カドゥアン(Cadouin)

2024年5月16日(木)の最後、三番目に訪れたのはCadouin、Eglise abbatiale Notre-Dame de la Nativitéです。

ここは、西側(三身廊)の厳かさと、東側(交差部から東)の豊かな装飾との対比が興味深いです。

教会の見学は無料ですが、回廊(ゴシック様式)の見学は有料(€7.7)です。

目次

1. Cadouin へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(北東側) .
6. 外観(南東側) .

1. Cadouin へ

カドゥアン(Cadouin)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ドルドーニュ県の村です。広い県で、国内第3位の面積を持ちますが、面積の約45%が森林で占められているそう。

同県のあたりは県庁所在地であるペリグー(Périgueux)を歴史的な中心地とし、ペリゴール(Périgord)地方と呼ばれます。ペリゴールといえば美食で、フォワグラやトリュフが有名です。

カドゥアン(Cadouin)は、ペリグー(Périgueux)の約43km南東にあります。

西側外観

教会は、小さな村の中で、大きな修道院建物群の中心です。

2. 概要

回廊の受付に案内パネルがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

1115年7月11日:創立。サン・アヴィット・セニュール(Saint-Avit-Sénieur)の律修司祭(chanoine)であったジェロー・ド・サル(Géraud de Salles)は、伝道師でありフォントヴロー(Fontevraud)の創設者でもあるロベール・ダルブリセル(Robert d’Arbrissel)からラ・サルヴェタ(La Salvetat)とヴァル・セガン(Val Seguin)の土地を譲り受ける。そこにアウグスティヌス会の小さな共同体を設立する。
1118年: 東側(クワイヤ)から教会の建設が始まる。

設立当初はアウグスティヌス会でしたが、設立の4年後にシトー会になります。

1119年10月28日:ポンティニー(Pontigny)のシトー会修道院長アンリ(Henri)が到着する。12人の修道士が同行する。
1154年: ロマネスク様式の修道院が完成したと推定され、教会の奉献式が行われる。

この修道院が繁栄した理由のひとつが、聖骸布と信じられた布でした。

偽の骸布(Suaire)、エジプトの貴重な織物
1214年:「骸布(Suaire)」について初めて言及される。シモン・ド・モンフォール(Simon de Montfort、1165年頃-1218年)は、アルビジョワ十字軍の際に、骸布(Suaire)を納めた祠堂の前に永久灯を維持することを目的とした年金を修道院に寄進した。

でも、聖骸布ではなかったのです。

キリスト教徒とイスラム教徒
かつてキリストの骸を包んだと考えられていたこの伝説的な布は、第一回十字軍(1096-1099年)の後、聖地から持ち帰られた。800年以上もの間、この布は大きな信仰の対象となり、奇跡的な治癒を求めて巡礼者や王族がカドゥアン(Cadouin)に集まった。しかし、1934年の調査で、この布はファーティミッド朝時代に作られたもので、キリストの生涯とは無関係であることが判明した。実際、縁取りの織物装飾には、アッラー、エジプトのカリフ、アル・ムスタリ(1094-1101)に言及するクフ文字(古代アラビア語)の銘文が含まれている。この布地は第一回十字軍で使用され、聖戦後にカドゥアン(Cadouin)に運ばれた可能性が高い。

びっくりです。

この後も、案内パネルを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内パネルによる平面図です。東が上です。

案内パネルより

黄色:12世紀第一段階
薄橙色:12世紀第二段階
橙色:12世紀修道院建物
赤色:15世紀末〜16世紀初め
薄茶色:16世紀(1516年以降)
茶色:17世紀後半
白色:18世紀以降

4. 内観

教会の中に入ります。

カドゥアンは、シトー派の閉鎖性と世界への開放性の狭間にある。
シトー派は、自給自足の環境の中で、聖ベネディクトの規則を厳格に守ることを選んだ。個人的・共同的な祈り、霊的読書、清貧、従順、手作業と農作業などである。

身廊にて東を向く

教会の東側は、オーバジーヌ(Aubazine)やボショー(Boschaud)のように、三後陣、交差部の上のクーポラという地元の伝統に従っている。

身廊にて東を向く

この部分は、三身廊の厳かさとは対照的である。1119年に修道院がシトー会と提携したことで、この交差部より西側の建築様式が目に見えるように変化したのであろう。シトー会の厳格な戒律に従っている。

5. 外観(北東側)

外に出て、北東側をみます。

交差部から東は、アウグスティヌス会時代である12世紀の第一段階につくられました。動物や人物の彫刻があります。

北東側外観

北翼廊の窓に装飾があります。

北翼廊の窓(東側)
北翼廊の窓(西側)

シトー会のもとで12世紀の第二段階につくられた西側の厳かさとは、ずいぶん違います。

6. 外観(南東側)

南東に行きます。

東側外観

三後陣も、アウグスティヌス会時代である12世紀の第一段階につくられました。動物や人物の彫刻があります。

主後陣の持ち送り

楽しい。

Eglise abbatiale Notre-Dame de la Nativité。三身廊の厳かさと、交差部から東の豊かな装飾との対比が興味深いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です