2024年5月12日(日)、二番目に訪れたのはSaint-Jean-de-Côle、Église Saint-Jean-Baptiste です。
この村は、私の好きな「フランスの最も美しい村」(Les plus beaux villages de France)のひとつです。ロマネスク教会は、珍しい構造の建物です。持ち送りや柱頭の彫刻が良いです。
教会を美しく眺められる北東側(小修道院(prieuré)側)は、私有地となっています。私は訪問していません。基本的に年に一度、文化遺産の日(Journées du patrimoine)にガイドツアーで訪問可能です。
目次
1. Saint-Jean-de-Côle へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(南側) .
6. 外観(南東側) .
7. 外観(北東側) .
1. Saint-Jean-de-Côle へ
サン=ジャン=ド=コール(Saint-Jean-de-Côle)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ドルドーニュ県の村です。広い県で、国内第3位の面積を持ちますが、面積の約45%が森林で占められているそう。
同県のあたりは県庁所在地であるペリグー(Périgueux)を歴史的な中心地とし、ペリゴール(Périgord)地方と呼ばれます。ペリゴールといえば美食で、フォワグラやトリュフが有名です。
サン=ジャン=ド=コール(Saint-Jean-de-Côle)は、ペリグー(Périgueux)の約28km北東にあります。
2024年5月12日(日)、私は年に一度の花祭り(Floralies 2024)に村を訪れました。
村の周りでは村人たちが要所に立って交通整理をしていました。村に近づくたくさんの車を村の外に設けられた巨大な特設駐車場へと案内するためです。
私は案内に従って車を停め、歩いて村に向かいました。村の入口に簡易テントが設営され、村人たちが祭りの入場券(€4)を売っていました。私が入場券を買いつつ「教会に訪れたいのですが、開いていますか?」と尋ねたところ、上品な婦人が「はい、教会は開いていますよ。よく飾ってあります。」と答えてくれました。
よく飾ってある(bien décorée)って、どういうこと?
花や苗、種などを売る屋台を両側にみながら進むと、教会が見えてきました。
花だらけ。
よく飾ってある(bien décorée)って、こういうことでしたか。
2. 概要
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Périgord roman』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
1086年から1099年にかけて、司教は聖アウグスティヌス会サン・ジャン小修道院(prieuré de Saint-Jean)を設立し、寄進した。この小修道院(prieuré)にはすぐに16人の律修司祭が配属された。建物の建設はすぐに始まったわけではなく、12世紀中頃まで続いた。
1394年、イングランド人がこの小修道院(prieuré)を占領し、要塞を築いたが、1404年、フランス人がこれを追い払った。
その後、努力もむなしく衰退する中、フランス革命を迎えます。
1801年、教会は教区教会となった。
この後も、ゾディアック(Zodiaque)を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Périgord roman』による平面図です。東が上です。
教会のレイアウトは、クーポラの下にある身廊を中心に構成されており、東側には、二つの祭室に挟まれた多角形の主後陣がある。
4. 内観
教会の中に入ります。
多角形の主後陣は、細めの支柱と薄い壁の間に開けられた大きな窪みのよう。
軽やかな建築を目指していたのかもしれません。
12世紀には、革新的な建築だったのかな、と思います。
バランスが取れているようで、取れていなさそうな、繊細な構造です。
要するに、ペリゴール地方最大のこのドームは、奇跡的に持ちこたえているのである。より正確には、まだ立っているのは、ドームの重さから解放されたからである。
このドームは、英仏戦争中と1787年に、「天井と屋根が完全に破壊された」と文献にあるように、何度も崩壊した。
5. 外観(南側)
外に出ます。
南祭室をみます。
軒下の持ち送りに彫刻があります。
また、盲アーチ下の柱頭に彫刻があります。
柱頭1
「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)だと思います。
大きな翼の大天使ガブリエルが、椅子に座っているマリアに話しかけているようです。
柱頭2
イエスの誘惑(『マタイによる福音書』4章、『マルコによる福音書』1章、『ルカによる福音書』4章)、だと思います。
中央のマンドルラに堂々とした様子の男性がいます。マンドルラの両側に、神を逆立てた大きな口の悪魔がいます。片方の悪魔は、手に石のようなものを握っています。こんなことを言っているのかも。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
柱頭3
植物模様
6. 外観(南東側)
南東に行きます。
こちらの写真の右下に塀があります。この塀の北側は私有地になっています。
塀の南側から、主後陣をみます。
盲アーチ下の柱頭に彫刻があります。
柱頭4
アーチの下に人物たちが描かれているようですが、何を描いたものか、よくわかりません。
柱頭5
「ノアの泥酔」(『創世記』9章)だと思います。
創世記9章
18: 箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。
19: この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである。
20: さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。
21: あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
22: カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
23: セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。
24: ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、
25: こう言った。「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
ぶどうが実っています。蔓の株の後ろに、1人は立ち、もう1人は横になっている2人の男性が描かれています。
柱頭6
天使が描かれているようです。
私有地からは、柱頭6の右側を見ることができるようです。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Périgord roman』による写真です。
座っている男性がいます。彼の首を立っている男性がひねっているようです。何を何を描いたものか、よくわかりません。
7. 外観(北東側)
私は観光局に行き、教会の北東側を見ることができるのかを尋ねました。係員は、とても丁寧に教えてくれました。
北東側(小修道院(prieuré)側)は、私有地。
基本的に年に一度、文化遺産の日(Journées du patrimoine)にガイドツアーで訪問可能。
ガイドツアーは約30分間で、フランス語のみ。
また、係員は、この日は所有者が村にいる(12世紀の古橋(Vieux Pont XII Siècle)の近くの店で祭りに参加している)ので、話せば、もしかしたら特別に訪問を許可してくれるかもしれないことまで教えてくれました。
ちなみに12世紀の古橋(Vieux Pont XII Siècle)、かわいいです。
でも、村じゅうの人たちが周到に工夫して準備した祭りです。その大忙しのたけなわで、無理をお願いする気持ちにはなりませんでした。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Périgord roman』による写真です。
北端のものは、ダニエルが2頭の獅子の間に座っている様子を描いている。
「獅子の穴の中のダニエル」(旧約聖書『ダニエル書』6章)
Église Saint-Jean-Baptiste 。珍しい構造の建物です。持ち送りや柱頭の彫刻が良いです。
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