2023年8月3日(木)、最初に訪れたのは Vezzolano、Canonica di Santa Maria di Vezzolano です。
ここは、後陣の彩色彫刻、身廊にある障壁の彫刻が素晴らしいです。柱頭彫刻もいいです。また、近隣のロマネスク教会に関する情報を含む充実した展示があります。
夏は10:00〜18:00、冬は10:00〜17:00に開きます(2023年8月現在の情報です)。
目次
1. Vezzolano へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 西側外観(ファサード) .
5. 身廊(障壁) .
6. 南側廊・内陣・回廊(柱頭彫刻) .
6-1. 南側廊(獅子を裂くサムソンの柱頭) .
6-2. 内陣(楽器を演奏するソロモンの柱頭) .
6-3. 回廊(聖母マリアの柱頭) .
7. 後陣(モノフォラ) . .
脚注(1) 聖母の被昇天 .
1. Vezzolano へ
私は Airbnb から北に約35km、40分ほど運転して、山の中の修道院に着きました。10:30頃のことです。
有名な教会だけあって、多くの訪問者がいました。
2. 概要
教会の外に案内板があった他、教会の中で案内シートを貸し出していました。案内シートについて、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
1095年、Theodulus と Egidius という2人の聖職者が、数人の貴族から聖マリア教会とその他の物品を贈られ、宗教共同体を設立した。 当初の建物の痕跡は残っていない。
後の文献から、聖職者たちは聖アウグスティヌスの規則に従っていたことが分かっている。したがって、この宗教共同体は、真の修道院(monastero)ではなく、ヒッポ司教をつとめた聖アウグスティヌスの修道規則に従う宗教共同体(canonica regolare)であった。
この宗教共同体は律修司祭 canonici(英:canons)が宗教的生活を送る場所です。必ずしも世俗から隔絶して生活を送るわけではありません。一方、monastero は monaci(英:monks)が世俗から隔離して修道生活を送る場所です。 .
12世紀後半、障壁(pontile)の碑文に記されている院長(prepositus)Guido の指揮の下、現在の教会の建設が始まった。教会の工事は翌世紀の初めに完成したが、回廊とその他の施設は後に完成し、その後何度か改築された。
Vezzolano の偉大さは13世紀末にピークを迎えた。その後、衰退が始まる。15世紀には、教会はコメンダム(commenda)に委ねられた。つまり、高位の聖職者に委ねられ、その聖職者は権原を持ち収入を受け取るが、共同体には住まない。
1631年、Albugnano の領地は Monferrato 侯爵家から Savoia 家に移り、教会は古い歴史の記憶を失った。人々は誤ってここを「修道院(abbazia)」と呼ぶようになり、それは今日も続いている。
Googleマップなどの地図には「Abbazia di Vezzolano」と書いてあります。でも、教会の外の案内板には「Canonica di Santa Maria di Vezzolano」と書いてありました。Abbazia は monaci(英:monks)や suore(英:nuns)の場所ですから、canonici の場所だったここは Canonica なのだと思います。
ナポレオンの時代になると教会組織は弾圧され、すべての資産は国家によって没収され、民間に売却された。他の多くのケースとは異なり、この教会は売却されずに国有財産として残され、教区に譲渡された。これは、芸術という偉大な宝を保存することを可能にした出来事であった。
一方、土地と回廊を含む残りの建物は個人に売却された。1927年、最後の所有者が亡くなり、土地は Accademia di Agricoltura di Torino に残された。翌年、回廊と付属の部屋は国に譲渡された。1935年から1937年にかけて、建物の改修とフレスコ画の修復を目的とした重要な修復作業が開始された。最近では、屋根(1986年)、ファサード(1989年~1990年)、仕切り(1996年~1997年)、フレスコ画(2002年)の修復が行われた。
この後も、案内板を引用するときに太字で書きます。
3. 平面図
教会の中に非常用避難経路を示す図(Piano di Emergenza)がありました。東が右です。
教会には現在、二つの身廊があります。
元々は三身廊であったが、13世紀に南側廊が隣接する回廊に組み込まれた。
4. 西側外観(ファサード)
ファサードをみます。
中央扉口のルネッタには、聖母が鎮座し、鳩の姿をした聖霊が聖母の耳に語りかけている姿が描かれています。
中央扉口の上にロッジア(loggia、吹き放しになった柱廊)があり、その上に大きいビフォラ(開口部が二つの窓)があります。このビフォラは、天体ショーの鍵を握っています。詳しくは後ほど 7. 後陣(モノフォラ) に書きます。
ビフォラの中央には、祝福するイエス、その両脇に天使たちがいます。大天使ラファエルと大天使ミカエルかな、と思います。2人とも怪物を踏みつけています。
ビフォラの上には、ロウソクを持った2人の天使がいます。彼らを挟んで三つの大きな陶器の鉢があります。
ロウソクを持った2人の天使の上には、頭部が壊れ落ちてしまった2人の天使がいます。
6枚の翼を持つ特徴は熾天使(Seraphim)です(旧約聖書『イザヤ書』6章2節)。でも、足元に車輪が描かれているので、智天使(Cherubim)の特徴も持っています(『エゼキエル書』10章9節)。
5. 身廊(障壁)
教会の中に入ると、大きな障壁があります。
「聖母マリアの御眠り」の一連の場面と聖母の祖先たちが二つの段に描かれている。
下の段が聖母マリアの祖先たちだと思います。
上の段を左からみていきます。鷲(聖ヨハネ)、有翼の牛(聖ルカ)。
牛の得意げな表情が良いです。
「聖母マリアの御眠り」だと思います。聖母マリアは使徒たちに見守られながら永遠の眠りにつきます。
障壁の中央には「聖母戴冠」が描かれています。
被昇天した聖母が、神から冠を授けられ、祝福されています。
「聖母戴冠」の右には「聖母の被昇天(1)」が描かれています。
聖母は復活し、天使たちに導かれて被昇天します。
障壁の右端には、有翼のライオン(聖マルコ)と有翼の人(聖マタイ)が描かれています。
聖母マリアの祖先たちの下に書かれている文字について調べました。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』によると:
HAEC SERIES SANCTAM PRODUXIT IN ORBE MARIAM QUE PEPERIT VERAM SINE SEMINE MUNDA SOPHIAM. ANNO AB INCARNATIONE D. NI. M. C. LXXX. VIIII REGNANTE FEDERICO IMP.RE COMPLETU. E OP. ISTUD SUB PPO VIDONE.
(このフリーズは、処女の純潔のうちに真の叡智を誕生させた聖なるマリアを表す。この作品の完成は主の受肉から1184年、皇帝フリードリヒの治世であり、Guido が prepositus であったときのことである。)
prepositus は律修司祭 canonici(英:canons)の総長、皇帝フリードリヒは Barbarossa の異名を持つ神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(1122年〜1190年)だと思います。
6. 南側廊・内陣・回廊(柱頭彫刻)
柱頭彫刻を三つだけご紹介します。
6-1. 南側廊(獅子を裂くサムソンの柱頭)
まず、南側廊にある、サムソンの柱頭。
獅子を裂くサムソン(旧約聖書の『士師記』14章)、かっこいいです。
6-2. 内陣(楽器を演奏するソロモンの柱頭)
次に、内陣にある、ソロモンの柱頭。
楽器を演奏している姿は珍しいのですが、冠に「ソロモン」と書かれているのでソロモン王だと思います。
隣に建物が描かれていますから、もしかするとソロモンが神殿と王宮を建築したことを描いているのかもしれません。
『列王記上』10章12節 王はその白檀で主の神殿と王宮の欄干や、詠唱者のための竪琴や琴を作った。このように白檀がもたらされたことはなく、今日までだれもそのようなことを見た者はなかった。 『歴代誌下』9章11節 王はその白檀で神殿と王宮の床板や、詠唱者のための竪琴や琴を作った。かつてユダの地でだれもこのようなものを見たことはなかった。
6-3. 回廊(聖母マリアの柱頭)
最後に、回廊にある、聖母マリアの柱頭。
「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章28節)、「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章40節)、「ご生誕」(『ルカによる福音書』2章7節)が描かれています。
回廊の北壁には、1230年から1330年のフレスコ画がある。
回廊の様子やフレスコ画については割愛します。
7. 後陣(モノフォラ)
後陣中央のモノフォラをみます。
「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章28節)が描かれています。
展示パネルに、教会が精緻な計算に基づいて建築されたことが書いてありました。
天文方位は、キリスト教の象徴を意味深く理解しやすい形で具体化し、地上の神聖な場所と天上の神とのつながりを確立することを意図していた。
年に2回、天体ショーが見られるようです。
太陽に関しては、ファサードのビフォラが、年に2回、日没時に太陽の光を遮って後陣に投射し、中央のモノフォラの両脇に置かれた受胎告知の二つの像を正確に照らし、非常に暗示的な照明条件を作り出すように配置されていることが観察されている。
感動的です。
『ルカによる福音書』1章28節
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
大天使ガブリエルも聖母マリアも、とても美しいです。
Canonica di Santa Maria di Vezzolano。後陣の彩色彫刻、身廊にある障壁の彫刻が素晴らしいです。柱頭彫刻もいいです。また、近隣のロマネスク教会に関する情報を含む充実した展示があります。
脚注(1) 聖母の被昇天. ↩️
聖母マリアは5世紀にエフェソス公会議で「神の母」と定義されました。それ以降、聖母マリアに神への執り成しを求める祈りが捧げられるようになり、聖母マリアは人間に救いの道を与えるもので、教会を象徴する存在と考えられるようになりました。重要性がどんどん高くなったんです。
こうなると、聖母マリア関連の装飾をしたくなるのが人情ってもんです。
でも、聖母マリアがどんな風に生きて、亡くなったのか、聖書には詳しいことが書かれてない。
例えば、晩年について。確か聖書では、イエスの昇天後エルサレムで使徒たち、婦人たちやイエスの兄弟たちと「心を合わせて熱心に祈っていた」(『使徒言行録』1章12-14 )という記述が最後です。その後の生活、死や被昇天に関しては書かれていません。
じゃあ、ってことで外典などに聖母マリアの生涯に関する伝承を求めて、こうだったらしいよ、という話を教会がまとめたんです。
つまり、聖母マリアは14才でみごもって、15才で出産。それから33年間はイエスと一緒に過ごし、イエス昇天の後12年間生きて、60才で眠ると、三日後に復活して天国に被昇天した、という話です。
イエスも聖母マリアも天に昇りますが、イエスの場合は「昇天」で、聖母マリアの場合は受け身の「被昇天」です。これは、神やイエスの導きと天使たちの力で聖母マリアの魂と肉体が天に上げられたからです。いくら「神の母」でも、自力では昇れないんですね。
・
・
・
・
・