

この手すりの右側には、岩に掘られた座席がある。エミリアヌス(Émilion)の瞑想の座席と考えられているが、現在では「子宝の椅子」として有名である。女性がこの椅子に座って妊娠を望めば、数か月以内にその願いが叶うと言われている。観光局には、定期的に出生の報告が寄せられている。

祭壇の上には、サン=テミリオン(Saint-Émilion)と刻まれた像が置かれているが、これはもともと別の聖人、アッシジの聖フランチェスコに捧げられていたもので、1946年に変更された。

7. カタコンベ(Catacombes)

ガイドツアーで三番目に訪れるのが、カタコンベ(Catacombes)。三位一体礼拝堂(Chapelle de la Trinité)の北にあります。

「カタコンベ」という言葉は、古代ギリシャ語の「下」を意味する「kata」と、ラテン語の「墓」を意味する「tumba」、そして「横たわる」を意味する「cumbere」に由来する。すなわち古代の地下墓地である。

第一ギャラリー

このギャラリーの起源については、いくつかの仮説がある。そのひとつは、11世紀に掘られた埋葬地が再利用されたというものだ。

一枚岩教会(Église Monolithe)が掘り下げられていた頃に、おそらく地元の領主の命により、クーポラを加えて装飾された。第1回十字軍(1096~1099年)に参加したピエール・ド・カスティヨン(Pierre de Castillon)は、カッパドキア(現在のトルコ中央部、多くの岩石遺跡で有名な地域)を通ったと言われている。

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Guyenne romane』による写真です。

『Guyenne romane』より:カタコンベ(Catacombes)第一ギャラリー

もともと6本の柱で支えられていたこのドームは、エルサレムの聖墳墓を彷彿とさせる。これらの彫刻の解釈のひとつは、旧約聖書のテーマである「炉の中の3人の少年」(復活の象徴)を想起させる。両手を広げて祈る3人の彫像は、墓から天に向かって上昇しているように見える。

『Guyenne romane』より:カタコンベ(Catacombes)第一ギャラリー

両側の円形の開口部から、岩に彫られた螺旋階段に光が差し込むようになっていた。螺旋階段の基部は破壊されてしまったが、故人の魂と同じように井戸を昇っていく。この地方にありそうな、死者のための内部灯籠かもしれないし、60kmほど北のシャラント地方オーブテール=シュル=ドロンヌ(Aubeterre-sur-Dronne)にある、同じくカスティヨン(Castillon)子爵家の命で建てられた大きな一枚岩教会のように、聖遺物のある中央の記念碑に通じる開口部かもしれない。

オーブテール=シュル=ドロンヌ(Aubeterre-sur-Dronne)の一枚岩教会は、「Saint-Émilion souterrain」見学チケットを提示すると割引料金が適用される。

第二ギャラリー

第二ギャラリーには、11世紀と12世紀に作られた多数の葬儀用の龕がある。南側の壁には、建造された部分と、2本の切り石でできた彫刻柱がある。おそらく崖が13世紀に崩壊する前は、その背後に他の地下空間が存在していたと思われる。最新の考古学的調査によると、現在の切り石でできた教会の前に聖域が掘られていた可能性がある。

案内板より:カタコンベ(Catacombes)第二ギャラリー

8. 一枚岩教会(Église Monolithe)

ガイドツアーの最後、四番目に訪れるのが、一枚岩教会(Église Monolithe)。カタコンベ(Catacombes)の北東にあります。

この教会は、減法建築の技法を用いて、上部から下部へと完全に掘り下げられた(上部にはそのための開口部が今でも残っている)。作業の期間を特定するのは難しいが、考古学者の推定によると、数十年というかなり短期間で行われたようだ。長さ38メートル、幅20メートル、ヴォールトの高さ平均11メートルのこの教会は、ヨーロッパ最大の中世の地下教会と考えられている。

中央ヴォールトの高さには、かつて鐘の紐を通すための穴があった。これは、約4,500トンの重量がある鐘楼の位置を示している。ひび割れが発見された際、ヴォールトを支え崩落を防ぐために、1990年に15ヶ月間閉鎖されて迫石(アーチを構成する石)で覆われた38本のコンクリート柱が建てられた。大規模な考古学的調査により、地下の泉から湧き出る水が石灰岩を浸食し、弱体化させていたことが判明した。また、12世紀にさかのぼる排水溝網が発見された。当時は、水を外部に排出するように設計されており、職人たちが浸食の危険性をすでに認識していた証拠である。時が経つにつれ、排水溝は忘れ去られ、塞がれてしまった。その結果、復活した水が石灰岩を弱体化させた。2000年から2001年にかけて、一部の排水溝が再び使えるようになり、代替案が出るまでの間、柱を固定し鐘楼を支えるために金属製のコルセットが取り付けられた。こうしてコンクリートの柱は撤去された。

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Guyenne romane』による写真。まだ、柱を固定する金属製のコルセットがなかった頃の姿です。

『Guyenne romane』より:一枚岩教会(Église Monolithe)

中世には、この教会はまったく違った姿をしていた。壁は多色の絵画で覆われ、やがてタペストリーや木工品で装飾されていた。フランス革命後、放棄された結果、維持管理はされなくなり、硝石は火薬の原料として使われるため、数年かけて壁を削って集められた。こうして、ほとんどの絵画が消えてしまったのであろう。いくつかの痕跡は今でも残っている。柱の1本には、磔刑像が、また、その他のいくつかの場所には花や彩色された装飾が残っている。

西側の壁の上部には、浮き彫りが残っている。左側には槍で人物を攻撃する生き物が、右側には冠をかぶっているように見える弦楽器奏者の姿がある。これは善と悪の闘争を表現した寓話だろうか?詩人であり音楽家でもあったダビデ王の詩篇の挿絵だろうか?この未完の作品について、より深く理解できる資料は現在存在しない。そのため、さまざまな解釈が可能である。

中央のヴォールトには、それぞれ6枚ずつの翼を持つ2人の天使が彫刻されている。 これらは熾天使であり、神の玉座の天上の守護者である。 祭壇の上に崇敬の念を込めて表現されている。 現在は失われてしまったエミリオンの聖遺物を守る役割を担っていたのであろう。

『Guyenne romane』より:一枚岩教会(Église Monolithe)

熾天使に続いて、中央の2本の柱の上部には、弓で矢を射る射手座のケンタウロスと、その反対側には、おそらく双子座を表すと思われる、尾を絡ませながら互いに口を向ける2頭の傾いた獣の浮き彫りがある。ペルシャ風のシンボルは、冬至と夏至を表していると思われ、教会のおおよその方角を示している:射手座が北、双子座が南である。

『Guyenne romane』より:一枚岩教会(Église Monolithe)

この教会の配置は、祭壇が北西にあり、西洋の教会としては珍しい。聖堂は伝統的に東向きで、光なるキリストの象徴である日の出に向かっている。16世紀、聖職者たちは聖堂を東に移動させることを決定した。窓の方に進むと、16世紀から18世紀にかけての祭壇が目に入る。

16世紀から18世紀にかけての祭壇を見終わると、ガイドツアーは終了です。

Église Monolithe。一枚岩を掘り下げたヨーロッパ最大の中世の地下教会です。ガイドツアーでは、町の地名の由来となった聖人の庵や、第一回十字軍の影響を感じさせるカタコンベにも訪れることができます。

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