2024年4月26日(金)、三番目に訪れたのはSoulac-sur-Mer、Basilique Notre-Dame-de-la-Fin-des-Terres de Soulac-sur-Mer です。
ここは、教会の中に残る柱頭がいいです。
2024年、教会は毎日9:00〜18:00に開いていました。
目次
1. Soulac-sur-Mer へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Soulac-sur-Mer へ
スラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県にある村です。ボルドー(Bordeaux、同地域圏の首府であり同県の県庁所在地)の約87km北西にあります。
ビスカヤ湾とジロンド川に挟まれたメドック(Médoc)半島の先端に位置します。
西側には大きな広場があります。家族連れがのんびりと散歩していました。
2. 概要
教会の外に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
1000年以前に何度か再建された小礼拝堂(oratoire)の跡地に建てられた。
ボルドーの聖十字架修道院(abbaye de Sainte-Croix de Bordeaux)の庇護のもとにあるベネディクト会小修道院(prieuré bénédictin)とその付属教会については、それぞれ1035年と1079年に最初の記録が残されている。
しかし、三つの身廊と祭室を持つ広大なバシリカ式プランのロマネスク様式の教会が完成したのは12世紀初頭であった。当時、正面扉口は南側にあり、装飾のない西側は修道院の建物に隠されていたと思われる。回廊の跡は北側に残っている。
14世紀には、砂の侵入と増水により、内部の床レベルを3.60m上げざるを得なかった。その後、ゴシック様式の扉口が西側に開けられた。
正方形の鐘楼は、16世紀の宗教紛争時に教会を要塞化したことに由来する。18世紀になると再び砂が上昇し始め、1860年に砂を除去するまで、教会は放置された。1891年7月20日に歴史的建造物に指定され、1910年に二つの後陣の修復が完了した。
この後も、案内掲示を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内掲示による平面図です。東が右です。
斜線:破壊された土台(12世紀以前)1868年の図面
星印:1984年の発掘調査
緑色:12世紀
斜線:12世紀の教会入り口。1913-14年の発掘調査
白色:14世紀
青色:19~20世紀(聖具室1905年、小後陣1910年。12世紀の基礎)
点線:かつての回廊 十字架:石棺
4. 外観
北に行きます。かつて回廊がありました。
教会の北壁の近くには、石棺が置かれています。
1858年から1859年にかけての砂の除去作業中に、教会周辺から多くの石棺が発見された。石棺は11世紀以前のものである。
西暦1000年以前からこの場所には小礼拝堂(oratoire)があったそうですから、むしろ石棺があって当然かも。
東に行きます。
12世紀頃には、きっと美しいロマネスク建築だったことでしょう。
5. 内観
教会の中に入ります。
ロマネスク様式の柱頭があります。柱頭を四つご紹介します。
柱頭1:「獅子の穴の中のダニエル」(旧約聖書の『ダニエル書』6章)
この教会の中には、同じ図像の柱頭が複数あります。
柱頭2:「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)
ボルドー(Bordeaux)の聖セヴェリヌス教会(Basilique Saint-Seurin) の柱頭に似ています。
ボルドー(Bordeaux)の聖十字架教会(Église Sainte-Croix)にも同じテーマの柱頭があります。でも、その柱頭は中央のイサクの上に鷲が描かれているところが異なります。
この教会は聖十字架教会(Église Sainte-Croix)の庇護を受けていたのですが、そちらと異なる理由は、謎です。
柱頭3:首をからめあう鳥たち
首、細くて長い。
柱頭4:二頭の怪物
ベガダン(Bégadan)の「二頭の怪物に乗る勝利の図」を思い出します。怪物に乗る人物はいません。でも、怪物たちは、たてがみも、体勢も表情もよく似ています。
Basilique Notre-Dame-de-la-Fin-des-Terres de Soulac-sur-Mer。教会の中に残る柱頭がいいです。
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