2024年5月13日(月)の最後、四番目に訪れたのはPrudhomat、カステルノー=ブルテヌー城(Château de Castelnau-Bretenoux)です。
ここは、19世紀末に蒐集された素晴らしい彫刻が展示されています。
2024年、城は5月と6月の毎日10:00〜12:30と14:00〜18:30、7月と8月の毎日10:00〜18:30に開いていました。有料(€9)です。ちなみに駐車場も有料(€3)でした。
目次
1. Prudhomat へ .
2. 概要 .
3. 案内図 .
4. ポルティコ .
5. 部屋 .
1. Prudhomat へ
プリュドマ(Prudhomat)は、オクシタニー地域圏ロット県の村です。ロット県、タルヌ=エ=ガロンヌ県の北半分、ドルドーニュ県、コレーズ県、アヴェロン県の一部のあたりは、カオール(Cahors)を歴史的な中心地とし、ケルシー(Quercy)地方と呼ばれます。
プリュドマ(Prudhomat)は、カオール(Cahors)の約60km北東にあります。
2024年春🌸の旅行は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏が主な目的なのに、地域圏をまたいで少しオクシタニー地域圏に足を伸ばしたのは、この城のため。
この城には、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の教会から運ばれてきた彫刻があるんです。
受付で入場料を支払うと、橋を通って城に行きます。
橋の下に羊たちがいました。
もふもふ。
2. 概要
城の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
プリュドマ(Prudhomat)
フランス革命以来、ボンヌヴィオレ(Bonneviole)、カステルノー(Castelnau)、フェリーヌ(Félines)、ポーリアック(Pauliac)、サン=マルタン・デ・ボワ(Saint-Martin des Bois)の五つの小教区は、プリュドマ(Prudhomat)という名前でまとめられている。
カステルノー=ブルテヌー城(Château de Castelnau-Bretenoux)
13世紀、カステルノー・ド・ブルテヌー(Castelnau de Bretenoux)男爵家は、いくつかの渓谷の合流点にあるこの地を要塞化した。17世紀に最後のカステルノー男爵によって改築されたこの城は、19世紀末にパリのオペラ・コミックのテノール歌手だったジャン・ムリエラ(Jean Mouliérat)によって部分的に修復され、家具や美術品の重要なコレクションが集められたことで、新たな息吹を与えられた。
13世紀の住居塔❶と天守閣❷、15世紀の砲兵塔❸があるこの見学コースは、中世の要塞建築の発展をたどりながら、周囲の渓谷の素晴らしい眺めを楽しむことができる。ジャン・ムリエラの居室❹は驚くほど豪華な装飾が施されており、19世紀末のシャトーでの生活の復興を思い起こさせる。
この後は、現地にあった案内掲示を引用する時に太字で書きます。
3. 案内図
案内板による案内図です。東が右です。
東側(❹のポルティコの中と、❸と❹の間にある部屋の中)にロマネスク様式の彫刻があります。
4. ポルティコ
❹のポルティコの中をみます。
ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県のサント=クロワ=デュ=モン(Sainte-Croix-du-Mont)の素晴らしい柱頭が展示されています。
ジャン・ムリエラ(Jean Mouliérat)が1932年に城を国に寄贈した際、彼の彫刻コレクションの一部は庭園に展示され、他の作品は東側のギャラリーに集められた。
ポルティコに展示されている彫刻について、二つご紹介します。
ポルティコの彫刻1
「イエスの捕縛」(『マタイによる福音書』26章、『マルコによる福音書』14章、『ルカによる福音書』22章)、だと思います。
『マタイによる福音書』26章
47: イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
48: イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。
49: ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
50: イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
51: そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
52: そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。
ユダがイエスに近寄り、接吻しています。一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落としています。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆が剣や棒を持っています。
描写が細かい。
ポルティコの彫刻2
「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)、だと思います。
『マルコによる福音書』16章
1: 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
2: そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
3: 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
4: ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
5:墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。
6: 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
3人の女性がいて、先頭のマグダラのマリアが右手に香油瓶を持っています。
女性たちの衣装が美しい。
同じ柱頭の別角度には、別の場面が描かれています。
「獅子を裂くサムソン」(旧約聖書の『士師記』14章)、だと思います。
『士師記』14章
6: そのとき主の霊が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。しかし、彼は自分の行ったことを父母には言わなかった。
「子山羊を裂くように」って、、、たとえ子山羊だって、私には無理。
5. 部屋
❸と❹の間にある部屋の中をみます。
ここにも、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県のサント=クロワ=デュ=モン(Sainte-Croix-du-Mont)の彫刻が展示されています。
部屋の中の彫刻から、サント=クロワ=デュ=モン(Sainte-Croix-du-Mont)の柱頭をひとつご紹介します。
部屋の彫刻1
「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)、だと思います。
『創世記』22章
6: アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
7: イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
8: アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
9: 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
10: そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
11: そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
12: 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
13: アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
自分自身を焼くための薪を背負って山に登ったイサクは、十字架を背負ってゴルゴタの丘に登ったイエスの予表とされています。
手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとするアブラハム。
縛られて祭壇の薪の上に載せられているイサク。
一匹の雄羊を運んでくる御使い。
聖書に忠実です。
ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県にある、ボルドー(Bordeaux)の聖セヴェリヌス教会(Basilique Saint-Seurin) とスラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer)にも同じテーマの柱頭があり、図像(構図)もよく似ています。
部屋の中には、同じオクシタニー地域圏ロット県の教会にあった彫刻もあります。
前回にご紹介した、カルンナック(Carennac)にあった彫刻です。二つご紹介します。
部屋の彫刻2
障壁でしょうか。クワイヤと身廊、または、修道士と信者を隔てていたのかもしれません。
部屋の彫刻3
こちらの模様は、カルンナック(Carennac)の身廊にあった柱頭を思い出します。素敵です。
カステルノー=ブルテヌー城(Château de Castelnau-Bretenoux)。19世紀末に蒐集された素晴らしい彫刻が展示されています。
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