セッラモナチェスカ(Serramonacesca)

2022年12月2日(金)の最後、五番目の目的地はSerramonacesca。Abbazia di San Liberatore a Maiellaです。

ここは、ファサードのライオンたち、モザイク床、後陣、鐘楼が良いです。

冬の間は基本的に閉まっています。役場(comune)に問い合わせると、セッラモナチェスカ文化観光振興会(Pro-Loco di Serramonacesca)のメールアドレスを教えてくれました。私はPro-LocoにAbbaziaを開けてくれるようメールで頼みました。Pro-Locoはこころよく承諾し、訪問の二日前に再度知らせるようにと電話番号を教えてくれました。その電話番号はGoogleマップに載っています。WhatsAppで連絡できます。(2022年現在)

目次

Serramonacesca へ .
概要 .
プラン .
内観:全体、説教壇(1180年頃) .
内観:フレスコ画(13世紀) .
内観:床モザイク(1275年頃) .
外観:西側(ファサード、鐘楼) .
外観:北側、東側(後陣) .

アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。

Serramonacesca へ

私はフォンテ・ナターレ(Fonte Natale)から南東に約15km、23分ほど運転して、山を分け行った中の建物群に着きました。14:45のことです。

道幅が少し広い場所に車を停めました。

南西側外観

予約は15時。Pro-Locoの人が来てくれるまで、案内板を読みました。

概要

建物の外に案内板が三つありました。私がそれらの一部を抜粋して太字で和訳します。

教会と鐘楼の淡い色の大きな切り石は、まるで宝石のように、マイエッラ(Maiella)山の北側斜面に広がる緑豊かな樹木群の中に溶け込んでいる。

修道院が設立された年代は定かではない。現存する最初の文献では、ベルタリオ(Bertario)の時代(854年~883年)にさかのぼるとされる。しかし、9世紀より前から、この場所にはカール大帝にまつわる伝説を持つ、より古い建物があった。

990年の地震で壊滅的な被害を受けた修道院は、1007年から1019年にかけてテオバルド(Teobaldo)大修道院長が、1080年から1090年にかけてデシデリオ(Desiderio)大修道院長が、より壮大な形で再建を行った。

13世紀には、大修道院長ベルナルド・アイグレリオ(Bernardo Ayglerio、1264-1282)によって修復が行われた。壁面はフレスコ画で飾られ、身廊の床はモザイクで仕上げられた。

1595年、バジリオ(Basilio)大修道院長は、修道院と教会の両方にポルティコとルネサンス様式の窓を追加する改築を施した。
1806年、ナポレオンによる修道院の弾圧令が出されると、修道院は徐々に衰退。
1958年、地滑りや地震で破壊された土地が修復され、その10年後(1967年)には補修工事が始まり、現在の教会の姿となった。

この後も、案内板たちを引用するときは太字で書きます。

プラン

案内板にあったプラン。東が上です。

別の案内板には、かつての修道院全体のプランが描かれていました。

別の案内板による、かつての修道院全体のプラン。東が上。

鍵を持った人が来てくれたので、教会の中に入ります。

内観:全体、説教壇(1180年頃)

三身廊、三後陣。

身廊にて東を向く

身廊の右側に12世紀の説教壇がある。村に保存されていた多くの断片を利用して再建されたものである。

説教壇

繊細な浮き彫りです。

内観:フレスコ画(13世紀)

教会の中には、いくつかのフレスコ画が残っています。

主後陣のフレスコ画は、より古いものであり、13世紀頃のものを含むと考えられる。

主後陣

修道院の歴史に名を残す人物たちが描かれています。例えば:

手に「規律」の本を持つ聖ベネディクト、11世紀初頭に復活させた教会を持ち、聖ベネディクトに手渡そうとするテオバルト(Teobaldo)大修道院長。

フレスコ画

また、修道院に領土を寄贈したとの伝承がある貴族テルトゥッロ(Tertullo)、カール大帝、ヴィラ・オリヴェティ(Villa Oliveti)の領主サンチョ(Sancio)が描かれている。

残念ながら、フレスコ画は、かなり消失しています。

内観:床モザイク(1275年頃)

アンジュー家のシャルル1世(1265-1275年)の時代にも、教会は改築が行われた。1275年頃、つまりフランス人である大修道院長ベルナルド・アイグレリオ(Bernardo Ayglerio、1264-1282)の時代に、モザイクの床が敷かれたのである。

身廊にて西を向く

こんな山の中に、よくぞ、これだけのモザイクをほどこしたものです。

外観を見学します。

外観:西側(ファサード、鐘楼)

内部の見学を終えたので、わざわざ来てくれたセッラモナチェスカ文化観光振興会(Pro-Loco di Serramonacesca)の人にお礼を言い、別れを告げようとしましたが、、、

向かって右の扉を閉めた彼の手にある大きな鍵を見て、最後のお願いをしました。

鍵の写真を一枚、撮らせてください。

鍵(画像は鍵の先端部分を編集してあります)

私の好きな、大きな鍵です。うれしい。

鍵とPro-Locoの彼に別れを告げて、見学を続けます。

ファサードには、扉口が三つあります。

西側外観

きれいにまとまっているのは向かって左の扉口です。

向かって左
中央
向かって右

でも、向かって右の扉口のライオンたち、かわいいです。

向かって右のライオンたち

鐘楼を見上げます。

鐘楼

一部だけ装飾が凝っています。

鐘楼

アーチの装飾が美しい。

外観:北側、東側(後陣)

教会の北側を向くと、かつて回廊だった場所があります。

北側外観

さらに北には、アレント(Alento)川が流れています。

教会の方を向き直すと、かつてポルティコがあった場所の基礎や、鐘楼が見えます。

北側外観

東側(後陣)に行きます。

美しい三後陣。

東側外観

後陣の装飾に目を奪われました。

持ち出し(peduccio、アーチや丸天井を支える出っ張った石)の装飾もいいのですが、コーニス・モールディング(頂部の水平な装飾縁)の装飾が簡素でとても美しい。

主後陣
主後陣

同様の模様の装飾が、教会の中にも鐘楼にもありました。私はこういう簡素で上品な装飾、好きです。

Abbazia di San Liberatore a Maiella。ファサードのライオンたち、モザイク床、後陣、鐘楼が良いです。

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