2022年12月19日(月)、最初の訪問地は Arezzo。Chiesa di Santa Maria della Pieve です。
ここは、ファサード、南扉口と後陣が素晴らしいです。
私は、前回2019年にトスカーナ州に来たとき、Arezzo の町に二泊したのに、この教会に来る時間と体力がなかったんです。交通の便の良い町の、長い時間開いている教会ですから、別の機会に来ようと思っていました。今回2022年の旅では、ミラノからローマに南下するので、まさに教会訪問の機会だったんです。
目次
Arezzo へ .
概要 .
平面図 .
ファサード .
内観全体 .
南扉口 .
後陣、鐘楼 .. . .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Arezzo へ
私は宿をチェックアウトして、北東に約22km、32分ほど運転して、私の好きな映画ライフ・イズ・ビューティフルが撮影された町に着きました。
私は都市墓地(Cimitero Urbano)の隣にある無料駐車場(Parcheggio Via Francesco Gamurrini)に車を停めました。
石畳の道を歩いて教会へ。
印象的なファサードの教会に着きました。
やや右に曲がっている道に合わせて、ファサードも、側壁に対して斜めになっています。
概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ファサードに使われている6本の花崗岩の柱や、多くのトラバーチン破片が出土するなど、考古学的に重要なローマ時代の街道沿いにある。
1008年に記録されている小さな教会の跡に洗礼教会として建てられた。
現在の建物は、12世紀半ばに再建されたものであるが、13世紀に改修された。
この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。
平面図
ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『TOSCANA ROMANICA』にプランがありました。東が上です。
さっそく、見学です。
ファサード
現在の建物は、12世紀半ばに再建されたものであるが、13世紀に改修された。
顕著な特徴はファサードである。ピサやルッカの影響を受け、五つのアーチの上に、高くなるほど柱の数が増える三層のロッジア(一番目は12、二番目は24、三番目は32)が重なり、珍しい水平の冠で締めくくられていている。
ファサードには、五つのアーチがあり、三つの扉口があります。
中央の扉口のルネッタには、Marchio の署名があり、1216年にさかのぼることができる。
12か月を寓意的に表現した装飾は、非常に重要な彩色彫刻であり(2003年修復)、これも同時期のものである。
2月と6月については、その上の文字が、ほぼ反転して書かれています。
変なの。
内観全体
三身廊、一後陣。
19世紀末(1862-75年)に行われた大規模な改修工事では、数世紀にわたって建物が受けてきた大きな変化を取り除いてロマネスク様式の外観を復元することを目的として、徐々に豊かになってきた祭壇、礼拝堂、アーチが撤去された。例えば、1564年に Giorgio Vasari が家族の墓所として制作した、絵画の挿入に富んだ壮麗な主祭壇が挙げられる。これは、Badia delle Sante Flora e Lucilla において部分的に組み直された。
16世紀から18世紀にかけての祭壇と礼拝堂を取り除いて、ロマネスク様式に戻したの、良かったと思います。
南扉口
外に出て、南扉口をみます。再利用された石が使われています。
1008年に記録されている小さな教会の内陣の仕切り(pluteo)の断片が、19世紀後半の修復作業中に発見され、セテリア通り(Via di Seteria)に面した南扉口に再使用されている。
サムソンがいます。
かっこいいです。
後陣、鐘楼
1330年、巨大な鐘楼が完成した。
グランデ広場(Piazza Grande)から見える後陣は、大きい盲アーケードと二つのロッジアが重なっています。
これは、14世紀に建てられた礼拝堂(cappella Volto Santo)の取り壊しなどが行われた、19世紀後半の介入の結果である。
後陣にくっつけて建築された礼拝堂があったらしいんですが、それを撤去したようです。
Chiesa di Santa Maria della Pieve。ファサード、南扉口と後陣が素晴らしいです。
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