2022年8月22日(月)、最初に訪れたのはChanteuges。Église Saint-Marcellin です。
ここは、急な斜面に囲まれた狭い玄武岩の台地にたたずむ旧小修道院教会です。素晴らしい柱頭彫刻が残ります。
この日からは、オート=ロワール(Haute-Loire)県を巡ります。アリエ川の渓谷、ロワール川の渓谷があり、冷涼な高原や山岳の中に宝石のようなロマネスク教会があります。ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)やブリウド(Brioude)のような超有名な所を含め、25ヶ所くらい訪問しました。
オート=ロワール(Haute-Loire)県の最初の訪問地が、Chanteuges。
Chanteuges へ
夫と私は宿から東に60分ほど車を運転して、岩の台地の下に着きました。11時頃のことです。
見上げると教会があります。
駐車場に車を停め、歩いて登ります。(教会のすぐ隣にも駐車場があり、車で登ることもできますが、歩きたかったんです。)
つづらおりの石畳の道を、北へ、南へ。
教会の南壁がみえました。
北へと登ります。
もう、あと少し。
着きました。
①Porterieから南を向いた様子です。
建物の配置
建物の配置図がありました。北東が上です。
めあては ④ Église Saint-Marcellin ですが、見学前に⑤の回廊に行ってみました。
回廊
南扉口から入ります。
回廊の南から北を向きます。
回廊の奥に、情報満載の部屋を見つけました。
Église Saint-Marcellin の概要
回廊の奥の建物の一室に、大量の垂れ幕状の案内掲示がありました。
16枚以上にわたって歴史や建築や美術について網羅してあるのですが、
ごく一部を抜粋して太字で和訳します。
新石器時代から、この地は防御の適性を利用されていた。Chanteugesの名前の由来であるCanteugholは「岩の間の地」を意味する古いガリア語であり、その後の時代にも、人の居住が維持されたことがわかる。
936年、ブリウド(Brioude)の参事会長が、親戚の有力者の希望により、ベネディクト会の修道院の設立に調印した。そして、この村の歴史は修道院の歴史と融合することになる。
1130年まで、修道士たちは問題なく暮らしていたが、地元の領主にこの地を簒奪され、占拠された。修道院長はラ・シェーズ・デュ(la Chaise-Dieu)大修道院に避難し、1137年にシャントゥジュ(Chanteuges)修道院をラ・シェーズ・デュ(la Chaise-Dieu)大修道院に譲った。急速な再征服の後、再建が始まった。現在の教会は、この時代に建てられたものである。
フロアプラン
垂れ幕状の案内掲示にフロアプランがありました。東が上です。
北壁より南壁が長く、それらに対して西壁は直角に交わっていません。
教会を見学します。
Église Saint-Marcellin の外観:全体
こんな狭い岩の台地の突端に、よくこんな大きい教会を建てたもんだ。
ギリギリまで建ててあるから、後陣なんて、崖に面しています。
教会の中に入ります。
Église Saint-Marcellin の内観:全体
教会の中の、全体の様子。
柱頭が、素晴らしいです。
Église Saint-Marcellin の内観:柱頭彫刻
定番ものがあります。
美しい植物模様もありますし、
二股人魚もいますし、
守銭奴もいます。
守銭奴の両脇にいるのは、悪魔たちなんですが、見た目はタツノオトシゴ。
こちらは定番じゃない柱頭彫刻です。
垂れ幕状の案内掲示によると:
手に司祭杖を持ち、2頭のグリフォンに囲まれた船の中で、2人の漕ぎ手の間に立っている。福音を伝えるために海を渡ったアイルランドの修道院長の聖人の一人かもしれない。また、ペトロの船を表現している可能性もある。さらに、アンブラン(Embrun)の司教であり、教会の守護聖人である聖マルセリヌス(仏:Saint-Marcellin)の生涯から着想を得たという説もある。この柱頭は、怪物に支配されていたウバイユ(Ubaye)川を静めた司教の奇跡の一つを表しているのであろう。
聖マルセリヌスは4世紀の人物で、アンブラン(Embrun)の初代司教だったらしいです。2人の弟子と一緒だったそうなので、漕いでいる2人は弟子たちかも。
同じ柱頭を別角度から。グリフォンの手足がかっこいいです。
かっこいいと言えば、美男子がいっぱいいます。
別角度にも。キリッとした顔だちです。
鷲↑もかっこいいです。
でも、別の彫り手がいたらしく、全然ちがう印象の鷲がいます。
なんだか、かわいい。
かわいいといえば、こちら。動物たちが、かわいいです。
こちらの柱頭は、何を表しているのか、わかっていません。
垂れ幕状の案内掲示によると:
北側後陣の柱頭の一つには、葉の列の上に、おそらく狼と狐をつかまえている人物が描かれている。これは、ラテン語のことわざ「AURIBUS TENEO LUPUM」(直訳すると「私は狼の両耳を掴んでいる」となり、古代ローマで「危ない状況」を意味しました)を連想させるという説がある。また、狐物語(ルナールという狐を主人公にしたフランスの動物説話集)の影響を推測する人もいる。いずれにせよ、テーマは謎に包まれたままである。
同じ柱頭の別角度。
謎に包まれたままの柱頭です。
Église Saint-Marcellin。急な斜面に囲まれた狭い玄武岩の台地にたたずむ旧修道院教会です。素晴らしい柱頭彫刻が残ります。
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