2024年5月2日(木)、二番目に訪れたのはMontmoreau、Chapelle Notre-Dame du châteauです。
ここは、小さな礼拝堂です。美しい柱頭彫刻が残り、貴重な聖遺物箱の記憶が今もなお生き続けています。
礼拝堂は、私的所有となっており、非公開です。私は役場(mairie)に問い合わせて所有者の連絡先を知りました。その後、所有者とメールや通話を重ね、訪問、写真の撮影と掲載の許可を得ました。
Montmoreau では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Église Saint-Denis ou Saint-Denys de Montmoreau-Saint-Cybard
<2> Chapelle Notre-Dame du château
目次
1. Montmoreau へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(全体) .
5. 内観(祭壇) .
6. 内観(石棺) .
7. 内観(地下聖堂) .
1. Montmoreau へ
モンモロー(Montmoreau)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏シャラント県の町です。同県のあたりは県庁所在地であるアングレーム(Angoulême)を歴史的な中心地とし、アングモワ(Angoumois)地方と呼ばれます。モンモロー(Montmoreau)は、アングレーム(Angoulême)の約20km南にあります。
Église Saint-Denis の見学を終えた夫と私は、狭い坂道を登り、大きな門に着きました。
私たちが呼び鈴を鳴らすと、管理人が礼拝堂に案内してくれました。
2. 概要
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Angoumois roman』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
城は、モンモロー(Montmoreau)領主によって建てられた中世の城の跡地に、16世紀初頭に再建された。その立地から、トゥード(Tude)渓谷を見下ろすことができた。この地方の領主の存在についてはほとんどわかっていない。
長い間、ポーチと礼拝堂は埋もれたままであり、植生に覆われて外からはほとんど見えない状態であった。近年、歴史的建造物保存協会の尽力により、ようやく以前の美しさを取り戻した。この修復作業は、建造物の主要構造の保護にとどまらず、建造物が埋もれていた大量の土砂を内外から取り除く作業も含まれていた。ポーチの円柱の土台は、3メートル以上の深さまで掘り下げなければならなかった。
おそらく、この地方に甚大な被害をもたらした百年戦争の最中に、すべての開口部を塞ぎ、遺物の豊富な礼拝堂と城に通じるポーチを埋める必要があると考えられたのであろう。
建築年代はおそらく、ポーチが12世紀前半、礼拝堂が12世紀後半初めであろう。その素晴らしい彫刻が、それを明確に証明している。
この後も、ゾディアック(Zodiaque)を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Angoumois roman』による平面図です。東が上です。
三つの祭室を持つ礼拝堂があり、その西にポーチがあります。
ポーチの西には、第二礼拝堂のような長方形の建物があります。
4. 外観
礼拝堂は、美しい石細工でつくられ、控え壁で支えられています。
礼拝堂の右(西)には、通路となっているポーチがあります。
ポーチの右(西)には、長方形の建物があります。
コーニス(軒と壁の頂部における帯状装飾)の痕跡がなく、舗装が建物の全体を覆っていることから、かつては建物の上に構造物があったことが想像される。領主が礼拝堂として使用するために、第二の礼拝堂を建てたことは間違いないであろう。
ポーチと長方形の建物に柱頭彫刻があります。
美しい柱頭をひとつご紹介します。
ポーチには、礼拝堂の西扉口があります。
礼拝堂は、ポーチから数段の階段を上がったところに位置します。
5. 内観
礼拝堂の中に入ります。
見上げると、ドーム。
ドームは、八つのアーチで支えられています。
八つのアーチの下には、三つの祭室とひとつの扉口(西扉口)があります。
西扉口の両隣に窓があります。
八つのアーチを支える柱頭に彫刻があります。柱頭を五つご紹介します。
柱頭1:植物
西側に置かれている柱頭は、主に植物模様です。
柱頭2:獣の足を引っぱる男性
東側に置かれている柱頭は、主に人物や動物です。
柱頭3:ライオンのような四足獣に乗る髪の長い人物
柱頭4:髪をつかむ人物
四足獣にまたがる人物は「獅子を裂くサムソン」(旧約聖書の『士師記』14章)かもしれません。男性は四足獣の口を上下に広げているようです。
柱頭5:フクロウ
大きな目と小さな口がかわいい。
礼拝堂の壁はかつてフレスコ画で覆われていた。多色装飾の跡が今でも見られる。
さらに、ゾディアック(Zodiaque)は、建築の詳細や周辺の例を挙げつつ、ここに貴重な聖遺物が保管されていた可能性について論じています。
したがって、この礼拝堂は聖人崇拝の最も重要な場所のひとつであると考えられる。かつては豪華絢爛で、聖遺物箱の黄金やフレスコ画の色彩が壁を照らしていたこの礼拝堂には、聖人崇拝の神秘主義の精神が反映されている。これらの貴重な聖遺物箱の記憶は今もなお生き続けている。というのも、この地方では、有名な宝物が盗まれたという話題が長い間取り沙汰されていたからである。
さぞかし素敵だったことでしょう。
Chapelle Notre-Dame du château。小さな礼拝堂です。美しい柱頭彫刻が残り、貴重な聖遺物箱の記憶が今もなお生き続けています。
・
・
・