アウロゴ・ディ・ピウロ(Aurogo di Piuro)

2023年7月30日(日)、五番目に訪れたのは Aurogo di Piuro。Chiesa di San Martino です。

ここは、美しい山と川を背景に立つ鐘楼とフレスコ画が素晴らしいです。

教会は毎週日曜に開きます(2023年7月現在の情報です)。

目次

1. Aurogo di Piuro へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 北側外観 .
5. 内観 .
 5-1. 北壁のフレスコ画
 5-2. 鐘楼基部のフレスコ画
 5-3. 南壁のフレスコ画
脚注 (1) 聖マルティヌス .. .

1. Aurogo di Piuro へ

私はキアヴェンナ(Chiavenna)から東に約5km、8分ほど運転して、谷間の村に着きました。13:45頃のことです。

南東側外観

鐘楼が美しい。

教会は、東に渓流、北に川が流れています。どちらもとても清らかで豊かに流れます。

どうどうと渓流の水音が響くなか、山々の間をとおる涼しい空気が肌に触れて、私は身も心も爽やかになりました。

2. 概要

教会の外に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

この教会は11世紀前半に遡る。Valchiavenna で最も古い教会であり、今日まで残っている教会の中でも最も古く、Sondrio 県で最も古い絵画が残されている。

18世紀には、トラス天井の代わりにヴォールトが造られ、新しい内陣が建てられ、南側に側廊が増築された。

1970年と1972年に行われた修復工事により、ロマネスク様式の壁が姿を現し、細長い鐘楼には5連のビフォラ(二つの開口部を持つ窓)が再び現れ、18世紀のヴォールトの上部の装飾が続き、現在はその一部しか見ることができないオリジナルのフレスコ画が姿を現した。

この後も、案内掲示を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

現地には平面図が見当たりませんでした。ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『LOMBARDIA ROMANICA VOL II』による平面図です。東が上です。

(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『LOMBARDIA ROMANICA VOL II』による平面図

濃い線がロマネスク様式の壁です。

4. 北側外観

北側には、ロマネスク様式の壁が残っています。

盲アーチが美しいです。

北側外観

教会の北には Mera 川が流れていて、急坂を降りる階段があります。

北扉口は、今は閉じられていますが、ロマネスク期には使われていたと思います。

5. 内観

教会の中に入ります。

南側廊は18世紀に増築されました。

ロマネスク様式が残るのは身廊と鐘楼です。

身廊にて東を向く

北壁、南壁や鐘楼の基部といったロマネスク様式の部分にフレスコ画が残っています。

内陣にて南西を向く

きっと、ロマネスク期には全体がフレスコ画で覆われていたのでしょう。

2015年に修復されたフレスコ画は、11世紀に遡り、Civate で黙示録を描いた親方の流派によるものとされている。南壁にはヨハネによる福音書の場面が、北壁には聖マルティヌスの生涯の場面が描かれている。

5-1. 北壁のフレスコ画

北壁は、壁自体は大きく残っていますが、フレスコ画はほんの少しだけ残っています。

北壁には聖マルティヌスの生涯の場面が描かれています。

身廊にて北を向く
身廊にて北を向く

ロンバルディアに来て、聖マルティヌスが描かれていたり、この教会のように教会そのものが捧げられていたりすることが多いなあ、と感じます。

ガリア地方の布教者ですからフランスだったら理解できるのですが、ここはイタリアです。不思議。

もしかすると、聖アンブロシウスと共通する点があるからかも。

聖アンブロシウスは4世紀のミラノの司教。ローマ帝国の高級官僚の息子として生まれ、本人も官僚の道をあゆみ、ミラノの首席執政官でした。

聖マルティヌス(1)は4世紀のトゥールの司教。ローマ帝国軍の将校の息子として生まれ、本人も軍人の道をあゆみ、アミアンの士官でした。「マントの伝説」が有名で、人気の聖人です。

5-2. 鐘楼基部のフレスコ画

西側に鐘楼の基部があり、フレスコ画が残っています。

足がいっぱい描かれています。

身廊にて西を向く
5-3. 南壁のフレスコ画

南壁に素晴らしいフレスコ画が多く残っています。

人物の顔の陰影やピンクの頬、衣服の線や色の使い方などが、Civate のフレスコ画に似ています。

南壁には、主にヨハネによる福音書に従って、イエスの生涯が描かれています。

南壁のフレスコ画その1

こちらのヴォールトの下に描かれているのは、姦通罪で捕らえられた女を罪に定めない場面(ヨハネによる福音書8章)と、生まれつき目の見えない人を癒す場面(ヨハネによる福音書9章)だと思います。

南壁のフレスコ画その1(部分)

こちらのヴォールトの下は、モノフォラ(開口部が一つの窓)の装飾も残っています。

南壁のフレスコ画その2

モノフォラの左に描かれているのは、「ラザロの復活」(ヨハネによる福音書11章)だと思います。

南壁のフレスコ画その2(部分)

モノフォラの右では、イエスが動物の背に乗っています。「エルサレム入城」(マタイによる福音書21章、マルコによる福音書11章、ヨハネによる福音書12章)だと思います。

南壁のフレスコ画その2(部分)

イエスの顔がヴォールトに隠れてしまっています。

屋根裏には、さらにフレスコ画が残っているかもしれません。

Chiesa di San Martino。美しい山と川を背景に立つ鐘楼とフレスコ画が素晴らしいです。

脚注 (1) 聖マルティヌス ↩️

西暦330年ごろ、ローマ軍の仕官だったマルティヌスは、ガリアのアミアンに派遣されていました。とても寒い晩、半裸で震えている物乞いを見て、気の毒に思ったマルティヌスは自分のマントを半分に切り裂き、物乞いにかけてやりました。イエスの言葉「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)を実行したのです。やがてキリスト教徒になったマルティヌスは除隊。その後、ガリア地方初の修道院をリグジェ(Ligugé)に設立し、トゥール(Tours)の司教になりました。田舎に福音を伝道し、小教区を設立するなど、ガリア地方の布教者として初期キリスト教時代の信仰に決定的な影響を与えました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です