トアーノ(Toano)

2023年9月3日(日)の最後、六番目に訪れたのは Toano。Pieve di Santa Maria です。

ここは、内部の柱頭が素晴らしいです。

2023年、教会は、夏期の日曜10:00〜18:00に開いていました。

目次

1. Pieve di Santa Maria へ .
2. 概要 .
3. 外観 .
4. 内観 .

1. Pieve di Santa Maria へ

教会は、トアーノ(Toano)の村から約1キロ離れ、100メートルほど高い標高944メートルの、モンテ・カステッロと呼ばれる岩山の上にあります。

南東側遠景
眺め

クリ、モミ、オークの木々に囲まれた静かな場所からは、アペニン山脈の素晴らしい眺めを楽しむことができます。

2. 概要

教会の中に案内のコピーがいくつも置いてありました。私が和訳して太字で要約します。

教会に関する最初の文書は、980年10月14日に記録されている。中世の時代には、ボニファチオ・ディ・カノッサ(Bonifacio di Canossa、有名な女伯マティルデ(Matilde)の父)が築いた城壁に囲まれていた。

2017年に始まった考古学的発掘調査で、歴史がより明確になった。最も古い痕跡は中世初期に遡り、岩盤に木造建築の穴が残っている。その後、9世紀から10世紀にかけて、教会の隣に墓地ができ、岩盤に直接掘られ石板で覆われた墓があった。それらの墓からは、右側に矢が刺さった鎧や、フランク人のベルトの先端が発見された。11世紀、墓地は放棄され、城がつくられた。城壁の一部、重要な建物(塔か宮殿か)、城壁の後ろに建てられたいくつかの部屋などの跡が確認された。

城は1265年、レッジョ・エミリアとモデナの戦争で破壊され、ロッカ(要塞)と教会が残った。ロッカにはポデスタ(トアーノの領主)の住居と牢獄があり、16世紀末まで使用された。その後、地滑りにより18世紀末に崩壊した。最後の破壊は、第二次世界大戦中の1944年8月、ドイツ兵によって行われた。この岩場はパルチザンの避難所となり、ドイツ軍に包囲され、教会は半壊したのである。戦後、教会は修復され、1951年から再び宗教的な祭典に利用できるようになった。

この後も、案内のコピーを要約するときは太字で書きます。

3. 外観

建物は、レッジョ・アペニンの典型的な石である砂岩の大きなブロックを積み上げて造られた。南扉口は16〜17世紀に造られた。

柵で囲ってあるところが、発掘調査が行われた(9世紀から10世紀の、教会の隣の岩盤に直接掘られた墓所が確認された)場所だと思います。

南西側外観

教会の南西に鐘楼がありますが、これには物語があります。

1819年、モデナ公爵から助成金を受け取ったトアーノの人々は、ロッカ(要塞)の廃墟から拾ってきた石などを使用し、教会に欠けていた鐘楼の建設に取りかかった。資金不足を誤算した彼らは、フォンタナルッチャ(Fontanaluccia)のビンビ(Bimbi)兄弟に三つの鐘を注文し、費用を節約するために12世紀と15世紀と書かれた既存の二つの鐘を溶かしてもらった。ついに資金が底をついたことを知った彼らは工事を中断。鐘楼は基壇部分のみ石造りで、残りの部分は木造となり、その中に三つの新しい鐘が置かれた。

なんだか、憎めない人たち😂

北西側外観

1944年8月、ドイツ兵が鐘楼にも放火したため、戦後、石造りの鐘楼が完成したのである。

いわくつきの鐘楼です。

4. 内観

教会の中に入ります。

わお。

身廊にて東を向く

柱頭が素晴らしい。

左側のものは、イスラエルのダビデ王がいくつかの楽器(ハープ、ギター)を演奏している様子を表している。中央には、聖母子の像がある。

ダビデの柱頭

ダビデの柱頭は、四つの面に彫刻があります。聖母子像の面以外の全ての面には、中央に鷲がいます。

ダビデの柱頭(別角度)
ダビデの柱頭(別角度)
ダビデの柱頭(別角度)

ダビデと鷲といえば、旧約聖書の『詩編』にこうあります。

詩編103編
1:【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。
2: わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
3: 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し
4: 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
5: 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。

主、すごくないですか?

鷲のような若さを新たにしてくださるんだって。

右側の柱頭は、アカンサスの葉と人間を噛む怪物(善と悪の永遠の闘争の象徴)で豪華に装飾されている。

人間を噛む怪物の柱頭

美しい植物の上では、怪物が哀れな人間たちに噛みついています。

人間を噛む怪物の柱頭(別角度)

植物は、繊細な焼き菓子のようで、とても美しいです。

内陣の近くには、2つの半円柱(アカンサスの葉、新芽、ブドウの房)がある。

こちらも美しいです。

内陣の近くの柱頭

ところで、祭壇の手前に石板が置いてあります。

第二次世界大戦後、修復作業中に内陣の床下から大きな石板が発見され、片面に日付が刻まれていた。日付は1189年か1109年を意味している可能性がある。

日付が刻まれた部分を赤い四角で示しました。「+M.C.O.V.I.I.I.I.」とよめます。「O」の文字の解釈が揺れているために「1189年か1109年」ってことになるらしい。

石板

この石板は祭壇として使われたと考える学者もいれば、墓石として使われたと考える学者もいる。

そっか。

Pieve di Santa Maria。内部の柱頭が素晴らしいです。

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