サン・ジュリア・デ・ロリア(Sant Julià de Lòria)

2019年9月の旅行九日目の(当初の予定では)最後、六番目の目的地はSant Julià de Lòria。サンタ・コロマ(Santa Coloma)から南に約6km、車で約10分の道のりです。

ここでの目的は、Sant Serni de Nagol。

事前にツーリスト・インフォメーションに、私が行く9月12日に教会が開いているかを連絡したところ「2019年は7月1日から8月31日までの夏期は10時から14時までと15時から19時まで訪問可能で、文化遺産ガイドが案内します。夏期以外に希望される場合は数日前までに予約が必要です。9月12日の場合は17時のガイドしかご利用いただけません。この時間で良ければ、どの言語での案内をご希望かお知らせください。」との返信。

ありがたい!

私は9月12日17時に英語でのガイドを依頼しました。

南北に走るCG-1道路からナゴル自動車道に入り、つづらおりの坂道をのぼります。

Google マップの画像を編集しました

17時少し前に到着、教会の北東の駐車スペースに車を停めました。

教会の北東側

教会の南側に男性がいて、ツーリスト・インフォメーションからの人でした。穏やかで真面目そうな青年です。挨拶して早速、案内のはじまりはじまり〜となったわけですが、

「すみません、本来くるはずだった担当者が都合がつかなくなったので、代わりに僕が来ました。僕は文化遺産の担当ではないので詳しく無いんです。」

と言いながら手元の資料を見せてくれました。A4サイズの紙面全5ページにわたる英文の資料。マーカーで大切そうなポイントをハイライトしてありました。事前に準備したのかな、良い人だな、とありがたい気持ちに。

「この資料は、後であなたに差し上げます。詳しくご案内できなくて申し訳ないです。」

そう言いつつも、この教会の鍵を開けて中を見学させてくれて(←これ一番重要)、この教会では今はもう聖ミサをやっておらず、結婚式くらいでしか使われていないことを教えてくれました。

聖ミサが行われる現役の教会でないのに、夏期は10時から14時までと15時から19時まで訪問可能で、文化遺産ガイドが案内するということは、この教会は大切にされているのだと思います。

さて、いつものように、案内を私が和訳した内容は太字で書きます。

1055年に献堂された教会は片岩の岩山の上にあり、ルメネレス(Llumeneres)川の北、バリラ(Valira)川の左岸、かつてナグアル(Nagual)と呼ばれていた村の中の小さな高台に位置しています。

教会の西側。向かって右(教会の南)にルメネレス(Llumeneres)が流れます。

小さな教会は、他のアンドラのロマネスク教会に見られるようなロンバルディア・ロマネスク様式の特徴を持たないため、例外的な存在です。長方形の身廊は、より狭い寸法の半円形の後陣で仕上げられており、 正確に東を向いています。

現地にあったフロアプラン

切り石は不規則にカットされた石の塊で、列をなして敷き詰められており、この教会の初期的な性質を物語っています。教会全体には他のアンドラの教会に見られるロンバルディア様式の装飾が見られません。

後陣(東側)。他のロマネスク教会と違って、ロンバルディア帯がありません。

後陣には同じような大きさの開口部が二つあり、半円形のアーチと二重の朝顔口(embrasure)で仕上げられています。

教会の内側から見る、後陣の二つの開口部

祭壇の南側の壁には、小さな扉口があります。しっくいで覆われているため、それがどのような特徴を持っていたのかをはっきりと見ることができません。この扉口と後陣の間には四角い開口部があり、教会内部に光が届くようになっています。

南扉口と後陣側の開口部。

この南側の壁には、教会の建設よりも後の時代のポルティコもあり、教会のものとは異なる切り石が使われています。屋根は木造で、最近修復されたものです。

教会の南側に、後の時代に増築されたポルティコ

西側の壁の半分ほど上ったところには、二重の朝顔口を持つ細長い窓があり、半円形のアーチで仕上げられています。この窓の上には十字架の形をした窓があり、唯一の装飾となっています。この壁は半円アーチで覆われた二つの開口部からなる鐘楼で終わり、鐘楼全体は切妻屋根で覆われています。

教会の西側

教会の床は、岩の上にそのまま造られているため、不規則で高さが異なっています。

西側を背にして後陣を向く。床は祭壇のあたりが高くなっています。

また、身廊の中には二本の柱があります。これらの柱は、おそらく身廊を覆っていた樽型のアーチを支えていたのでしょう。屋根は現在、木製のカバーと細長い薄板の構造体で作られています。身廊の西側には、石で作られた階段の一段目があり、後の時代に造られたクワイヤにつながっています。

祭壇と後陣の間から西側を向く。正面の、クワイヤの下に置いてある祭壇画は15世紀ゴシック様式の作品。

西側に置いてある祭壇画は15世紀ゴシック様式の作品。中央に描かれているのはトゥールーズ初代司教の聖サトゥルニヌスで、祝福を与えています(この教会の名前はSant Serni de Nagolで、聖サトゥルニヌスに捧げられています)。その上には磔刑図、磔刑図の両側には太陽と月が描かれ、アナグラムはマリアとイエスを示しています。

15世紀ゴシック様式の祭壇画

祭壇はオリジナルのものです。その裏には蝋で封印された平板があり、その中には、「Arnallus Bonefilius」という名前が記されたものの他、聖遺物の入った木製の聖遺物箱と、教会の献堂に関する羊皮紙がありました。

祭壇

また、教会にはロマネスク時代の聖水盤があり、身廊の南側の壁の、主扉口の向かって右に組み込まれています。一塊の岩で作られており、素材は花崗岩です。正確に年代を決定するのは難しいです。そもそもこの作品は、教会の建設中、つまり壁画が描かれる数年前の1050年頃に、壁に組み込まれた可能性がありますが、それよりも後に追加された可能性も否定できません。

南扉口の向かって右の壁に組み込まれている聖水盤

1976年に、壁のしっくいの下から、アンドラで最初期に描かれたロマネスク様式と思われる壁画が発見されました。この壁画の装飾はいくぶん初期性を示していたため、ロマネスク以前の芸術の一例であるとしばしば誤解されました。この絵に使われている技法は、上塗り層であるイントナコ(Intonaco)の上に薄く消石灰を塗り、二酸化炭素との結合によって色を定着させる技法です。

1976年に発見された壁画

後陣には絵画的な痕跡はありませんが、顔料を塗布できるよう上塗り層が整えられています。このことから、そこに描かれていた壁画は、例えば当時よく描かれていた荘厳のイエスのような他の絵画を描くために、12世紀半ばに剥がされたのではないかと考えられています。こうしたことから、半ドームには、聖ヨハネが見た天の玉座をとりまくテトラモルフが描かれていたことが想像できます。

テトラモルフというのは、ヨハネの黙示録4章に登場する四つの有翼の生物(第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲)です。

壁画全体は、内弧面の四人の天使、聖ミカエルと髭の天使や聖人が描かれており、天使を崇めています。

壁画の詳細をご紹介します。 

便宜上、壁画に番号をつけました

向かって一番左(北壁)の壁画1は、手にパピルスを持ち、天使を思わせる衣服を身につけています。恐らく神のそばで人類の弁護をする、聖ミカエルか聖ガブリエルでしょう。線描や色彩が後代の特徴を示しているため、他の壁画より150年くらい後に描かれたと考えられます。

壁画1

向かって左から二番目の壁画2は、未特定の聖人です。祝福を与えています。

大真面目な顔なんですが、そこはかとなくただようゆるい空気感が何とも言えません。

壁画2

壁画3は未特定の聖人です。手が四つあり、描いた職人が描き直しを試みたものでしょう。足元にはいくつかの長方形の線描があり、ささげ物を描いたと考えられています。

壁画3

壁画4はワシ。反対側のヘビと合わせて善と悪との戦いを意味します。

壁画4

壁画5は、ひざまずいて神にささげ物をするカインとアベルと考えられます。その場合は、彼らは神の姿を見てなくて声を聞いただけでしたから、永遠なる神を強調します。そうでない場合は、恐らく預言者イザヤと預言者エゼキエルでしょう。

リズム感があって、見る人を引きつける魅力に溢れています。

壁画5

壁画6は、勝利アーチの内弧面を彩る四人の天使で、特に名前は書き添えられていませんが、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの大天使と考えられます。これらの天使は、神と人との間の執り成し者として見られるべきでしょう。彼らは勝利アーチの中心に描かれている神の仔羊を崇めています。

ニンブスの色が塗り分けてあります。向かって左から、青、赤、黄、赤。

右から二番目の黄ニンブスの天使は多分、右手に何かを持っていますよね?剣でしょうか?でも、先っぽに茶色いフワフワしたものがついているように見えます。もしかして酢を含ませた海綿がついた葦の棒?だとするとイエスの受難を示しているのかな。

欠落していて残念。他の天使は神の仔羊の方を見ているのに、この天使だけはその持ち物を見ている目線です。

壁画6。ちょうど神の仔羊の真上くらいに、棒のようなものが描かれています。
壁画6、部分。内弧面を見上げた写真。向かって左半分。
壁画6、部分。内弧面を見上げた写真。向かって右半分。棒の先に茶色いフワフワがついているような。

壁画7は片手で槍を蛇に向けて投げ、もう片方の手には盾を持っている戦士で、聖ミカエルと考えられています。聖ミカエルはドラゴンに対する勝利で表現されるからです。

にゅるりとした矢印を蛇が飲み込んでいるように見えますし、蛇はめっちゃ弱そうだし、盾を持つ手指の曲がり具合が妙なのですが、短髪の顔がりりしいので引き締まっています。

壁画7

壁画8は、絵を描く際の迷いや後悔から生まれたのであろう三本足の聖人と、不思議なことにひげを生やしている天使が描かれています。これは、作者が天使の図像をよく知っていて、ひげで男性的な側面を強調しつつ人間らしい天使を表現しようとしたのではないかという仮説が考えられます。

壁画8

壁画9は、十字ニンブスを持つため、イエスと考えられています。

聖ミカエルの下だし、反対側の同じ位置は聖人だし、この場所にイエスというのは、どうも違和感があります。

壁画9

壁画は残念ながら描き直しがあったり保存状態も良くなかったりで、第一級のロマネスク美術とは言い難いのですが、自由でリズム感のある豊かさに溢れていて、私は好きです。

壁画6は、興味をそそられますし。

Sant Serni de Nagol。山の上の小さな教会です。初期ロマネスクの石積みと、魅力的な壁画のオリジナルが残ります。

さて、当初の予定では、この日の見学はこれで終了。このとき時刻は17:30でした。

宿までは10kmちょっとですから、15分もあれば戻れます。夕飯の買い物はさっき昼食後に済ませましたから、買い物に時間をさく必要もありません。ということは、まだ、もう一箇所くらい、見学できそうです!

とは言え、今から教会の鍵を開けてもらうのを役所や観光案内所に相談するのは時間的に難しいので、宿から遠くなくて中を見られなくても満足できそうな教会、、、

ふっふっふ。あります、あります。ひとつ、良いところが。

アンドラのロマネスク教会巡り、次回に続きます。

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