2023年9月20日(水)、最初に訪れたのは Salagon、ノートル=ダム・ド・サラゴン小修道院(Prieuré Notre-Dame de Salagon)です。
ここは、西扉口と北側廊の彫刻が良いです。
庭園や博物館と一緒に公開されています。2023年は2月1日から12月15日(2月〜4月と10月〜12月15日は水曜から月曜の10:00~18:00、5月〜9月は毎日10:00~19:00)に開いていました。有料(€8)です。
目次
1. Salagon へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Salagon へ
サラゴン(Salagon)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=ド=オート=プロヴァンス県にある、新石器時代から人が住んでいた場所です。
(1)新石器時代の遺跡、(2)原史時代の遺跡、(3)ガロ・ローマ遺跡、(4)駐車場、(5)受付棟、(6)考古学分析、(7)庭園、(8)小修道院
小修道院に行くには、配置図でいうと、(5)受付棟で入場料を支払ってその建物を通り抜け、(7)庭園に出ます。そこで南を向くと(8)小修道院の建物が見えます。
2. 概要
教会の内外に案内板がありました。また、リーフレットをもらいました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サラゴンには、もともと肥沃な土地と灌漑用水があった。これらの要素は、紀元前4000年期の新石器時代中期にこの地域に定住した人類をひきつけたであろう。
紀元後1世紀、イタリアとスペインを結ぶ大道路 「ヴィア・ドミティア 」のおかげで商業貿易の恩恵を受け、この地域は急速に発展した。サラゴンでは、農場に囲まれた家が建てられた。5世紀後半には、初期キリスト教の葬儀用バシリカが建てられた。
サラゴンの宗教的使命は、農業と共存しながら何世紀にもわたって続いた。
1~5世紀:ローマ時代のヴィラ
ローマ時代のヴィラは、伝統的に3つの棟がコの字型に並んでいる。サラゴンでは、その建物の遺構の方角は現在の建物とは一致していない。5世紀になると、その建物は次第に使われなくなった。
5~8世紀:バシリカとネクロポリス
現在のクワイヤの場所に長方形のバシリカが最初に建てられ、そこに正方形の後陣が付け加えられ、さらに南側に増築された。サラゴンの葬祭機能は古代後期まで遡り、二つの付属施設の建設はこの葬祭機能と関連しているようである。オリジナルのバシリカは、教会の再建時に消失した。
9世紀と10世紀については情報がない。
11世紀初頭、サラゴンは、教会の主要な収入源として記録されている。フォルカルキエ(Forcalquier)の教会は、サラゴンから什分の一を受け取っていた。
12世紀、サラゴンは、ガール(Gard)地方のヴィルヌーヴ=レ=アヴィニョン(Villeneuve-lès-Avignon)のサンタンドレ(Saint-André)修道院の庇護の下に置かれた。その後、何度も改築を繰り返した。中世の面影を残すのは、二つの身廊を持つ教会だけである。
14世紀、アヴィニョンに居を構えていたローマ教皇たちは、「委託(commende) 」の原則を支持した。つまり、宗教施設を親族に委託し、その親族は土地から得られる収入を得て、自分たちのために使用したのである。この時代から18世紀まで、サラゴン修道院はこの原則に従って運営された。
責任者が、その土地に居住せず、収入だけを得ます。組織を発展的に運営するには、難しい原則だと思います。
14世紀は、戦争、疫病、食糧不足によって政治的・宗教的均衡が損なわれた時代であった。教会や礼拝堂が依存していた村々の多くは放棄されたり、被害を受けたりし、修道院の収入も減少した。しかし、サラゴンは生き残ったようだ。
肥沃な土地ですから、農業が支えになったのかもしれません。
1434年にルネ王が登場し平和が回復したことで、徐々に経済が復興し、サヴォワ、ピエモンテ、リグーリアからの移住者の到着に伴う人口増加も起こった。15世紀末から16世紀初頭にかけて、修道院棟はルネッサンスの影響を受けた建築様式で改築された。
フランス革命により、サラゴンは国有地として売却された。1830年、建物と周辺の土地はカリクスト(Calixte)家が購入した。一族は住居棟に住み、他の建物は農業に利用した。1981年まで所有権を保持したのち、カリクスト家はモニュメントをマーヌ(Mane)市に売却した。教会については、1929年の写真に、宗教と農業が共存していたことが証明されている。白と金のモダンな祭壇が写っているが、写真には農業機械や干し草も写っている。
この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
建物の移り変わりを示す図です。
案内掲示による平面図です。
では、見学です。
4. 外観
西側です。
いびつな形のファサード。
西扉口の上の方に、美しい浮き彫りがあります。
扉口の柱頭や小柱。
繊細な彫刻です。
多様な模様が良いです。
5. 内観
教会の中に入ります。
教会は、やや尖った樽型ヴォールトで覆われた身廊と、ルネサンス期のリヴ・ヴォールトを頂く側廊を持つ。
内陣の下には、ガロ・ローマ時代のヴィラ(1世紀)の水盤と排水溝がある。
内陣に立つと、下を見られます。
ロマネスク期に関しては、身廊と側廊に彫刻装飾が残っています。小さな浮き彫り4点と、複数の柱頭彫刻です。
小さな浮き彫り4点は、側廊の北壁に埋め込まれています。
羊の頭部。
鹿狩りの場面。
羊飼いたちにイエスの誕生を告げる場面(教会の再建中に切断され、分離された)。
表情があって良いです。
柱頭彫刻は、主に植物が描かれています。
真ん中に人の顔が描かれているかも。
いちばん印象的なのは「イエスの洗礼」(マタイ3章、マルコ1章、ルカ3章)を描いた柱頭です。
洗礼者ヨハネの衣服や天使の翼が丁寧に彫られています。
天使が布を手にしています。手を覆ってイエスに対する敬意を表すというより、濡れた体を乾かすためのタオルのような持ち方なのが、楽しい。
ノートル=ダム・ド・サラゴン小修道院(Prieuré Notre-Dame de Salagon)。西扉口と北側廊の彫刻が良いです。
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