グロレンツァ(Glorenza)

2023年8月12日(土)の最後、五番目に訪れたのは Glorenza、Chiesa di S. Giacomo a Söles です。

ここは、フレスコ画の断片とそれにまつわる歴史が素晴らしいです。

ガイドツアー(所要時間約2時間)でのみ訪問可能です。私は comune の観光局を通じて予約しました。ガイドツアーは基本的にドイツ語だけです。

イタリア語で問い合わせた私に、観光局の担当者は尋ねました。「ガイドはイタリア語をあまり話せませんが、よろしいですか?」よろしいですとも!私はドイツ語を話せませんから、もしガイドが少しでもイタリア語を話してくれるのなら、大変ありがたいことでした。

目次

1. Glorenza へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 . 
5. 内観 . 

1. Glorenza へ

私はマリエンべルク(Marienberg)から南東に約10km、16分ほど運転して、村の教区教会近くの駐車場(Car Parking “Glurns-Söles”)に着きました。15:15頃のことです。

ガイドツアーを予約したとき、観光局の担当者から、この駐車場で15:30にガイドと待ち合わせるように言われたのです。そして、ガイドと会ったら2人で南に1.3km、18分ほど歩いて、教会に行きます。

教会へと向かう田舎道(Sölesweg)

さて、待ち合わせ場所にガイドのAdolfさんが来ました。彼のイタリア語は、私より上手なくらいでした😅。彼は笑顔で「今日のためにイタリア語を練習したんですよ」と言いました。

Adolfさん、日頃はドイツ語の方言で話しているのだそう。

彼によると、この地域の公用語は、支配者の意向で変えられました。紀元前1世紀から古代ローマ帝国の支配を受け、ラテン語が変化したレト・ロマンス語が話されるようになりました。でも、17世紀の宗教改革のときドイツ語が強制されてレト・ロマンス語を話さなくなっていきました。そして、20世紀になるとイタリアに占領されファシストによってイタリア語が強制されましたが、それは浸透しませんでした。「家に帰って、学校で話している言語で『お父さん、ただいま』と言うとなぐられたんです、そんな(強制された)言語で話すな、と。」

自分たちの言語を禁止されて別の言語を強制されるって、とても残念なことです。

彼はこうも言っていました。「この土地は決して豊かな土地ではありません。そして、私たちは占領された歴史を持っています。ウクライナなどで起きていることは人ごとではありません。あらゆる人がみな、互いの文化を尊重して、食べるものがあることに感謝して生きると良いのですが。」

私は彼の言葉に深くうなずきました。

話をロマネスクに戻します。

この坂を登ると教会があります

教会に着きました。

南東側外観

2. 概要

ガイドからリーフレットをもらった上、説明を聞きました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

St.-Jakob-Kirche bei Söles / Chiesa di S. Giacomo a Söles

教会は1200年頃に建築されたと考えられており、教会に関する最も古い記述は1220年と1249年である。

1499年、カルヴェンの戦いの後、教会は強奪され焼失した。1570年から1580年にかけてゴシック様式で再建されたが、1799年にフランス軍によって破壊された。

19世紀末には牛小屋として使われていた。

廃墟になった教会が再発見されたのは20世紀になってからである。農夫が自転車で来ると、林の中に、鐘楼の上部だけが見えていた。農夫は良い物件と思ったので買い求め、樹木を伐採したところ、屋根のない教会が見つかった。

この後も、ガイドから聞いた説明を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

ガイドが持っていた資料の中に平面図があり、撮影させてもらいました。

ガイドが持っていた資料より

茶色がロマネスクの平面図、灰色がゴシックの平面図です。ロマネスク様式の教会の床の一部は、現在の教会の床とオーバーラップしています。

4. 外観

ゴシック様式の教会は、ロマネスク様式の教会よりひとまわり大きく再建されましたが、それでも大きな教会ではありません。

北側外観

扉口は北側に一つだけあります。

5. 内観

教会の中に入ります。

南壁に、フレスコ画の断片がパズルみたいに組み直されて展示されています。

このフレスコ画は、マリエンベルクの教会を描いた画家の作品と考えられ、13世紀の最初の10年間に描かれたとされている。

身廊にて南東を向く

こちらのフレスコ画は、左に神の手があり、右に小麦の束を持つ男性がいます。土の実りを主のもとに献げ物として持って来たカイン(『創世記』4章)だと思います。

カイン(『創世記』4章)

たぶん、勝利アーチの右側壁面を飾っていたものでしょう。

ブルグシオ(Burgusio)に同じようなフレスコ画がありました。カインの仕草も豊かなヒゲもよく似ています。

こちらのフレスコ画は、「磔刑」(マタイ27章、マルコ15章、ルカ23章、ヨハネ19章)だと思います。

「磔刑」

こちらのフレスコ画は「十字架降架」(『マルコによる福音書』15章、『ルカによる福音書』23章、『ヨハネによる福音書』19章)だと思います。

「十字架降架」

聖母マリアは、顔も細い手指も美しいです。

「十字架降架」(部分)

釘抜きを頑張るニコデモの髪、使徒ヨハネの憂い顔。良いです。

「十字架降架」(部分)

ガイドのAdolfさんによると:

村には「林には財宝が眠っている」という伝承があった。

20世紀に林の中から再発見された教会の床を調べると穴があり、貴重なフレスコ画の断片が数多く見つかった。

ガイドが持っていた資料より

調査した専門家らによると、これらの断片は非常に丁寧に置かれていた。教会が1499年に放火・略奪された後、1570年から1580年にかけて再建されるとき、かろうじて残っていた1200年頃のフレスコ画の断片を床下に保存したと考えられている。

大切に保存されたフレスコ画の断片。金銀より貴重かもしれません。

Chiesa di S. Giacomo a Söles。フレスコ画の断片とそれにまつわる歴史が素晴らしいです。

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