サント(Saintes)<2>

2024年5月1日(水)の最後、二番目に訪れたのはSaintes、Basilique Saint Eutrope de Saintesです。

ここは、上部教会内部の柱頭彫刻に感動し、下部教会では神々しい空間に言葉を失います。

2024年、教会は地下聖堂を含め、毎日9:00〜18:30に開いていました。

Saintes では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Abbaye aux Dames
<2> Basilique Saint Eutrope de Saintes

目次

1. Saintes へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(上部教会) .
5. 外観(北小後陣) .
6. 内観(下部教会) .

1. Saintes へ

サント(Saintes)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏シャラント=マリティーム県の町です。同県のあたりはサントンジュ(Saintonge)地方と呼ばれます。この町は、同地方の最大都市です。

サントンジュ(Saintonge)地方とその周辺は美しいロマネスク教会が多く残っていることで有名です。それらに影響を与えたとされているのが、サント(Saintes)の二つの教会。前回にご紹介した Abbaye aux Dames と、ここ Saint Eutrope です。

夫と私は、シャラント川右岸にある Abbaye aux Dames から橋をわたり、左岸の丘の上に来ました。

西側外観

不思議なファサードですが、これは、身廊部分が取り壊されたから。

2. 概要

教会の内外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

聖エウトロピウス教会(église Saint-Eutrope)は、11世紀から12世紀にかけてのヨーロッパにおけるロマネスク芸術の最も重要な例のひとつである。その複雑な構造は、墓を守る修道士たちの典礼上の必要性と、多くの訪問者の必要性を満たしていた。その建築は、かつてのサント教区とアキテーヌ南部全域で開花したロマネスクの出発点となった。

案内板より

1081年、ポワティエ伯であるアキテーヌ公ギヨーム8世は、聖エウトロピウスの聖遺物をクリュニーの偉大なベネディクト会修道院に寄託した。その後、サント(Saintes)に移り住んだ修道士たちにより、教会が再建された。彼らは、空間を巡礼者のための下部教会と、修道士と聖遺物のための上部教会とに分割することに決めた。

もともとは、下部教会と上部教会の中間に位置する身廊が、二つの空間をつないでいました。

この11世紀の建設は、サントンジュ地方の神聖な建物を一新する契機となった。それまでポワトゥー地方で生み出された革新的な建築の影響を受けずにいたこの地方に、新たな建築言語が導入されたのである。

再建された教会は1096年に教皇ウルバヌス2世によって聖別され、コンポステーラへのトゥール街道で最も権威あるモニュメントのひとつとなった。

百年戦争の間、この建物は荒廃した。東部と鐘楼がゴシック様式で再建されたのは15世紀になってからのことで、国王ルイ11世の厚意によるものであった。しかしその後、フランス革命が起こり、その間、建物は維持されなかった。身廊の状態があまりに悪かったため、身廊を取り壊し、二つのクワイヤを残すことになった。現在のファサードは、1831年に翼廊の壁に合わせて再建されたものである。修道士のクワイヤは教区教会となった。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Saintonge romane』による上部教会の平面図です。東が上です。

ゾディアック(Zodiaque)より

黒色:11世紀〜12世紀
白色:14世紀〜15世紀
斜線:19世紀
水玉:1803年に取り壊された部分

4. 内観(上部教会)

教会の中に入ります。

現在の身廊部分はかつて、クワイヤでした。巨大な建物だったことを実感します。

上部教会:旧交差部にて東を向く

柱頭彫刻が素晴らしい。

西扉口の内側にロフトがあり、上がることができました。

上部教会:ロフトにて東を向く

旧クワイヤの柱頭彫刻については、ポワトゥーと呼ばれる、ポワティエ(Poitiers)周辺地域とのつながりが感じられるようです。

修道士たちのクワイヤを収容していた上部教会には、豊富な彫刻装飾が施されており、その植物の形は古代の浮き彫りから着想を得たものであった。新しいテーマも登場している。カロリング朝の伝統をより受け継いだ交錯模様や、滑らかな背景の中で際立つ、実在または幻想的な生き物である。2頭のグリフォン(翼のあるライオンの胴体と鳥の頭)、2体の人魚(女性の胴体と魚の尾)、「微笑む」顔と肉厚の唇を持つ2頭のライオン。これらは、ポワトゥーとの明確なつながりを反映している。

空白の背景によって、人魚の曲線のやわらかさがより強く印象に残ります。

上部教会:旧クワイヤの柱頭

旧クワイヤと旧交差部とでは、柱頭の制作工房が異なるようです。

おそらく1100年以降すぐのことであろう、別の工房が交差部の彫刻を制作し、二つの大きな革新をもたらした。複数の人物像が植物の背景と混在するようになった。

旧交差部の柱頭について、案内板は、装飾写本の影響を指摘しています。例として、蛇や鳥が体を曲げつつ自身、他者や植物にかみついている装飾写本が示してありました。

古代からの着想に加え、写本というグラフィック上の革新もあった。ファサードと柱頭に施されたこの装飾的な華やかさは、サントンジュ・ロマネスク様式に影響を与えた。

「魂の計量」

上部教会:旧交差部の柱頭「魂の計量」

また、物語性のある柱頭が登場した。「魂の計量」は最後の審判を思い起こさせ、「獅子の穴の中のダニエル」は信仰と祈りを促している。

「獅子の穴の中のダニエル」(旧約聖書『ダニエル書』6章)

上部教会:旧交差部の柱頭「獅子の穴の中のダニエル」

このみっちりからみあう感じが、すごくサントンジュ・ロマネスク。

5. 外観(北小後陣)

外に出て、北東に行きます。

北東側外観

主後陣と鐘楼はゴシック様式ですが、北小後陣はロマネスク様式です。

6. 内観(下部教会)

下部教会に行きます。

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Saintonge romane』による下部教会の平面図です。東が上です。

ゾディアック(Zodiaque)より

黒:11世紀
斜線:13世紀
白:15世紀
点:19世紀

下部教会は上部教会とほぼ同じプランで造られました。

下部教会は地下聖堂とも呼ばれます。

鐘楼の基礎部分から入ります。

わお。

下部教会:旧交差部にて東を向く

下部教会または地下聖堂は、かつてのネクロポリスから切り出された。地下聖堂は、力強い複合柱で構成され、これらの柱が樽型アーチと十字アーチを支えている。上部教会とは異なり、後陣の柱を含め、すべてのロマネスク様式の柱が残っている。現存する53個の本物の柱頭は、ひとつとして同じものがなく、非常に厳格かつ独創的な方法で記念碑的な柱に適合している。

周歩廊があり、三つの放射状祭室があります。

下部教会:周歩廊にて南東を向く

神々しい。

Basilique Saint Eutrope de Saintes。上部教会内部の柱頭彫刻に感動し、下部教会では神々しい空間に言葉を失います。

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