Parrocchia dei Santi Vitale e Agricola in Arena、続きです。地下聖堂を詳しく見ます。
地下聖堂のフロアプラン
現地にあった、修復過程に関する案内に、フロアプランありました。
右側の、ピンク色の部分が地下聖堂です。(左側の、半透明の部分は地上階)
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三後陣、三身廊ですが、すんづまりですよね。
かつては身廊部分が長くて、こんな姿だったようです。
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当初、ベネディクト派修道院の中に建てられた教会は、東向きで三身廊でした。そして、11世紀に建てられた教会の、南壁からサン・ヴィターレ通りまでは墓地でした。
近世に全面的に改築され、教会は、東向きから北向きに変えられてファサードがサン・ヴィターレ通りに移設され、身廊は一つになりました。
その時に地下聖堂の東半分は中世のプランのままに残されたのです。
三つの後陣と聖人たち
三つの後陣には祭壇があり、それぞれ聖人に捧げられています。
北小後陣の祭壇は聖アンブロシウスに
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主後陣の祭壇は聖ウィタリスと聖アグリコラに
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南小後陣の祭壇は聖ペトロニウスに捧げられています。
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ボローニャにゆかりのある人気の聖人たちが、そろいぶみ。
初期の聖堂の遺構(8世紀)
現地にあったリーフレットによると、十字架状の太い柱と床が、初期の聖堂の遺構です。
熱ルミネッセンスによる検査、紀元後1世紀から12世紀までの町の地層に対する床のレベル、建設されたビザンチン時代などを考察すると、8世紀だそう。
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柱は、6本の十字架状の太い柱と、12本の細い柱があります。
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このうち、6本の十字架状の太い柱が初期の聖堂の遺構。
そして、古代ローマ時代の煉瓦でできている床も、初期の聖堂の遺構と考えられています。
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十字架状の太い柱の、なんと立派なこと。うっとりします。
19世紀後半からくりかえし行われた修復では、湿気対策が大問題でした。地下水脈からの湧出、雨水、周辺の水道の破損などによる結露や水たまりがひどかったため、費用がグングン増していき、資金不足で工事はストップされたままなんです。
とはいえ、ここまで修復して一般公開してくれていることが、ありがたい。
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Parrocchia dei Santi Vitale e Agricola in Arena、有名なロマネスク様式の地下聖堂があります。
2019年12月の旅
Parrocchia dei Santi Vitale e Agricola in Arena を最後に、2019年12月の旅を終えました。
ボローニャに一泊だけして、翌日の飛行機で帰国したのです。
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全24か所をかけめぐり、良い思い出がたくさんできました。
やっぱり、良いです。ロマネスク。
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