聖ステファノ教会群の中の、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の外を見学します。
教会の外観をご紹介する前に、それに関連する話をします。
聖ペトロ
この教会は、長いあいだ、聖ペトロの名で呼ばれていました。
15世紀初頭に「Symon」と刻まれた初期キリスト教の墓が発見され、それがシモン・ペトロ(聖ペトロ)の墓ではないかという噂が広まったのです。
歴史的根拠のないこの噂は多くの巡礼者を魅了し、古来からの巡礼地ローマに向けられるはずの気を引いてしまいました。
これに教皇エウジェニオ四世が猛烈に反発。
彼は教会の屋根を取って土を入れ、約70年間この状態で放置しました。
その後、ジュリアーノ・デッラ・ロヴェレ大司教のとりなしにより、教会は修復され、礼拝に供されるようになったと言われています。
20世紀の改築と教会の名前
ゾディアック(Zodiaque)↓ によれば、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の外観は、20世紀に全面的に改築されています。
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ファサードには19世紀につくられた聖ペトロの像がありましたが、1924年に行われた修復の際にとりのぞかれたそうです。
そして、長いあいだ聖ペトロの名で呼ばれていましたが、20世紀に聖ウィタリスと聖アグリコラの名が復活したとのこと。
これは私の勝手な想像ですが、、、
昔は、多くの巡礼者が来てくれるなんて教会の権威も上がるし、町の財政も潤うし、聖ウィタリスと聖アグリコラよりも聖ペトロの方がすごそうだし、と歓迎した人がいたと思うんです。
それが、20世紀になると、歴史的根拠つきのボローニャの独自性とか固有性がより評価されるようになってきたのかなと。なんてったって、聖ウィタリスと聖アグリコラはボローニャの最初の殉教聖人、ですからね。
それに、たとえ(教皇の怒りをかった)聖ペトロの伝説を復活させようとする意図がなかったとしても、感じわるいよね、と思った人もいそうです。
では、聖ペトロの像がとりのぞかれて全面的に改築されたファサードから見ましょう。
ファサード
ファサードの中央には上からマルタ十字、窓、浮き彫りプレート、西扉口があります。
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窓と西扉口のあいだのプレートには、十字架を持った祝福のキリストが、その両脇には聖ウィタリスと聖アグリコラが描かれています。
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西扉口の上部には植物装飾が、柱頭には動植物の装飾があります。
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上部を拡大します。
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向かって左の柱頭は、外側に双頭の竜に乗った人が、内側に「ご訪問」のように相手をねぎらいあう二人が描かれています。
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向かって右の柱頭は、内側に12の顔が、外側に小さな動物とグリフォンと人の顔が描かれています。
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素朴で原始的な図ですし、摩滅していますが、ちからづよいと感じます。
北側にまわってみます。
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北扉口
北扉口も見逃せません。
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北扉口は、西扉口に似ています。
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植物装飾のあるアーチはありませんが、特徴的な柱頭彫刻があります。
これらの柱頭彫刻について、ゾディアック(Zodiaque)は、11世紀末頃のものと言います。
向かって左の柱頭は、外側では、獅子が立ち上がって女性の肩に前足をかけていて、女性は木の枝に触っていて、足元には人の顔があります。
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向かって左の柱頭の内側には、胸の前で腕を交差する人がいます。
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向かって右の柱頭の内側には、両手を合わせる天使がいます。
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向かって右の柱頭の外側には、二股の人魚と鳥がいます。
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西扉口の柱頭も北扉口の柱頭も、簡素でかたい印象ですが、だからこそ、人のちからでどうにもならない何かが伝わってくるような気がします。
Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の外部には、ロマネスク様式の浮き彫りが残ります。ファサードのプレートや柱頭彫刻はもちろん、北扉口の柱頭彫刻もどうぞお見逃しなく。
<1>から<7>にわたってお伝えした聖ステファノ教会群、これで終わりです。
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