モワラクス(Moirax)

2024年5月15日(水)、二番目に訪れたのはMoirax、Église Notre-Dame de Moiraxです。

ここは、戦争を愛する乱暴者が残した教会です。教会内の整然と並ぶ柱と樽型ヴォールトの美しさに驚きます。柱頭彫刻も素晴らしいです。

私は事前に役場(mairie)に教会の開く時間を問い合わせました。「毎日9:00〜19:00に開いています。」と返信がありました。

目次

1. Moirax へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(全体) .
6. 内観(物語性のある柱頭) .
7. 内観(動物の柱頭) .

1. Moirax へ

モワラクス(Moirax)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ロット=エ=ガロンヌ県の村です。ギュイエンヌ地方にあり、ボルドー(Bordeaux)の約122km南東にあります。

北西側外観

訪問者の多い教会らしく、近くに大きい駐車場があります。

教会の北にある壁沿いには、修復のためと思われるコンテナが設置され、土木工事道具が置かれていました。頻繁に修復が行われているのかなと思います。

2. 概要

教会の中に案内シートや案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

モワラクス(Moirax)は、ペイリーニュ(Peyrigne)と呼ばれる古代ローマ街道沿いにある。修道院(monastère)は、1049年に地元の領主ギヨーム・アルノー(Guillaume Arnaud)によってこの地に設立された。

ギョーム・アルノー(Guillaume Arnaud)は戦争を愛する乱暴者であった。しかしある日、彼は自分の魂の救済のために、領地の一部を教会に寄付することを決意した。彼がクリュニー修道院の修道院長に申し出ると、モワラクス(Moirax)がサンティアゴ・デ・コンポステーラへの主要なルートのひとつに位置していたため、修道院長はその申し出に惹かれた。1049年に寄進状が調印され、息子のピエールが修道院(monastère)の初代院長(Prieur)に就任した。

戦争を愛する乱暴者、この教会を残してくれて、ありがとう。

教会の建設は、1060年から1140年まで1世紀にわたって続いたが、その間に、ピエールの実妹の夫、相続を争う二番目の妹の息子、そして最後に若い従兄弟によって、村は何度も攻撃された。一族間の平和が回復すると建設が再開され、1140年に完成した。 柱頭のひとつは、この歴史的出来事と一族の和解を想起させる。

13世紀末、修道院は非常に荒廃していた。4人の修道士が住んでいたが、維持するには十分ではなかった。15世紀から16世紀にかけて、修道院は百年戦争と宗教戦争という戦争の影響を受けた。修道院は部分的に焼失した。

17世紀半ば、すべての建物が改修され、回廊が再建され、修道院生活が再開された。しかし、フランス革命により、この新しい繁栄は突然終わりを告げた。文書館は焼失し、建物の一部は破壊され、修道院は1794年に売却された。

19世紀には教会は廃墟であった。1846年に歴史的建造物に指定され、1878年から修復された。それ以来、修復が相次いでいる。繰り返し、このロマネスク芸術の宝石を後世に最高の状態で残すための作業が行われている。

この後も、案内シートや案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内シートによる平面図です。東が上です。

案内シートより

ラテン十字の三廊式です。

4. 外観

東に行きます。

三後陣。南北の小後陣はそれぞれ、南北の翼廊にあります。

東側外観

西に行きます。

北西側外観

教会の南には、回廊がありました。

5. 内観(全体)

教会の中に入ります。

わお。

身廊にて東を向く

整然と並ぶ柱と樽型ヴォールトが美しい。

クワイヤにて西を向く

6. 内観(物語性のある柱頭)

身廊と交差部、クワイヤに130以上の柱頭があります。そのうちの10をご紹介します。

まず、案内シートに従って、物語性のある柱頭を六つ。

案内シートより
柱頭1

左から2番目の柱(西扉口から): 2人の裸の人物が立っている。左側の人物は前傾姿勢で長い棒を持っている。右足を曲げ、地面に置かれた物に全体重をかけているように見える。右側の人物は両腕を胸の上で組み、特定できない何かを持っている。楽園から追放されたアダムとエバという解釈もある。アダムは家族を養うために地面を耕し、イブは子供を抱く。二人の間には、不機嫌そうな顔が見える。

柱頭1
柱頭2

左から4番目の柱:体型を強調した衣服をベルトで締めた2人の若者が、互いに背を向けて立っている。両側には、おそらくライオンと思われる動物が描かれており、茎をくわえている。戦いの場面ではなく、むしろ手なずける場面である。

柱頭2
柱頭3

右側5番目の柱:この柱頭は、この教会の歴史の一部を表している。中央には、4人の人物に挟まれた若者が座っている。この表象の解釈については多くの議論がある。

中央に位置するのは、初代院長(Prieur)のピエール(Pierre)であろう。片側は彼の母アンヌ(Anne)で、彼女の肩はマントで覆われている。もう一方には、妹のアルサンディス(Arsendis)が夫のギョーム=ベルナール・ド・ナルセス(Guillaume-Bernard de Narcès)を従えている。彼らは暴力で相続分を要求したのだ。このシーンは家族の和解を象徴している。

柱頭3
柱頭3(別角度)
柱頭4

右側の6番目の柱: アダムとエバが木に隔てられて立っている。幹に巻きついた蛇が禁断の果実をエバの手に握らせている。アダムは喉を押さえているが、これは禁断の果実をすでに飲み込んでしまったことを意味する。

柱頭4

その両側では、大天使聖ミカエルがドラゴンと戦っている。彼は盾の代わりに本を持っているが、これは非常に珍しい表現である。

柱頭4(別角度)
柱頭5

左から6番目の柱:「獅子の穴の中のダニエル」。預言者は座っており、手のひらを開いて祈っている。6頭のライオンが彼を取り囲み、うち4頭が彼の腕と足を舐めている。この構図は、初代院長(Prieur)のピエール(Pierre)を描いた柱頭3の構図に似ている(同じ石工によるものであろうか?)

柱頭5
柱頭6

左側のクワイヤ入口: 「獅子の穴の中のダニエル」。頭部と手が著しく表現されている。ライオンは6頭ではなく4頭である。ダニエルは、足を舐めている2頭のライオンの上に座っているように見える。2つの大きな手のひらが左右対称を強調している。

柱頭6

7. 内観(動物の柱頭)

最後に、私の好みに従って、動物の柱頭を四つご紹介します。

柱頭7

鳥たち。首から翼にかけての線や、ももから足にかけての線がとても美しい。

柱頭7
柱頭8

たてがみが、ふさふさ。

柱頭8
柱頭9

葉に包まれた丸い果実のような形は、カンタブリア(Silió)やカスティーリャ(TabliegaSan Pantaleón de Losa)などで見かけた彫刻を思い出します。

中央のライオンは、そのような果実を背中に乗せています。

柱頭9
柱頭10

ただ、猫のような顔つきのライオンたちが、かわいい。

柱頭10

Église Saint-Barthélemy。戦争を愛する乱暴者が残した教会です。教会内の整然と並ぶ柱と樽型ヴォールトの美しさに驚きます。柱頭彫刻も素晴らしいです。

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