モンマジュール(Montmajour)<1>

2023年9月21日(木)、二番目に訪れたのは Montmajour、モンマジュール修道院(Abbaye Montmajour)です。

ここは、サン=ピエール礼拝堂、地下聖堂、回廊が素晴らしいです。

2023年は、4月〜5月は毎日10:00~17:00、6月〜9月は毎日10:00~18:30、10月~3月は月曜を除く毎日10:00~17:00に開いていました。ただし、1月1日、5月1日、11月1日、11月11日、12月25日は閉まりました。有料(€6)です。

Montmajour では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Abbaye Montmajour
<2> Chapelle Sainte-Croix

目次

1. Montmajour へ .
2. 概要 .
3. 案内図 .
4. 地下聖堂(12世紀) .
5. 岩窟墳墓(11世紀から14世紀) .
6. サン=ピエール礼拝堂(11世紀) .
7. 回廊(12〜19世紀) .
8. 修道院教会(12世紀) .

1. Montmajour へ

モンマジュール(Montmajour)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ブーシュ=デュ=ローヌ県にある村で、アルルの約4km北東にあります。

私は、道を挟んで北にある駐車場に車を停め、横断歩道をわたって、要塞のような建物に向かいました。

北東側外観

門を通り抜け、坂道をのぼって振り返ると、ファサードがあります。

西側外観

写真左下の入口から入ると、チケット売り場です。

2. 概要

チケット売り場でリーフレットをもらいました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

アルルの玄関口、大きな山を意味するモン・マジュール(mont Majour)と呼ばれる湿地に囲まれた岩場に、10世紀、ベネディクト会修道士の共同体が定住した。

11世紀半ばにサンピエール礼拝堂(chapelle Saint-Pierre)が建てられ、その後修道院教会(église abbatiale)が建てられた。その地下聖堂に保存されていた真の十字架の聖遺物は多くの巡礼者を魅了し、12世紀には囲い(Clôture)の外にサントクロワ礼拝堂(chapelle Sainte-Croix)が建てられた。

囲いの外にあるサント=クロワ礼拝堂(chapelle Sainte-Croix)は、次回にご紹介します。

13世紀末には、修道院は56の修道院を経由して、イゼール(Isère)渓谷から地中海までその精神的権力を拡大した。百年戦争の間、修道院は要塞化された。18世紀にサンモール修道会(congrégation de Saint-Maur)によって行われた改革は、さらなる拡大と新しい修道院の建設につながった。

用語解説
囲い(Clôture):修道院を囲うもので、修道士が規則に従って隠遁生活を送る場所であり、信徒は立ち入ることができない。
百年戦争: 1337年から1453年にかけてフランス王とイングランド王の間で起こった一連の紛争。平和な時期には、無給の傭兵集団が王国を略奪した。

この後も、リーフレットや現地にあった案内を引用する時に太字で書きます。

3. 案内図

リーフレットによる案内図です。

リーフレットより

1 地下聖堂(12世紀)
2 岩窟墳墓(11世紀から14世紀)
3 サンピエール礼拝堂(chapelle Saint-Pierre、11世紀)

4a ポン・ド・ロームの塔(14世紀)
4b サントクロワ礼拝堂(chapelle Sainte-Croix、12世紀)
5 農園
6 かつての修道院正面玄関
7 サン=モール修道院(monastère Saint-Maur、18世紀)
8 かつての貯蔵室
9 回廊、西ギャラリー
10 回廊、南ギャラリー

11 食堂
12 回廊、東ギャラリー
13 チャプター・ハウス
14 回廊、北ギャラリー
15 修道院教会(12世紀)
16 ノートル=ダム=ラ=ブランシュ礼拝堂(chapelle Notre-Dame-la-Blanche)
17 聖具保管室(15世紀)
18 資料室(15世紀

今回ご紹介するのは、地下聖堂、岩窟墳墓、サン=ピエール礼拝堂、回廊と修道院教会です。

4. 地下聖堂(12世紀)

現地に非常用避難経路を示す図がありました。東が左です。

現地にあった非常用避難経路図より

地下聖堂は、修道院教会の下の部分であり、修道院の土台として機能している。南側は岩から切り出され、北側は切石で造られている。重厚な壁、大きくカーブしたクワイヤ、トランセプト上部のアーチの堂々とした厚みは、この建築の本質的な特徴である。

古代ローマからの遺産であるこれらの要素は、12世紀に発展したプロヴァンス・ロマネスク様式を特徴づけている。完璧に整えられた石は、石切り職人の卓越した専門技術を物語っている。一部の石には大文字が記されているが、これは石工が報酬を得るために残した特徴的な印である。

地下聖堂

切りそろえられた石が整然と並んでいます。

周歩廊から内陣をみると、祭壇に美しい彫刻。

地下聖堂:周歩廊にて内陣を向く

地下聖堂の七つの礼拝室は、典礼、ミサ、葬儀のために使われた。そのため、後陣を取り囲む墓地へも直接アクセスが可能であった。

外に出ます。

5. 岩窟墳墓(11世紀から14世紀)

地下聖堂の周歩廊から外に出て、振り返ります。

東側外観

教会の南東には、岩がむきだしになっていて、たくさんの穴があります。

岩窟墳墓です。

岩窟墳墓

岩窟墳墓は、モンマジュール(Montmajour)の葬儀の使命を思い起こさせる。最も古いものには、頭と足を納める部分がかたどられている。

岩窟墳墓の南には、サン=ピエール礼拝堂(chapelle Saint-Pierre)への門があります。

サン=ピエール礼拝堂への門

門の右には聖ペトロの像。礼拝堂に導くだけでなく、岩窟墳墓を見守っているような姿です。

6. サン=ピエール礼拝堂(11世紀)

現地に非常用避難経路を示す図がありました。東が上です。

現地にあった非常用避難経路図より

プレ・ロマネスク様式の半岩窟礼拝堂で、修道院最古の建築群である。

サン=ピエール礼拝堂:南身廊にて東を向く

11世紀中頃のもので、二つの身廊と内陣が並んでいる。

南の身廊と内陣はパルメット、交差する幾何学的な図形などが描かれた、カロリング様式の12の柱頭が特徴である。

サン=ピエール礼拝堂:南身廊にて北東を向く

北の身廊と内陣は自然の洞窟を利用している。

サン=ピエール礼拝堂:北身廊にて東を向く

東側には、寝室、聖具室など様々な用途に使われたと思われる部屋がある。

その部屋へと続く細い通路の手前(北内陣)に、素晴らしい彫り物があります。

北内陣にて南東を向く

簡素で力づよい彫刻です。

7. 回廊(12〜19世紀)

回廊に行きます。

現地に案内シートが置いてありました。東が右です。

案内シートより

西ギャラリーは18世紀に改築された。南ギャラリーはロマネスク様式の構造を持つが、14世紀後半のゴシックの図像を代表する彫刻が飾られている。

回廊(左が西ギャラリー、右が南ギャラリー)

西壁面には、1993年に発見された12世紀〜13世紀の落書きがある。コンソールは12世紀に彫刻されたもので、幻想的な獣戯画が描かれている。

落書きは、25隻くらい船が描かれています。

回廊西壁に残る12世紀の落書き

ロマネスク様式のコンソールがヴォールトを支えています。

丸顔。

回廊西壁のコンソールのひとつ

東ギャラリーには、修道院の主要な寄進者であるプロヴァンス伯爵家の壁龕がある。北ギャラリーは、葬儀のための機能を備えていた。そのアンティークな様式は、アルルのサン・トロフィームに似ており、フルート型の柱とコリント式の柱頭を持つ。

回廊(左が東ギャラリー、右が北ギャラリー)

東ギャラリーにあるプロヴァンス伯爵家の壁龕が、こちら。

回廊東ギャラリー

小柱を口にくわえる怪物たちも良いのですが、壁龕の隣のコンソールも良いです。

北東の角にあるコンソール

両手を上にあげて祈りを捧げる、オラントのポーズの人たち。腕や足のゆるやかで伸び伸びとした様子がとても好きです。

東ギャラリーは、柱頭彫刻も見逃せません。

葉っぱに囚われた人。

回廊、東ギャラリー

同じ柱頭の別角度には「イエスの誘惑」(マタイによる福音書4章、マルコ…1章、ルカ…4章)

イエスを誘惑しようと試みる悪魔、なんだかかわいい。


回廊、東ギャラリー

8. 修道院教会(12世紀)

修道院教会に入ります。

修道院教会、身廊にて東を向く

修道院教会は修道院の主要な教会である。地下聖堂の上にラテン十字型に建てられている。身廊の高さは16メートルで、樽型ヴォールトになっている。当初は五つの柱間が予定されていたが、完成したのは二つのみであり、未完成となっている。

内陣には、南側に三つの窓があり、北側に建築を支える堅固な壁がある。ここに30人の修道士が集まり、徹夜課、賛課、一時課、三時課、ミサ、六時課、九時課、晩課、終課の典礼を祝った。

連日、休む間もなく祈りを捧げ続けた修道士たち。睡眠時間がたっぷり必要な私からすると、まさしく超人です。

モンマジュール修道院(Abbaye Montmajour)。サン=ピエール礼拝堂、地下聖堂、回廊が素晴らしいです。

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