ポンポーザ(Pomposa)

2022年12月13日(火)、唯一の訪問地はPomposa。Abbazia di Pomposaです。

ここは、鐘楼、ファサード前のアトリウム、身廊の床モザイクが素晴らしいです。聖水盤も良いです。

有料(€ 5)です。クリスマスと新年を除く火曜から日曜、8:30-19:30まで(チケット売り場は18:45分まで)開いています。なお、日曜の午前11時から正午までは、聖ミサを祝うため信者のみ入場できます。(2023年現在)

目次

Abbazia di Pomposa へ .
概要 .
平面図 .
Museo Pomposiano .
Chiesa di Santa Maria(壁画) .
Chiesa di Santa Maria(床モザイク) .
Chiesa di Santa Maria(聖水盤) .
鐘楼 .
Chiesa di Santa Maria(アトリウム) . 
Airbnb .

アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。

Abbazia di Pomposa へ

夫と私は宿をチェックアウトし、北に約80km、75分ほど運転して、大きな修道院に着きました。

鐘楼(北側外観)

まず、鐘楼まで行き、右(西)にある Palazzo della Ragione に行きます。

Palazzo della Ragione は、かつては大修道院長が裁きを行っていた建物ですが、現在はチケット売り場と受付があります。

西側外観

Palazzo della Ragione を出たら、大回廊に向かって東に進みます。

概要

教会の内外に複数の案内が掲示してありました。私がそれらの一部を抜粋して太字で和訳します。

“Insla Pomposia”には、6世紀から7世紀にはすでに、ベネディクト派の修道院が存在していたと考えられている。

現存する教会は、751年から874年にかけて建設された。この最初の段階では、教会は三つの身廊と後陣を持つバシリカ式プランで、今日の第7柱間の位置のファサードで閉じられていた。9世紀頃、西側への最初の拡張が行われ、ファサードの西にアトリウムが作られたこのアトリウムは、11世紀初頭に教会のさらなる拡張を可能にするために取り壊された。この時、教会は二つの柱間が追加されて拡張され、1026年に新たに献堂された。

1022年、修道士たちは、教皇庁と帝国の特権と譲歩を獲得し、完全な自治を実現した。ローマへ向かう重要な街道である海岸沿いのロメア街道(via Romea)沿いにあり、気候もよく、耕作地も多く、開墾も盛んであった。経済的な拡大と精神的・文化的な成長が両立し、11世紀前半の大修道院長 Guido の時代に修道院の名声は頂点に達する。建物は、城塞都市の様相を呈した。

1152年、フェッラーラ上流の Ficarolo でポー川が決壊し、デルタ地帯全体の水理地質構造が変化した。その後は衰退の一途をたどった。11世紀には100人いた修道士が、1235年には20人、1306年には10人にまで減少した。ポンポーザの衰退には、政治的緊張や一部の大修道院長の不始末など、より一般的な要因もあった。

1553年には San Benedetto di Ferrara に依存することとなり、動産、聖具、貴重な写本などが移管された。1663年、教皇インノケンティウス10世によって修道院は弾圧された。1671年、最後の修道士がポンポーザを後にした。その後、何世紀にもわたって完全な廃墟と化した。1802年、複合施設は公売にかけられ、残された建物は農業用倉庫として使われるようになった。

19世紀末、歴史家や美術愛好家の注目を集め、モニュメント保存地方事務所(後の監督局)が管理することになった。1920年から30年にかけて、私有地が収用された後、修復作業が行われ、現在の姿になった。現在、かつて存在した建物で残っているのは、北側の教会とその周囲の東と南の二つの建物で構成される、一部だけである。

この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。

平面図

案内掲示に16世紀のプランがありました。東が上です。

案内板にあった16世紀のプラン

1. Chiesa di Santa Maria
2. 鐘楼
3. 墓地
4. 正面玄関
5. 大回廊
6. Aula Capitolare
7. Sala delle Stilate
8. 食堂(Refettorio)
9. 小食堂(Refettorio piccolo)
10. 厨房

  

11. Palazzo della Ragione
12. 塔(Torre del Palazzo)
13. 小回廊
14. オーブン
15. 乳製品製造室
16. 洗濯室
17. Chiesetta di San Michele
18. 赤塔 – 大修道院長の居室
19. 柱廊つき中庭

現存するのは、灰色の建物だけです。最盛期の11世紀の建物が、すごく巨大だったことが想像できます。

私は、6. Aula Capitolare 8. 食堂(Refettorio)にも行きましたが、割愛します。どちらも、主な見どころは14世紀の壁画です。

それ以外の訪問可能部分(Museo Pomposiano、鐘楼、Chiesa di Santa Maria)について書きます。

Museo Pomposiano

博物館は、5. 大回廊の北側です。14世紀に修道士たちの宿舎だった場所(7. Sala delle Stilate)の上階にあります。

ここには、6世紀から19世紀までの資料があります。

6世紀の柱頭
14世紀のフレスコ画

主な見どころは、1960年から1963年にかけて壁から剥がされた壁画と、この大修道院の最も古い装飾(9~10世紀)に関連する様々な断片です。

9世紀の装飾の断片
11世紀の装飾的仕切り

私は9世紀の碑文の文字が好きです。

Chiesa di Santa Maria(壁画)

Museo Pomposiano から外に出ると、5. 大回廊の向こうに教会が見えます。

教会には、南扉口から入ります。

わお。

身廊にて東を向く

身廊では、旧約聖書、新約聖書、黙示録の場面が上から順に描かれている;1351年に Vitale da Bologna が手がけた。

14世紀に描かれたフレスコ画は、教会の全面を覆っているが、それ以前にも様々な装飾が施されていた;右身廊には、10世紀の断片が見られる。

壁画は層になっています。

側廊の壁画
側廊の壁画

複数の時代に描かれています。

Chiesa di Santa Maria(床モザイク)

興味深いのは床で、そのデザインは四つに分かれている。

床モザイク

そのうち祭壇に近い三つは修道士の聖域に属し、他の部分から分離されている。

もともとは、修道士のための部分は、障壁で分けられていたと思います。

床モザイク

象がいるのが良いですよね。他の動物たちもとても生き生きしています。

中央には大理石の板による十字架があり、修復された教会の奉献日:1026年5月7日が刻まれている。

身廊にて西を向く

11世紀ということは、この教会の最盛期につくられた床モザイクのようです。

Chiesa di Santa Maria(聖水盤)

身廊の北西の端に聖水盤があります。

聖水盤

これが、なんとも、良いんです。

聖水盤

私は夢中になりました。

聖水盤

教会の外に出て西側をみます。

鐘楼

1063年、Atto とその妻 Willa により、鐘楼が建設された。手がけたのは親方 Deusdedit で、塔の西側の壁に刻まれた碑文の最後の行に記されており、おそらく後年に碑文に加えられたものであろう。屋根の円錐形の小尖塔は後世のものである。

鐘楼(西側)
鐘楼西側の碑文

Atto と Willa は資金提供者だと思います。

高さが増すにつれて、開口部が徐々に広がっています。構造的に軽くするための工夫と思いますが、同時に美しいです。

Chiesa di Santa Maria(アトリウム)

教会とアトリウムが現在の形になったのは、11世紀初めのことで、教会は西側に向かって拡張され、新しい玄関間が加えられた。

アトリウム

親方 Mazulo が手がけたもので、彼は入口のトリフォリウムの右側に碑文を残している。

碑文

Carla Di Francesco の最近の研究によると、建設当時のアトリウムは、テラコッタ調の暖色系が支配的な現在とはまったく異なる外観であった。レンガの表面はもともと(おそらく大理石を模して)漆喰で仕上げられ、リボンのような帯は異なる色で塗られていたことが、調査の結果明らかになった。

多色で装飾されていたようです。派手だったのかも。

浮き彫り、素晴らしいです。

アトリウム

Abbazia di Pomposa。鐘楼、ファサード前のアトリウム、身廊の床モザイクが素晴らしいです。聖水盤も良いです。

Airbnb

夫と私は、西に約200km、2時間ほど車を運転してParmaの町の中にあるAirbnbにチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室二つという間取りのマンションです。駐車場なし。でも、徒歩5分くらいの場所に無料で停められました。

3泊の総額が€ 206.24 EURでした。

Airbnbの台所兼食堂兼居間

旧市街まで歩いて10分くらいで行くことができ、便利でした。

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