Abbazia di San Colombano、続きです。前回は聖コルンバヌスと修道院の概略を案内パネルで読んだので、これから教会(Parrocchia di San Colombano)を見学します。
Parrocchia di San Colombano は修道院の建物群の北端にあります。
さっそく中に入りましょう。
三身廊で側廊には礼拝室があり、いろどり豊かな壁画がいっぱいの、たいへん豪華な姿です。
ふりかえると身廊の西端にフロアプランがありました。
ロマネスク美術は(鐘楼の他は)地下聖堂に集まっています。
5. ロマネスク時代に遡るレンガ壁の断片
6. 舗床モザイク(12世紀前半)
9. 聖アッタラ(Attala)の墓(9世紀)
11. 聖ベルトゥルフォ(Beltulfo)の墓(9世紀)
というのも、こちらの教会の地上部分はほぼロマネスク時代より後の改築だから。
過去の時代の予想フロアプランもありました。
これを見ると改築のたびに拡張されてロマネスク時代の姿が失われた様子が分かります。
また、地面の高さも変わってしまっていることも分かります。
点線が現在のファサード、実線がロマネスク時代のファサードです。
ロマネスク時代には、地面が今より数メートルも低かったのです。
現在は内陣の下にあって階段をおりて行く部分のうち、一部は、ロマネスク時代には身廊だったというわけです。
いざ、地下聖堂へ行きましょう。
北側廊の東端に階段があります。
階段をおりる途中の、壁の一部がむきだしになっています。
これが「5. ロマネスク時代に遡るレンガ壁の断片」と思います。
階段をおりると、そこは暗かったのでした。
東壁を見ると、照明の装置があります。
0.5ユーロを払うと照明がつくシステムです。
照明がつきました。
向かって左の壁に案内が掲示してありました。
それによると、この舗床モザイクは1910年に地下聖堂への新たなアクセスを作る工事中に偶然発見されました。元の教会の身廊の床に描かれたもので、当時の床がこの高さだったことがわかります。その元の寸法は不明ですが、中央の身廊の大きな部分を占めていました。
描かれている主なテーマは「マカバイ記」、「幻獣の戦い」、「月暦」です。使用している材料は主に地元で調達したものを使用していて、近くのトレッビア川で採集されたカラフルな石です。その他の大理石は、おそらくモザイク職人の工房にあったもので、重要な人物の衣服を飾るためにわずかに使用されています。
向かって右の床は約10m2がモザイクだらけ。
人物や動物がたくさんいて、複雑な場面が丁寧に描かれています。
ひとつひとつの細片(テッセラtessera)が同じ大きさ、同じ形に細工してあり、輪郭線が美しい。
かなり腕のある職人が丁寧な仕事をしたに違いありません。
でも、逆向きで見づらいです。
こちらの舗床モザイクは内陣向きに描いてあるんですが、、、
見学できるのは逆側からのみ。
鉄柵で隔ててあるのでモザイクの上を歩いて正しい向きの場所に立つことはできません。
仕方ないので、手前にある「幻獣の戦い」のモザイクをじっと見つめます。
「幻獣の戦い」
ケンタウロスの槍がキマイラに刺さっています。ケンタウロスの勝ちでしょう。
確かブレムミュアエ(Blemmyae)にはあまり尻尾は描かれないように思いますが、頭部が無くて胸部から腹部にかけて顔があるので”LEMNAS”と書いてあるのはブレムミュアエなのかな。
さらに、北端の帯のような部分に、たたずむ生き物があります。上半身は人ですが下半身は魚。その手には魚がにぎられていて、その魚はより小さな魚をくわえています。
こういう怪しいの、私は大好きです。
モザイクを見られるだけ見ると、さらに下へと階段をおります。
ロマネスク時代には地上階だった場所から、ロマネスク時代から地下聖堂だった場所へ。
正面にあるのはGiovanni Patriarchiによる聖コルンバヌスの石棺(大理石、1480年)。
私が見たいのは、両壁にある大理石彫刻。
聖アッタラ(Attala)の墓(9世紀)
アッタラはコロンバヌスの弟子で、後継者として615年からボッビオの修道院長だった人です。
聖ベルトゥルフォ(Beltulfo)の墓(9世紀)
ベルトゥルフォは、アッタラの後継者として三番目の修道院長だった人です。
これらの墓は9世紀の”transenna”を使ったものと、身廊の西端にあったフロアプランに書いてありました。”transenna”は初期のキリスト教建築で内陣を囲む大理石のことです。
今よりもずっと小さな建物だった初期ロマネスク様式の教会に、こんな素晴らしい彫刻があふれていた姿を想像すると興奮します。
次回、より詳しく舗床モザイクを見ます。
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