2023年8月4日(金)、最初に訪れたのは Novalesa、Abbazia dei SS. Pietro e Andrea a Novalesa です。
ここは、教会と回廊を含む修道院の建物に加えて、礼拝堂の建物が四つあります。Cappella di Sant’Eldrado のフレスコ画が圧巻です。また、Cappella di San Salvatore は石積みが美しく、Cappella di Santa Maria は清楚な姿が愛らしいです。
見学ツアーは3日前までに予約が必要です。予約が可能な日程は以下の通りです(2023年8月現在の情報です)。
<7月1日から8月31日>
火曜から土曜の10:30と11:30と15:30、日曜11:30と15:30
<9月1日から1月6日と3月15日から6月30日>
土曜10:30と11:30、日曜11:30
ただし12月25日と1月1日は見学不可、12月26日は午前11時30分に見学可。
見学ツアーでは、ガイドと一緒に以下の場所を巡ります。
Cappella di San Salvatore ➡️ Cappella di San Michele ➡️ Cappella di Sant’Eldrado ➡️ 回廊 ➡️ 考古学博物館(Museo Archeologico)で解散。
目次
1. Novalesa へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. Cappella di San Salvatore .
5. Cappella di San Michele
6. Cappella di Sant’Eldrado .
7. 回廊 .
8. Cappella di Santa Maria.
1. Novalesa へ
私は Airbnb をチェックアウトし、北西に約120km、90分ほど運転して、山の中の修道院に着きました。10:00頃のことです。
修道院は Cenischia 川の右岸に位置します。Novalesa 村の集落から南へ Giusalet 山の森林の斜面を登った先にあります。
私は、北から赤い矢印のようにアクセスして、車を停めました。
1. Cappella di Santa Maria、2. Cappella di San Salvatore、3. Cappella di San Michele、4. Cappella di Sant'Eldrado
見学の集合場所は黄色い丸印の場所(10. Corte interna)です。
予約したツアーの集合時刻は10:30。私は訪問者入り口(9. Ingresso visitatori)に掲示してある案内を読んだり、ショップ(11. Portineria, punto vendita)に行ったりして待ちました。
ショップ(11. Portineria, punto vendita)で英語版の案内シートを貸してくれました。
6. 教会(Chiesa)、7. 回廊(Chiostro)、8. 修復ラボ(Laboratorio di restauro)、9. 訪問者入り口(Ingresso visitatori)、10. 中庭(Corte interna)、11. ショップ(11. Portineria, punto vendita)、12. 考古学博物館(Museo Archeologico)16. トイレ(Toilette)
2. 概要
車を停めた場所に案内板、訪問者入り口(9. Ingresso visitatori)と考古学博物館(Museo Archeologico)に案内掲示がありました。また、ショップ(11. Portineria, punto vendita)で案内シートを借りました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道院の歴史は、726年にフランク王国の高官であったガロ・ローマ帝国出身の貴族 Abbone が、Cenischia 渓谷の彼の土地に以前から設立されていた修道院共同体を正式なものとし、必要な財を与え、聖ベネディクトの規則の遵守を義務付けたときに始まった。
この修道院のその後の数世紀にわたる歴史には、さまざまな波乱が交互に訪れた。『Chronicon』(11世紀)をはじめ、1670年や最近の文書によって伝えられ、また、物質的な構造変化に反映されている。
820年から845年まで修道院長を務めた Eldrado のもとで、共同体は精神的に最も開花する瞬間を経験した。906年、サラセン人の襲撃により、修道士たちはトリノに逃れた。その後、生き残った修道士たちは monastero di Breme を設立し、11世紀にはそこから何人かの修道士がやってきて、修道院を再開した。
このために、建物に8世紀、9世紀と11世紀以降の構造はありますが、10世紀が空白の期間になっています。
1855年5月29日のピエモンテ政府による弾圧法により、修道院は競売にかけられ、温泉療養のためのホテルとなった。1972年にトリノ県が購入し、1973年にベネディクト会修道士が管理することになった。
この後も、案内板、案内掲示や案内シートを引用するときに太字で書きます。
3. 平面図
考古学博物館(Museo Archeologico)に平面図がありました。
中世初期からの、いくつもの建物の遺構が確認されています。重要な場所だったんですな。
黄緑:プレ・ロマネスク第1期、緑:プレ・ロマネスク第2期、赤:ロマネスク期
4. Cappella di San Salvatore
ツアーで最初に見学するのが、集合場所(Corte interna)から一番近い場所に位置する Cappella di San Salvatore です。
坂道を南東に80メートルくらい上ったところにあります。
1963年に修復された Cappella di San Salvatore については、考古学的な検証がなく、上物には現在の建物よりも古い建築の痕跡は見られない。しかし、『Chronicon』(11世紀)には、この建物が修道院長の住居であったことが記録されており、ここでも、ロマネスク様式の建物がそれ以前の土台に取って代わった可能性がある。中世初期の四角形の建物であることは確かで、塔の跡が残っているが、この塔が居住機能を持っていた可能性は否定できない。
中に入ります。
石積みが美しいです。
勝利アーチのあたりにフレスコ画が残っています。
ガイドによると、ロマネスク期(12世紀〜13世紀)に描かれたものだそう。
南窓のあたりにもフレスコ画が残っています。
足のようです。
かつては礼拝堂全体がフレスコ画で覆われていたのだと思います。
外に出ます。
山を借景に佇む Cappella di San Salvatore、とても美しいです。
5. Cappella di San Michele
ツアーで二番目に見学するのが、 Cappella di San Salvatore の東隣に位置する Cappella di San Michele です。
坂道を東に50メートルくらい上る、四つの礼拝堂の中で一番高い位置にあります。
Cappella di San Michele については、内部を訪れません。
外側を眺めるだけです。
ガイドによると、ファサードが大きいのはカロリング期の特徴だそう。
Cappella di San Michele は8世紀に遡り、外壁のアーチにはより新しい装飾が施され、内部の装飾の段階はまだ解明されていない。実は、この礼拝堂はまだ綿密な調査の対象になっておらず、修復に必要な条件が整った段階で調査が行われることになる。
6. Cappella di Sant’Eldrado
ツアーで三番目に見学するのが、Cappella di Sant’Eldrado です。
Cappella di Sant’Eldrado は、修道院長で聖人となった Eldrado の墓を納めるために9世紀半ば過ぎに建てられた古い建物(おそらく10世紀、修道院が放棄された数十年の間に廃墟となった)の跡に、11世紀初頭に建てられた。11世紀末に礼拝堂はフレスコ画で覆われていた。数世紀後に聖エルドラドゥスの聖遺物が修道院教会に移された後も、礼拝堂は敬虔な場所として使われ続けた。17世紀にシトー会修道士によって建てられた正面のポルティコが、それを証明している。
二番目に見学した Cappella di San Michele から80メートルくらい南東に位置します。
緩やかな坂を下り、四つの礼拝堂の中で一番南端にあります。
後陣がとても美しいです。
礼拝堂の中に入ります。
わお。
極彩色のフレスコ画が内部をうめつくしています。
11世紀末になると、当初は何の装飾もないシンプルな漆喰で覆われていた内部は、全体が聖エルドラドゥスと聖ニコラウスの生涯を描いたフレスコ画で装飾された。
ガイドによると、聖エルドラドゥスはローカルの聖人(この修道院の修道院長だった)。聖ニコラウスが描かれている理由は、プーリアからパリへ向かう途中にこの修道院に来たからだそう。
身廊には二つの柱間がありますが、後陣に近い柱間に聖ニコラウスの生涯、西扉口に近い柱間に聖エルドラドゥスの生涯が描かれています。
壁のフレスコ画も素晴らしいです
注目したいのは、天井です。
実に丁寧に描いてあります。
素晴らしいんですが、「聖ニコラウスの生涯」には、変な図があります。
13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』(前田敬作・今村孝訳)の記述によれば:
聖ニコラウスは、生まれたその日、産湯をつかわせようとすると、たらいのなかにすっくと立った。また、水曜日と金曜日には母の乳房を一度しかすわなかった。
どうやら、四季の斎日に大人が水、金、土曜の食事を減らす断食を意識させているんです。
聖ニコラウスは赤ちゃんのときから立派だった。食事を減らして、罪のつぐないとたましいを潔める断食をしてた、ってわけです。
でもね、この変な図の強烈な印象といったら、ありません。
びっくりです。
さて、後陣の中央には右手で祝福し左手に本を持つイエス。マンドルラの両側には大天使ミカエルと大天使ガブリエル、イエスの足元には聖ニコラウスと聖エルドラドゥスが描かれています。
後陣の Sant’Eldrado の足元には、1060年から1093年にかけて Breme の修道院長を務めた Adraldo の跪いた像が残されている。
彼はフレスコ画の依頼者であったと考えられており、左側の聖ニコラウスの足元には、正体不明の、しかし同様に重要な修道士の肖像画がある。
重要な修道士なのでしょうが、、、丸めた背中や長く伸ばした首が何やら哀れで、むしろ近所にいるおじさんみたいで親しみを持てます。
それに対して、大天使ミカエルの衣服のなんと立派なこと。ビザンチン帝国の皇帝が使用していたようなマントとストールを身につけています。
眺めるだけも良し、詳細に見入るも良し、Cappella di Sant’Eldrado のフレスコ画、素晴らしいです。
7. 回廊
ツアーで最後(四番目)に見学するのが、回廊です。
Cappella di Sant’Eldrado から150メートルくらい北に位置します。
回廊は修道士たちのための場所なので、見学者が立ち入りを許されるのは南廊下だけです。立ち止まらず、静かに歩きます。
でも、北壁にフレスコ画があることが気になります。
ガイドによると、回廊北壁のフレスコ画は12世紀前半。Cappella di Sant’Eldrado のフレスコ画をなぞったものだそうです。
状態はあまり良くありません。
回廊の向こうに見える山並みが美しいです。
見学ツアーは、これで終了。
回廊のあとは、考古学博物館(Museo Archeologico)で解散します。
8. Cappella di Santa Maria
私は最後に、Cappella di Santa Maria を眺めました。
この礼拝堂は見学ツアーに含まれていません。ガイドによると、この礼拝堂が開くのは年に2度だけです。
8世紀に修道院の入り口に建てられた Cappella di Santa Maria は、単一の身廊と四角形の内陣を持ち、当初は外壁に盲アーチが描かれていたが、10世紀末の修道院放棄後の再建時に、一対の小さなアーチに変更された。
清楚な姿です。
内部の発掘調査では、石組みの跡が発見されたが、断片的で平面図を復元することはできなかった。
内部では、ファサードの壁に当時の絵画装飾の跡が残っており、15世紀のフレスコ画は、中世に聖マグダラのマリアに捧げられたことを証明している。
鮮やかな多色のフレスコ画は15世紀のものですが、その下にある赤い線はオリジナル(8世紀)のものだそう。
今から1000年以上前の修道士たちも、こんな緑と青の風景を見たと思います。
Abbazia dei SS. Pietro e Andrea a Novalesa。教会と回廊を含む修道院の建物に加えて、礼拝堂の建物が四つあります。Cappella di Sant’Eldrado のフレスコ画が圧巻です。また、Cappella di San Salvatore は石積みが美しく、Cappella di Santa Maria は清楚な姿が愛らしいです。
そして、そうした建物を抱く美しい山々が素晴らしいです。
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