リュイ(Lhuis)

2022年9月11日(日)、最初に訪れたのは Lhuis。Église Beata Maria です。

ここは、2000年前から聖域だった場所です。柱頭彫刻が良いです。

目次

Lhuis へ
概要
フロアプラン
外観:全体
外観:後陣の柱頭彫刻
内観:全体
内観:床下の遺構
内観:後陣の碑文
内観:後陣の柱頭彫刻

Lhuis へ

Lhuis は、アン(Ain)県にあります。Ain 県は西はリヨン、東はジュネーヴといった大都市に近接していて、県内に大都市はありません。農業県で、特産品はブレス鶏(Poule de Bresse)、ビュジェ(Bugey)ワインなどです。

夫と私はリオン・パールデュー駅にあるレンタカー店で車を借り、東に70km、64分ほど運転して、上品な印象の村に着きました。13時頃の頃です。

教会の周りには、明るい白壁と茶色屋根の建物が並んでいて、統一感があります。

Église Beata Maria(東側外観)

写真左の木陰には、優雅にランチを楽しむ人たち。ああ、なんだか品が良いわあ。

概要

現地に案内プリントが1枚ありました。なんと、ドイツ語。「ブリオール(Briord)歴史・考古学協会」による1992年の文章とのことだから、もとはフランス語で書かれたものだと思うんですが、なぜかドイツ語版だけが置いてあったんです。

私はドイツ語が全く読めません。DeepLという翻訳ツールで英訳して読みました。太字で要約して引用しますが、間違ってたらごめんなさい。

この場所は、2000年前から聖域であった。最初はガリア、そしてガロ・ローマ、その後にキリスト教化されてメロヴィング朝、カロリング朝の教区教会となり、ロマネスク時代に拡張された。

9世紀からはサン=ランベール=アン=ビュジェ(Saint-Rambert-en-Bugey)大修道院の庇護を受けていた。

この後は私が撮った写真を見ながら、ときどき太字で引用します。

フロアプラン

案内プリントにフロアプランがありました。

注目はクワイヤと後陣です。

外観:全体

後陣はひとつ。鐘楼が教会の北側にあります。

鐘楼とクワイヤの基礎は、9世紀につくられたものである。

南東側外観
西側外観
北側外観

外観:後陣の柱頭彫刻

こちらの柱頭は、手と足がからみあっています。

手と足がからみあう柱頭
手と足がからみあう柱頭

人物たちが二頭身なのがすごい。

こちらの柱頭は、人物たちと蛇。

人物たちと蛇の柱頭
人物たちと蛇の柱頭
人物たちと蛇の柱頭

不思議な図像です。

内観:全体

単一の身廊で、後陣が少し南に傾いています。

西扉口にて東を向く
トリビューン下にて東を向く

内観:床下の遺構

半円形の後陣は、12世紀末にプレ・ロマネスク様式のクワイヤを拡張したものである。広いクワイヤは、ここがかつては小修道院であったことを物語る。

クワイヤにて東を向く

床には、1966年の発掘調査で発見された、かつてのメロヴィング朝・カロリング朝時代の半円形の基礎がある。当時の後陣である。中央には修道院長の墓石があり、この場所が聖遺物の保管場所であることを示している。

床下が見えるようになっています。

祭壇と後陣の間の床
祭壇と後陣の間の床

クワイヤ、今よりも小さかったんですねえ。

内観:後陣の碑文

後陣にラテン語の碑文があります。

後陣の碑文

この碑文についてだけは、フランス語で案内が置いてありました。写真の下の方に写っているやつです。

「コンバルドゥスの息子カトゥルスが、女神の恩恵と我が子ら救済が得られたことに感謝して、聖堂の囲いを造らせた」

みたいな感じに解釈されているようです。

例のドイツ語の案内プリントには「この女神は、子供の病気を治す力を持つガリアの女神であった。」と書いてありました。

ちゃっかり再利用してキリスト教の聖堂に使っちゃったんですね、立派な石だし。

内観:後陣の柱頭彫刻

中の柱頭彫刻は、外にあるものとよく似ています。

クワイヤにて東を向く

植物と人物を組み合わせたもの二つ

植物と人物を組み合わせた柱頭その1
植物と人物を組み合わせた柱頭その2

植物だけの柱頭と、複数の人物が組み合わせてある柱頭。

植物だけの柱頭と、複数の人物が組み合わせてある柱頭

表現が、すごく特徴的です。

Église Beata Maria、柱頭彫刻が良いです。

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