2023年4月29日(土)、最初の訪問地は Piasca。Iglesia de Santa María です。
ここは、ファサード、南扉口、後陣、内陣の彫刻が素晴らしいです。
2023年現在、教会の中を訪問できるのは夏だけです。(私は、たまたま幸運に恵まれ、ある人のご厚意で中を見学させてもらえました。その人を困らせたくないので、誰が私を教会の中に入らせてくれたのかは、秘密です。)
目次
Piasca へ .
概要 .
平面図 . .
西側外観(ファサード).
南側外観(南扉口) .
東側外観(後陣) .
内観(内陣) .
Piasca へ
夫は、4月29日は日帰り旅行でサッカー観戦に出かけました。だから、この日は私ひとりでロマネスク巡りです。
私はAirbnbから南西に約115km、2時間近く運転して、山深い里に着きました。10:30頃のことです。
とても静かでした。ときどき鶏の鳴き声が聞こえるだけ。
概要
教会の外に案内板がありました。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
9世紀にはすでに集落が存在していたが、教会に関する最初の文書は930年のものである。
その数年後(941年)、San Fructuoso の規則に従い、修道院長 Aylo のもと、36人の修道女と不特定多数の修道士による修道協定が結ばれた。
修道院の重複した性質は、12世紀までの数多くの文書で明らかである。
1078年、この修道院は修道女たちによって放棄され、San Pedro de Dueñas (León) に移った。30年後、修道女たちは戻ってきたが、1122年、Santa María de Piasca は San Facundo y Primitivo de Sahagúnに編入された。修道女たちは再び去ったが、数世紀後、再び Piascaに戻ってきた。
12世紀は、寄付や購入の数という点で、Piasca が最も活況を呈した時代であった。
その結果、D. Pedro が司祭だった1172年に、この記念碑的な教会が建てられたと、主扉口横の碑文に記されている。
13世紀末には、修道院の財産は最大に拡大し、Pesaguero渓谷全体と、Cereceda と Cillorigo 渓谷のいくつかの所有地をカバーするようになった。Liébanaと、その外側であるPolaciones(Santa Eulalia修道院)とPalencia 北部の、両方の地域で修道院の財産が拡大したことは重要である。渓谷の小さな修道院の編入は数多くあったが、14世紀には緩やかな衰退が始まった。
Piascaの修道院群の原始的な構造は非常にシンプルで、現在の教会の主後陣と交差部を占める小さな聖域と、最近発見された回廊の東と西にある修道士と修道女のための別棟であった。
修道院の建物の安定性の問題は、11世紀のいくつかの文書に記されており、教会の損傷を取り除くのに貢献する者には褒美が与えられていた。
1172年、すでにSahagúnとベネディクト会に依存していたこの修道院は、ロマネスク様式で増築され、親方Covaterioによる印象的な彫刻装飾が施された現在の扉口が造られた。
修道院も改築され、回廊を囲むように建物が建てられた。15世紀(1439年)には、後陣、身廊、鐘楼に新たな変更が加えられた。
親方Covaterioについては、サンティジャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)<1>に詳しく書きます。この日(2023年4月29日)の最後に、サンティジャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)に行き、博物館で”La escultura del Románico internacional: El Maestro de Piasca” という展示を見たからです。
平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
西側外観(ファサード)
わお。
圧巻の西扉口は、豊かな彫刻で満たされています。
楽器を奏でる人たちがいます。
盾を持つ人もいます。
すごく腕のある親方ですよね。
南側外観(南扉口)
南側には、西扉口よりも小さい扉口があります。
保存状態は、あまり良くありません。
キスをする人たちや、楽器を奏でる人がいます。
摩滅してもこの迫力、すごい。
東側外観(後陣)
東側に行き、主後陣をみます。
どうしちゃったのかしらと思うくらい、びっしりと、彫刻が施されています。
窓だって、この通り。
まるで「こうしておけば悪い物が寄ってこないんだ」とでも言いたそうな仕上がりです。
なお、これらの彫刻の一部は複製です。
Diócesis de Santander の記事に、このように書いてあります。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
2017年7月30日
いわゆるピアスカ(Piasca)の親方による「国際的ロマネスク」様式の彫刻が、7月28日(金)からサンティジャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)教区博物館で展示される。
このロマネスク様式の展示は、サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ピアスカ(Santa María la Real de Piasca)旧修道院の教会にあった約30点のオリジナル作品で構成されており、6年前に劣化が見られたため解体された。劣化の原因は、1950年代から70年代にかけて行われた修復の際に使用されたセメントによるものであった。
サンティジャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)教区博物館のエンリケ・カンプサーノ(Enrique Campuzano)館長は、「素晴らしい芸術性」を持つこの彫刻は「失われてしまう危険性」があり、そのため複製が作られ、教会の後陣に置かれていると説明した。
教会の中に入ります。
内観(内陣)
びっしりと彫刻が施されていた外観とは、まるで違って、落ち着いた内観です。
でも、安心してください。
内陣に、びっしりと彫刻が施された柱頭があります。
「東方三博士の礼拝」です。
どの角度から見ても、しっかりと立派な彫刻が施されています。すごい。
Iglesia de Santa María。ファサード、南扉口、後陣、内陣の彫刻が素晴らしいです。
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