2019年12月の旅行準備:行き先の決定

2019年12月、休みをとってイタリアに行くことにしました。

イタリアの妹(私が昔に留学した時のホスト・ファミリー)の結婚式のためです。

私がホームステイしていた時は幼稚園児だったのにすっかり大人の女性になって、うれしい報告をもらえたのでホクホクで花嫁姿を見届けようってことで、、、

主目的は結婚式です。

でも、せっかく行くからにはロマネスク巡りもしたいのが人情です。

いろいろと検討を重ね、エミリア・ロマーニャ州のボローニャ以西だけならなんとか行けそうという結論に達しました。

エミリア・ロマーニャ州は、このあたり。

グーグルマップの画像を編集しました。赤い○のあたりがエミリア・ロマーニャ州。

10世紀頃からキリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラ、ローマ、エルサレムを目指して行き交う無数の巡礼者たちがこの地域を通りました。

ピアチェンツァからリグリア海に向かって美しいロマネスク教会が数多く並んでいます。

グーグルマップの画像を編集しました。赤い線で囲ってある範囲がエミリア・ロマーニャ州。

青い矢印で示した道筋はフランチジェーナ街道(Via Francigena)の一部。

フランチジェーナ街道とは、、、

その来歴は7世紀頃、ロンゴバルド王国がイタリアの領土をめぐってビザンチン帝国と対立していた時代に遡ります。首都パヴィア(Pavia)から南部への安全な街道が戦略的に必要だったため、ビザンチンからより遠いマイナーな所をぬうようにしつつも、ルッカ(Lucca)、シエナ(Siena)といった主要な街を経由してローマへと至る経路ができました。当時の名前はモンテ・バルドーネ街道(Via di Monte Bardone)。街道がフランチジェーナと呼ばれるようになったのは、フランク王国がロンゴバルド王国の領土の支配権を得てからの事です。当時、街道沿いの交通量が増加して商人、軍隊、巡礼者が行き来し、街道は南北ヨーロッパをつなぐ主要な接続軸となりました。巡礼は、900年代の終わり頃からさらに重要性を増し、巡礼者はキリスト教の聖地であるエルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ローマを目指して行き交い、フランチジェーナ街道が中世ヨーロッパの文化統一の実現に決定的な役割を果たしたのです。

(参考文献:Associazione Europea delle Vie Francigene のHP

12世紀にかけてこの街道沿いに数多くのロマネスク教会が建てられたのは当然のなりゆき。宝石のような教会があちこちに残ります。

ピアチェンツァからフィデンツァに至る道中の一例はヴィゴロ・マルケーゼ(Vigolo Marchese)。愛らしい洗礼堂と教会があります。

ヴィゴロ・マルケーゼ(Vigolo Marchese)

フィデンツァとパルマの間を南北に流れるターロ川沿いの例では、コッレッキオ(Collecchio)、タリニャーノ(Talignano)、フォルノヴォ(Fornovo)など。個性豊かなロマネスク彫刻が残ります。

タリニャーノ(Talignano)

なかなか行く機会がなかったり、行っても写真を撮らなかったりでしたから、これを機にぐるっと巡ってしっかり写真を撮りたかったのです。

見たいところは多いし、滞在期間は限られているので、効率的な計画が不可欠。

まず第一段階として、行きたいところをグーグルマップ上に「保存」です。日ごろから本やブログ、インスタグラムを見て、ここに行きたい!と思うたびにやってます。

さらに、ゾディアック(Zodiaque)の la nuit des temps を買っちゃいました。もう、これは、買わずにいられなくて。どの聖堂がどんな風に紹介されているか知りたいから。

ゾディアック(Zodiaque)の la nuit des temps

地域を西側半分にしぼった上で厳選しましたが、訪ねたい聖堂や博物館は20箇所以上になってしまいました。たった7日間の滞在で結婚式に2日くらいかかるから、ロマネスク巡りに使えるのは5日だけなのに。

第二段階として、各聖堂が空いている時間、移動や見学の所要時間を調べました。なんと、夏季でもないのに頼むと聖堂をすべて開けてもらえてびっくりしました。ありがたかったです。

第三段階で、スケジューリング。朝何時に出て、どこにどの順で行くか、昼食はどこで何を食べるか、午後はどこにどの順で行くかを決めます。そして宿を予約しました。

Carpi 二泊(ホテル)、
Piacenza 二泊(アパート)、
Parma 二泊(ホテル)、
Bologna 一泊(アパート)です。

今回、滞在期間が短くて移動をくり返したので三連泊は無理でした。ホテル滞在の後はアパートにして台所や洗濯機を備えた宿泊施設を選び、心地よく過ごせるようにしました。

今回も国内で予め海外用SIMを購入してから出発しました。前回のカタルーニャでの苦労を踏まえて、今回はスマホを新調したばかりだったので古いスマホに海外用SIMを挿入してインターネット共有をすることで二台とも使いました。便利でした!

そして、レンタカーをオートマ車で予約しました。今回は夫が来ないので一人で運転しなければならないし、レンタカーなしで巡れるかと画策しましたが、フランチジェーナ街道が立ちはだかりました。この街道沿いの小さなロマネスクを結ぶ電車やバスは本数が少なくて時間がかかり過ぎるのです。だからこの区間のためにピアチェンツァで借りてパルマで返す予約をしました。

新型コロナウィルスについて

私の帰国後、2月に新型コロナウィルスの感染が急拡大しエミリア・ロマーニャ州は感染が最も深刻な地域の一つでした。数多くの死者が報告されて胸がつぶれる日々を過ごすことになったのです。

私がこれからご紹介する旅の記録はかつての日常です。穏やかな日々が戻ることを切に願っています。

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