2022年7月30日(土)の記録として最後にご紹介するのは、Huriel。Église Notre-Dameです。
思いがけない出会いやご厚意というのは、旅先では、なお一層うれしいものです。
ここ Huriel で、私はその幸運に恵まれました。
Huriel については、以下のように三回に分けて書きます。
<1>私1人での教会訪問(教会の概要と内観)
<2>私1人での教会訪問(教会の外観)と、chambres d’hôtes 初体験
<3>関係者と一緒での教会再訪(特別に見学を許された非公開部分)
Hurielへ
ムナ(Menat)まではピュイ=ド=ドーム(Puy-de-Dôme)県でしたが、Hurielからはアリエ(Allier)県。かつてオーベルニュと呼ばれた地域の中でもっとも北に位置する県です。
私は Menat から北西に一時間ほど車を運転して、小さな町につきました。17時頃のことです。
↑教会の西側には、三つのアーチによるポーチがあります。
↓道の向こうに、この日に一泊する予定の宿がみえます。でもチェックインは後まわし。
まずは教会が開いているうちに、と急いで内部を見学しました。
このときは、翌朝に非公開の場所まで含めて案内してもらえるなんて、想像もしてませんでしたから。詳しくは次回以降に<2>と<3>で書きます。
フロアプラン
現地には、フロアプランがみあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Nivernais-Bourbonnais Roman』によるフロアプランを載せます。東が上です。
ラテン十字の一身廊で、西側にポーチがあるのが特徴です。
ちなみに、la nuit des temps は旧主教区(1317年以前)で区分しているので、Hurielを含めアリエ(Allier)県にある多くの聖堂が、『Auvergne Romane』ではなく、『Nivernais-Bourbonnais Roman』で紹介されています。
Église Notre-Dame の概要
南扉口の近くに案内掲示、小修道院礼拝室に案内シート、泊まった宿にリーフレットがありました。それらによると、概要は以下の通り。
ユリエル(Huriel)のノートルダム教会は、以前はベネディクト会の小修道院(英:priory、仏:prieuré)の付属教会でした。ユリエルの小修道院の起源は917年にさかのぼり、デオル修道院(Abbaye de Déols)に属していました。
ノートルダム教会の建物は12 世紀の壮大なロマネスク様式です。三つの県と三つの地域の境に位置し、それぞれの特徴を受け継いでいます。
外部について
窓は、円筒状の装飾で囲まれています。この特徴はリムーザンの影響を代表するものです。
屋根は、動物、男性または比喩的なデザインの持ち送りによって支えられています。持ち送りに使用されている花崗岩は硬いため、彫刻はかなり粗雑です。
身廊の前には三つのアーチを持つ大きなポーチがあります。アリエ県では 三つの教会だけがこうしたポーチを持ちます。
内部について
身廊と交差部の間にはベリーの特徴があり、八角形の鐘楼にはオーヴェルニュの特徴があります。かつては洗礼盤として使用された150リットルの花崗岩の聖水盤や、多色の木製聖母像があります。また、グエルチーノ派の17世紀の絵画と、歴史的建造物として分類され、はんだも鋲も使わずにつくられた12~13 世紀の錬鉄のゲートもあります。
2003年5月に、南翼廊で二つのフレスコ画が発見され、修復されました。一つは14 世紀末のもので、聖マルティヌスを表しています。もう一つは17世紀のもので、受胎告知を表しています。
Église Notre-Dame の内観
南扉口の鍵が開いていました。
教会に入ります。
南扉口から入って、すぐ目に入るのは、聖水盤。
翌朝に案内してもらったときに聞いた話では、この地は以前はケルトの聖地だったそうで、この石は5世紀にさかのぼるものだそう。
かなり摩滅していますが、浮き彫りの痕跡があります。
西側には、ロフトがあります。
東側には、身廊の向こうに交差部や内陣があります。
「身廊と交差部の間にはベリー(Berry)の特徴があり…」とリーフレットに書いてありました。
Zodiaqueの『Berry Roman』で確認してみたところ、なるほど、細い通路などに同じ特徴があります。
ボミエ(Bommiers)という町にある Église Saint-Pierre は、Huriel の Église Notre-Dameと同様に、以前は小修道院の付属教会であり、小修道院はデオル修道院(Abbaye de Déols)に属していました。
そりゃ、往来があったでしょうし、同じ特徴があって当然ですな。
東に進み、翼廊に行きます。
北翼廊に階段があって「小修道院礼拝室(Chapelle du Prieuré)」、「石棺(sarcophage)」と掲示してあります。
入ってみました。
礼拝室には石棺がいくつか置いてありました。
石棺のちかくに案内シートがありました。一部抜粋して和訳すると:
1986年と1987年に、前所有者が教会の北側にあたる小修道院の中庭で「発掘調査」を行い、少なくとも四つの石棺が保存されていることが判明した。これらのうち三つは、古代の建築物を再利用して死者を収容するために組み立てられ、12世紀から15世紀の間に北側の墓地で使用されたと思われる。小修道院礼拝室の西側には、現在私有地となっている旧修道院の中庭に直接出入りできる扉がある。
翌朝に案内してもらったときに聞いた話では、これらの石棺は8世紀のもの、とのことでした。
私が入ってきた南扉のほかに、西側にもう一つ扉があります。
翌朝に、ここから美しい中庭を含む非公開の私有地を案内してもらいました。それについては<3>に書きます。
南翼廊に行きます。
ロマネスク様式ではありませんが、フレスコ画があります。
ロマネスク様式のものとしては、交差部の四方に柱頭彫刻があります。
上↑の写真の柱頭彫刻をズームインします。
↑笛を吹く人や、動物に乗る人がいます。
植物装飾や
二股人魚のような装飾↓があります。
また、交差部と内陣との障壁として、ロマネスク期12~13 世紀の錬鉄のゲートがあります。
内陣の南に小さな窓があるんですが、、、
翌朝に案内してもらったときに聞いた話では、8月15日になると、この小窓から入る陽の光が祭壇を照らすのだそう。
8月15日は聖母マリアの祝日です。
こちらの教会は聖母マリアに捧げられていますから、太陽の動きを計算して建築されたもののようです。
次回、教会の外観と、chambres d’hôtes 初体験について書きます。
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