Abbazia di Nonantola。教会内部(地下聖堂)を見たので、これから西扉口を見ます。
まず西扉口をふくむファサード全体について。
教会の南側にあった案内板↓によると
考古学的発掘調査では壁の層序の分析がおこなわれました。ロマネスク様式の建物は11世紀に建設され、1117年の地震のあとで修復されたと考えられています。
身廊の最後のベイと後陣の重要な修復はビザンチン様式の建築物が原位置で保存されていることからも明らかなように12世紀後半のものです。
ファサードの考古学的建築年代分析
橙色:第一期、1117年より前
桃色:第二期、12世紀
鶯色:第三期、14世紀前半から15世紀
茶色:第四期、16世紀から18世紀
黄色:第五期、20世紀の修復
ということはかなり第一期の建築が残っているんです。
西扉口に注目します。
二頭の獅子が左右にいるのは日本の神社にいる狛犬のように魔除けのような役割と思っていました(たぶん起源は古代オリエントでこの形が各地に伝播したと私は理解しています)が、キリスト教ではキリストを象徴するのだそう。
二頭の獅子が柱を支えています。これらはキリストの二つの性質を象徴していて、人間的な性質と神的な性質を表しています。獅子の前脚の間にある獲物は主が打ち負かした死を、獅子は復活した主を表します。復活したキリストは教会を支え、時の流れの中で信者の人生全体を支えます。(南側廊にあったタッチパネル式の案内より)
そうなんですか。
さて、西扉口にはびっしりと彫刻がほどこされています。
さっき書いたとおり教会の南側にあった案内板によるとルネット(扉口上部の半円形の部分)とまぐさは12世紀、その周りは1117年以前の彫刻です。
まず、ルネットを見ます。
南側廊にあったタッチパネル式の案内によると祝福するキリストと福音書記者たちのルネットはウィリジェルモ(Wiligelmo)親方の工房の仕事と言われています。
とても立派な姿。
まぐさには次のような意味のラテン語が刻まれています。
「贖い主が誕生してから千百十七年目に聖堂の高い天井が崩壊し、四年後に再建され始めた」(南側廊にあったタッチパネル式の案内より)
1117年に激しい地震があったので教会の一部が崩壊したのでしょう。4年後には再建が始められたとは、なかなか動きがはやい。
左右のわき柱を見ます。
このわき柱の彫刻がとても魅力的なんです。
内側にすきまなく動植物模様があるのもたまりませんが、
ひと目に触れやすい外側の彫刻がものがたりに富んでいて興味深いのです。
向かって左のわき柱には修道院の設立と主なエピソード、向かって右のわき柱にはイエスの降誕と幼少期の出来事が描かれています。
向かって右のわき柱から見ます。
下から上へと物語が展開します。
1 アトラス
2 受胎告知
3 ご訪問
4 聖母マリアのお産とイエスの産湯
5 飼い葉おけ(ご生誕の場面)
6 羊飼いへのお告げ
7 東方三博士の礼拝
8 神殿奉献
9 エジプトへの逃避(をヨセフに促す天使)
(南側廊にあったタッチパネル式の案内より)
私が特に気に入ったのは東方三博士の礼拝の場面でして、
祝福するイエスがとても愛らしい。
良いですねえ。
次に、向かって左のわき柱を見ます。
修道院の設立と主なエピソードが描かれていて、こちらも下から上に物語が展開します。
まず、1〜4の場面から。
1 アトラス
2 貴族のアンセルモが自らの公爵位を放棄しベネディクト派に出家
3 ノナントラ修道院の創立:ロンゴバルド王アストルフォがノナントラの土地(土の塊で表される)を義理の弟アンセルモに寄付
4 アンセルモと最初の修道院:彼の手には聖ベネディクトの戒律を表す書類の束が握られています。寺院の開いた扉は巡礼者や旅人が避難場所を見つける可能性を示しますが、修道士たちが外に出て周囲の領土を開墾し管理していたことも示します。
この4「アンセルモと最初の修道院」の彫刻がこの修道院のイチオシらしくてあちこちに写真を掲示してあります。
修道院が戒律を守りつつ地域の発展に寄与していたことを示す場面ですからイチオシ当然なんですが、個人的には次の彫刻5に圧倒されました。
5 教皇に聖シルヴェストロ1世の遺体を求めるアンセルモと修道士たち
6 聖シルヴェストロ1世の聖遺物をノナントラに向けて運ぶ旅
どうですか。この教皇につめよるアンセルモと修道士たち。すごい目ぢからと迫力です。
次の場面をみます。
7 聖シルヴェストロ1世の遺体を修道院に埋葬
8 サン・チェザリオ・スル・パナロとスピランベルトの近くで教皇ハドリアヌス3世死去
9 修道士たちが教皇ハドリアヌス3世の遺体を修道院に移す
サン・チェザリオ・スル・パナロ(San Cesario Sul Panaro)は修道院から南へ約15kmにある町です。教皇ハドリアヌス3世は885年にカルロ・イル・グロッソ(カール3世)の招きに応じる旅の途中で病に倒れたそうです。その後に列聖されました。
最後の10と11です。
10 教皇ハドリアヌス3世が修道院の地下室に埋葬される
11 獅子に乗るサムソン:上と下にラテン語で”de forte dulcedo / de comedente cibus”と刻まれています。「食べる者から食べ物が出た。/強い者から甘い物が出た。」という意味で、これはサムソンの有名な謎かけ(『士師記』14章14節)です。教会の財物でさえ所有して支配していた人々(ロンゴバルド人)が(アストルフォの寄付によって)修道士に食べ物を提供し、支配する王朝から修道院の創始者が出てきたことを寓話的に示しています。
(南側廊にあったタッチパネル式の案内より)
意味が深かったんですねえ。サムソン。
Abbazia di Nonantola、西扉口は11世紀から12世紀にさかのぼる彫刻で装飾されています。深い意味に思いをすることもただ素晴らしい作品を観賞することも楽しめます。
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